旅行
沖永良部島 2
三日目
沖永良部島は花と鍾乳洞の島、と言はれてゐます。珊瑚礁が隆起してできた島の地下には、まだ未踏のものも含めて300ぐらゐの洞窟があるとされてゐるさうです。
んで、そんな洞窟の中に入るのを「ケイビング」といふらしいのですが、沖永良部島はこのケイビングの聖地らしいのです!ガーン!なんだかよく分かりませんが、我々も沖永良部島ケイビングに参加してきました。
沖永良部島
沖永良部島に行ってきました。
沖永良部島は奄美群島のひとつで、与論島に次いで沖縄に近い所にある島です。なんでそんな所に行ってきたかといひますと、それは現在「あまみシマ博覧会」をやってゐるからです!・・・・・・といふのはちょっと違って、そこにはトモコの祖父の家があるのです。
とはいへ、トモコの祖父はすでに逝去してをり、現在その家は空家となってをります。そこに、一度行ってみよう、いや、行かねばならん、となって行ってきたのです。
水と火
先日、松尾大社の磐座に参拝してきました。
この磐座は、昔は一般人は参拝する事ができなかった様ですが、近年なぜか開放されまして、許可さへ貰へれば参拝できる。との事で、2年程前にトモコと勇んで行ったのですが、その日は朝に激しく雨が降ったとの事で、許可されませんでした。山道がぬかるんで危ないからださうです。
そんな訳で、今回は予め電話をかけて確認を行ったうへ、準備万端で臨みました。
啓示?
私事ながら、約19年前の2月21日に、私とトモコは日吉大社で結婚式をあげました。雨がそぼ降る中、神主さんに祝詞を朗々と読み上げていただき、巫女さんには舞っていただき、山の神さまに祝福していただいた訳ですが、当時は若くてボンヤリしてゐた私も、些か厳粛な気持ちになったのを覚えてゐます。
その時、ここにはちょくちょく来なくてはならない、とトモコと語り合ったのですが、気がつけば19年も経ってゐました。19年!・・・って、結構長いな。光陰矢の如しとはよく言ったものです。
で、今年の2月21日は火曜日。なんとオパールの定休日にあたるではないですか。これは、行かねばならんのではないだらうか。と、自問するヒマもなく、気がつけば私とトモコは京阪の坂本駅に立ってゐたのでした。
リアリズムの宿
さて、「瀬戸内国際芸術祭2010」ですが、我々は一泊だけした訳です。その一泊をどこにするか。まー、高松に泊まるのが便利な訳ですが、せっかくこんな島巡りの芸術祭に来てるのだから、島に泊まるのが良いのではないか。そら、島では何かと不便だらうし、数少ない旅館も、普段はそんなにお客さんが来る様な所でもないだらうから、設備も整はず、なにかと不都合はあるかもしれないけれど、谷崎潤一郎も言ってゐるごとく「いや、その不便を忍ぶところに云い知れぬ旅情を覚えるのであるから、あまり行き過ぎた、都会風に気の利き過ぎた待遇も、却ってどうかと思うのである」(「旅のいろいろ」・中公文庫版「陰翳礼賛」から)な訳で、旅情を楽しむため、我々は島の旅館に泊まることにしました。
SUKIYAKI
さて、首と腰の地獄の様な痛み、といふ副産物はついたものの、非常に濃厚で且つ楽しかった島根(出雲&石見)旅行。
もちろん出雲大社は恐ろしく美しく、この先何度も訪れたい、と強く思はされましたし、物部神社はこれまたとても鄙びてゐながら、その古色蒼然とした佇まひはもの凄い気を発してゐて我々を圧倒し、日御碕神社&日御碕灯台も、我々の心の奥底にある何かを揺るがすに足る存在感を静かに示してゐました。
石見にて
か、帰って参りましたー。出雲から。て、いふか、正確には島根県(出雲&石見)から。昨晩の深夜2時過ぎに。はっきり言って、私、ボロボロでございます・・・・・・。
出雲へ行かう
それは私の一言から始まったのです。
「ぢや、出雲大社にでも一緒に行くか」
シスコの楽しみ方 2
さて、街遊びの楽しみのひとつに、美術館・博物館巡りがあります。小さな街のマイナーな美術館や博物館を訪ねるのも楽しいものですが、ほれ、シスコはさすがに大都会。大きくて有名な美術館・博物館がたくさんあります。今回我々はそれらを廻るので精一杯で、小さな所には行けませんでした。残念! が、それらメジャーな美術館・博物館も良かったですよー。
シスコの楽しみ方
なんだかシスコの話が中途半端で終はってをり、些か居心地が悪いので、ここでパッとまとめの話をしてしまって、シスコの話は終はりにしたいと思ひます。
シスコのレストラン
今日はシスコのレストランについて。
オーガニック
さて、オーガニック、です。
って、前回書いてからすでに五日も経ってゐますが、ま、それはともかく、要は我々は“オーガニック先進地サンフランシスコ!”を目指して空路遥々、中国航空の荷物置き場に押し込められ、様々な虐待に耐へながらアメリカへ行った訳なんですが、さて、実際のシスコはどうであったのか。
なんでシスコなん?
