今年の4月はとにかく外国のお客さんが多かった。もう一日の来店客数の9割が外国の人、といふ日も珍しくなかったくらゐ。おかげで私も英語と日本語のチャンポンで喋りまくってゐたから、言語体系が微妙に狂ってしまった感じだ。
]]> こんな状況だと、いきなり外国人観光客がいっせいに日本から姿を消したらどうしよう?などと、考へてしまふ。実際、北朝鮮有事の危険があったからねぇ、4月は(まぁ、まだ危険は去ってはゐないけど)。なんと、エコバニのイアン・マカロックがソロコンサートを東京でやる予定だったらしいんだけど、北朝鮮有事を恐れて無断で帰国したらしいからね!(つまり、コンサートをブッチだよ。酷いな・・・)ツィッターを始めて一月あまりが経過した訳だけれど・・・、多少、字を打つのが大変とはいへ、かなり慣れた。なにより、やっぱ打つ文章が短くて済むのが楽。いつでも気が向いた時に打てるのが楽。そもそも、パソコンを開けることがあまりなくなってきた。しかし、機械といふのは何故か使はないとダメになっていくので・・・やはり、たまにはかうやって使はなければならないのだらう。
]]> ここ数年で私もアニメファンの端くれぐらゐにはなってきたとは思ふんだけど、さうなると不思議にアニメファンのお客さんが現れる。しかも、私の様な“にはか”ではなく、筋金入りの人たちだ。つまり若い時からアニメファンで、祭典にもいまだ通ってゐる、とかそんな感じ。さういった人たちの話はホント興味深い。先日は、アニメのライブの話をうかがひました。R崎くんからもヲタクの人たちの話をききました。最近は美術館の展示などをアニメと絡めて行ふものも多く、R崎くんもそんな展示の手伝ひに駆り出された事があるさうな。で、問題は入場者特典でポスターを配布した事で・・・なんと、大挙してやって来たヲタクの方々はみんなポスター入れの筒を持参してきたとか。いや、そんなもの美術館に持って入られないやん!結果、R崎くんたちがそれらを全て預かる事になり、もう大変だった、と。
それはまだよい。このポスター、展示を見終わった後、帰りに渡す事になってゐたのだけれど、それに納得しないヲタクの人たちも、何人か居られたらしい。まぁ、なくなったら嫌だ!とか思ったのかもしれないけれど、先に渡せ!と言って譲らない。R崎くんが、充分な数がありますので・・・と言っても納得せず、仕舞には「お前ぢゃ話にならん!知事を出せ、知事を!」と言はれたさうです。知事って・・・。
うーむ、深い。
]]>実は、たうたうスマホに変へたのです。立ち上げても立ち上げてもすぐに落ちるガラケーを放置すること約2ヶ月。さすがにやばいかと、修理に持って行ったら、修理代に数万円かかると。うーん、どうしようか・・・と、悩み、とりあへずスマホに変へた場合の値段をきいたら、やっぱり高い。ちなみに私はauと契約してるのですが、それぢゃあ格安スマホ・・・とまではいかなくとも、楽天モバイルやYモバイルならどうだろ、と思って調べてみたら・・・や、安い。今のガラケーより月々の支払いが、安い。これは・・・もう変へるっきゃない!と、なって、auを解約し(契約解除料とられたよー、ちくしょー)、Yモバイルでスマホにしましたー。
]]> スマホは小さなパソコン、と聞いてはゐたけれど・・・正に。前にも書いた様に、私はパソコンもボロでもう大変なんだけれど、それに較べると、スマホのなんとサクサク動くことよ!ページを移動するたびに、ボーッと待つ必要はないし、今まで観られなかったサイトもバンバンみられるし、ちゃんと動画も動く!なんか、世界が変はったわ。あ、ただスマホで歴史的仮名遣ひはちょっとムリさうなので、現代仮名遣ひに戻します。まぁ、このブログでは、歴史的仮名遣ひ続けますけどね(せっかく覚えたから、忘れない様に・・・。つまり、忘れない程度の頻度でブログを更新しようといふ訳だ)。そんな感じで。
ツイッター版:元店主@cafeopal (@mototenshu69)
]]>歳を取るとともに時間の流れは早くなるとは言ふけれど、今年ほどそれを痛感した事はない。なんと、まだ1月の日記をひとつも書いてゐないのに、もう2月ではないか!
・・・いや、別にサボってゐた訳ではないのです。普通に、ごく普通に過ごしてゐただけ。確かに、1月の前半は忙しい。加へて、『オパール映画ベスト10』を3本、『強制起訴シリーズ』を1本、書かなければならない。とはいへ、毎年それはこなして来たのだ。何故今年に限ってこんな体たらくに・・・と、やはり歳をとったのかねぇ。ほんと、気がついたらば、あれ?1月の日記ひとつも書いてないのに、もう2月やん!となってゐたのである・・・。
小説もひとつ読みました。スティーブン・ミルハウザーの『エドウィン・マルハウス』。これ、昔からずーっと読みたかったんだけど、絶版で読めなかったんだよね。で、昨年、本屋でたまたま復刊されてるのをみつけて。やー、たまには本屋に行くもんだ、とか思ったけど、しばらくして読んだ『バーナード嬢曰く』の3巻に復刊した情報が載ってゐたので、どちらにしろ知る運命にあったな、うん。むろん、期待に違はぬ面白さ。傑作、でせう。が、ミルハウザーって、もの凄く端正な作品を書くんだよね。これも、デビュー作なのに、凄く端正で。そこが、ちょっと私的には居心地が悪い、かも?