あ、日本に帰って参りました。
正確にいふと一昨日の真夜中に帰ってきたんですが、疲れがドッと出て、しばしダウン。でも、忘れないうちにもう少し、シスコの事を書いておきませう。
シスコのカフェ
今日はシスコのカフェ事情について書いてみませう。
機上より
はい、ただいま私は機上にをります。サンフランシスコを発って約4時間。退屈しのぎに日記でも書いてみようと思ひたった所です。
東京土産
実を言ふと今回の東京旅行は、私とトモコの二人旅ではなかつたのです。なんと! ポー社長も同行したのでした! …いや、我々がポー社長に同行した、といふべきか。
とにかく歌舞伎も桟敷席だといふので張り切つて、ポー社長も振り袖でおめかし。かぶりつきで舞台に見入つてをられました。…しかし、考へてみれば我々の桟敷席といふのは、舞台からもよく見えるのではないでせうか。となれば、ポー社長…。いや、別に誰も気にしてないでせう。
ハッシー、また帰国
ハッシー & YO!ちやん来店。ハッシーはN.Y.から帰国したばかりだ。先日はL.A.に行つたばかりなのに、今度はN.Y.。西へ東へと忙しいことですなァ。んで、どうだつたの、N.Y.は。
「靴を褒められました」
ジム/銀座
東京最終日。せつかくだから、朝の6時に起きて、ホテルのジムに行く。ッていふか、これこそがやりたかつた、と言つても過言ではない。そもそも我々がジムに通ふやうになつたのは、「グランドハイアット上海」や「ウエスティンリゾート マカオ」に行つた時に、そこのジムに行つてみたい、朝早く起きて朝食前にジムに行き、一汗かいてから一日を始めたい、と思つたことがきつかけだつたのである。ほんとは毎日のやうに通ひたかつたのだが、連日酔ひと疲れでドロドロだつたので、なんとか最終日に形だけは整へようと、気力を奮ひ起こしたといふ訳だ。
皇居/どぜう
午前中は皇居へ。皇居は通常、外苑と東御苑しか見ることができない。が、天皇誕生日と新年の一般参賀、及び申し込みをすれば“皇居一般参観”といふことで、吹上御苑のある西の部分に入ることができるのだ。我々は事前にインターネットにて“皇居一般参観”を申し込んでをり、これに参加した、といふ訳だ。ま、入られると言つても、広大な西御苑のほんの一部のみなので大したことはないのだが、それでも少しでも勾玉の近くに行けるからね。これで伊勢神宮(神鏡)と皇居(勾玉)には参拝したので、あとは熱田神宮(神剣)だな。
“百段階段”/ナプレ
午前中に、目黒雅叙園にある“百段階段”を見学する。目黒雅叙園は、戦前には当時の粋を集めたバロックな料亭・宴会場であつた。ド派手、豪華絢爛、バロックな宴会場や部屋が200以上もあつたさうだが、戦災で焼けたり、その後の老朽化でボロボロになつたのを、80年代の後半にそのほとんどを取りつぶして、新しく作り直してしまつたのである。
“Aツアー”後編
次に我々が向かつたのは、メイドリフレ。が、生憎全室埋まつてゐて、空くのは1時間後になるといふ。「ぢや、それで」と01くんはサッサと予約をして、次なる店へ向かつた。なるほど、このやうにメイドの店をハシゴするんだな。
“Aツアー”
東京に着いて、東京ステーションホテル内の“レストランばら”にてランチ。今年の3月に、東京ステーションホテルは大幅な改修工事に入る、要するに現在の建物はぶッ壊される訳で、その前に行つておかう、といふ訳だ。
16日の謎
さて、料理に関してはまだ揉める余地があるものの、宿泊する所に関してはその余地がない。トモコに言はせると、上海やマカオに行くのも、その土地に行くといふよりは「グランドハイアット上海」「ウエスティンリゾートマカオ」に行く、のが目的ださうで、従つて、東京でもその手のホテルに宿泊することになる。これは動かしやうがなく、私も同意せざるを得ない。ちなみに私ひとりで東京に行けば、サウナや友人の家に泊まるのだが。
東京へ
さて、16日(月)から19日(木)までオパールは正月休みをいただく訳ですが、今年もまた、そのお休み期間中に小旅行に出掛けることになりました。と言つても、今回は旅行といふほどのものではなく、実はチョイと東京まで行くことにしたのです。
マカオ
雑誌「BRUTUS」8月号“噂の旅 2005”を見てゐたら、マカオが載つてゐた。そこに写つてゐるザ・ウェスティン・リゾート・マカオの写真を見てゐる時に、フッと頭に浮かんだ事があつた。実は我々がザ・ウェスティン・リゾート・マカオのプールサイドでダラーと過ごしてゐた時、日本人の一行が取材に来てゐたのだ。雑誌の取材だなー、と別に気にも留めなかつたのだけれど、あれ、BRUTUSだつたんぢやないのかなァ。いや、根拠はないけれど、何となくね。
是非御来店下さい
ワリイシさん来店。マカオは「飲む・打つ・買ふ」が三拍子揃つた欲望の街だ! などと私がほざいてゐると、「さういへば、『飲む・打つ・買ふ』は三拍子揃つてないとダメだッて、言ふね。どれかひとつだけにのめり込む人は、自分も周りも不幸にするねんて」と言ふ。ううむ、さうか、何ごともバランスが大切、といふ事やね。ッて、一体なんのバランスや、てな感じですが、要するに、マカオは男を磨く街、といふ事ですか。
土産話などある事ですし
コータローくん来店。「あれ? 無事に帰つて来たんですか。なんだ、今日あたり、救出に向かおうと思つてゐたのに」。うむ、我々も是非コータローくんには来て欲しかつた。何と言つても、食べ物はおいしい・博打は盛ん・娼婦の方々は美しい、と三拍子揃つてゐるんだから。「飲む・打つ・買ふ! おおー! 正にオレのためにあるやうな街やー!!! で、カジノでは何を? …あ、『大小』ですか。あれは面白いですね。ボクも大好きです。…さういへば、沢木耕太郎も『深夜特急』で『大小』に嵌つてゐたなァ。ッて、オレも同じコータローやん! やはり、行かなあかんのかなァ」
帰ってまゐりました
「おはやうございます」香港帰りのユキエさんが言つた。今日からまた、仕事だ! 仕事! リゾート気分は吹ッ飛ばすよー。て、いふか、我々はそれぞれ社員研修に行つてきたのであつた。で、ユキエさん、香港はどうでした?
マカオ日記 四日目
ほぼ徹夜で荷造り。何故かこればッか。少しだけ仮眠をとつて、ルームサービスで最後の朝食をとる。もちろんベランダで。うーむ、今日も快晴だ。
マカオ日記 三日目
今日は初めての快晴だ! ベランダから見られる風景が原色の鮮やかさを増し、気持ちいい。やはりかうでないとリゾート感がない。我々は今朝の朝食は1階でのバイキングを選んだ。庭にあるテーブルを占め、大量に料理をとつてくる。言ふまでもなく美味い。が、テーブルの側に常にホテルの使用人の方が立つてゐて、些か落ち着かない。もちろん、我々の世話をやくために立つてゐるのだが…。我々の他の白人客たちは違つた。チットモ気にしてゐる様子はないし、用事のある場合は目の動きだけで彼らを使役したりしてゐる。うーむ、かうでなければリゾートライフと言へないのではないだらうか…。
マカオ日記 二日目
朝起きてシャワーを浴び、ポルトガルワインを手にベランダに出る。今日も快晴とは言ひ難い。それでも、森と海とプールを見ながらワインを飲むのは気持ちがいい。さらに、朝食はルームサービスでベランダにて摂つたのだけれど、柔らかい朝の光と風に嬲られての食事は実に気持ちよい。加へて、この朝食が美味い! 且つ、量が多い! 点心とお粥とお茶といふ「オリエンタル・ブレックファースト」を摂つたのだが、とても食べ切れさうにない! が、頑張つて食べる。ここで頑張らねば。鳥まで飛んできて、ベランダの柵に止まつたりする。うむ、最高だ。が、苦しい…。私はトモコがネイルサロンに行つてゐる午前中の間、ずッと庭のベンチで伸びてゐた。
マカオ日記 第一日目
いつものごとく店から帰つた後、徹夜で準備をし、空港に向かう。…それにしてもこれ、何とかならんか。徹夜で旅に出ると、必ず初日がボロボロになつてしまふんだよねー。だからこそ、近場でアジア、に行き先を定めてゐるのだが、今回はこの見通しも少々甘かつた事が判明した。
社員研修
店があんまり暇なので、6月6日(月)〜6月9日(木)の間、お休みをとる事にした。経費負けする日もあるぐらゐだから、正直やつてられないのよ、全く。で、告知の貼り紙をする。「社員研修のため休業」。うむ、一度書いてみたかつたんだ、「社員研修のため休業」。むろん、オパールは会社ぢやないので社員なんてゐないし、ま、冗談な訳だけれど、まさか「あんまり暇だから休みます」とも書けないしね。それで、休みの間に何をするかと言ふと、それはもちろん、スタッフそれぞれが自己研修をするのである! ババーン! …では、自己研修とは何ぞや? それは我々サービス業に携はる者にとつては必須のこと、良質のサービスを提供するために、まづ良質のサービスを受けにいくのである。人間は、自分が知らないモノを、他人に提供する事はできない。とか何とか言つて、リゾートホテルまでチョット旅行、なのだ。