音楽については、昨年末にウノピと喋った事の影響もあって、久しぶりに最近のヒップホップでも聴いてみるかー、と、トライブとコモンの新作を聴きました。まー、良かったよ。さすがにカッコ良い。でも、まー、良かった、だけ・・・って感じかな。うーむ、ヒップホップに耽溺してた頃の、あの感覚、細胞のひとつひとつが覚醒して頭ごとどっか持っていかれる様なあの感覚、は甦らなかったんだよねー。まぁ、普通にいい、って感じ。
ぢゃあ、今は何かっつーと、やっぱこれが、アニメの音楽、って事になるのか。正に今も『xxxHOLIC』のサントラ聴きながら書いてるしね、これ。やー、いいよ。S.E.N.S(映画『非情城市』のサントラやった人たちね)と森英治による「S.E.N.S Project」によるものなんだけど・・・なんか坂本龍一っぽいけど、いい。
『xxxHOLIC』といへば、EDのBUCK-TICKによる『蜉蝣』って曲がむちゃくちゃカッコよくて・・・1月中は毎日ヘビロテしてました。昔買った、『スピード』とかのCDシングルなんかも発掘したりして。しかし・・・この歳になってBUCK-TICKか・・・。
こんな所でとりあへず御容赦。
]]>たうたう携帯電話が壊れてしまひました。少し前から、いきなりブーブー!と鳴り出して、画面に「故障です。修理が必要です」と出てからブラックアウト、といふ状況が頻出してゐたので、これはヤバいかなぁ、と思ってゐたら、たうたう、立ち上げても立ち上げてもすぐにブーブー!「故障です」ブラックアウト、で、実質役に立たなくなってしまったのです。うーむ。
修理に出すか、いや修理に出したってもうガラケーはないのだから、ここでいっそスマホに変へるか・・・と考へたのですが、面倒くさくなってとりあへず放置。机の隅にケータイを放り出したまま、すでに一月が過ぎようとしてゐる状態です。
今年最後に観た映画は『ドント・ブリーズ』。『この世界の片隅に』と同様、口コミで広がってえらく話題の作品なのですが・・・、私的にはかなりビミョーでした。まぁ、登場人物も少なく、基本舞台は一軒の家の中、といふ、典型的な低予算ホラー(といふかスリラー?)なので、アイデアが命。で、確かにアイデアは豊富に詰め込んであるんですが・・・かといって、それが面白いかと言へば、さうでもない。なにより、驚きがない。恐くもない。全てが、ある種の予定調和の中にある・・・といふ事で、せめて登場人物に魅力があればもう少し楽しめたのでせうが、それもなく。個人的に、ちょい残念な映画でした。
ちなみに、私とトモコ、人生初の「夫婦50割引」で観た映画となりました。うーん、それが『ドンブリ』とは・・・。
今年最後に読んだ本は『空海コレクション 1』(ちくま学芸文庫)。いや、ちょっと高野山まで行ってきたもんで・・・。『秘蔵宝鑰』と『弁顕密二教論』を収めたもので、現代語訳つき。やー、凄く面白いんだけど・・・それは空海の文章がいいから。つまり詩的に面白いんだけど、論理的となると、どうなんだろ。これらの文章は、他のあらゆる思想に対する密教の優位性を論じたものなんだけど、その論証が、いはゆる今の感覚での論証にはなってない様な感じで。レトリックによる論証、といふか、むろん、さういふのもありだらうとは思ふものの、なんだか読んだ後にモヤモヤが残る。これは私が、デカルト以降の近代的“方法”に囚はれてゐるからか・・・?まぁ、かういった違和感にモヤモヤするのも、古典を読む醍醐味でせうねー。
今年最後に読んだマンガは『ベアゲルター』の3巻。これ、最高すぎるわ。その一言。早く次が読みたいが、なかなか出ないんだよねー。
今年最後に観たアニメは『黒執事』。いや、来年の1月に劇場版公開、とあって、その前に観ておくかー、と軽い気持ちで観始めたら・・・祭りだ、祭りだ、ワッショイ!ワッショイ!と、我が家ではえらい事になってしまひました・・・。連日寝不足。セバスチャーン!!
当然、今年最後に買ったCDは『黒執事』のサントラですよ。岩崎琢は素晴らしいわー。
やー、来年は良い年になります様に。
]]>『この世界の片隅に』のマンガ版、つまりこうの史代による原作を読みました。上・中・下の3巻。誤解を恐れずに言ってしまへば・・・私はアニメ版よりこっちの方が面白かった!
・・・いや、アニメ版も素晴らしかったし、そもそもこれは較べられる様なものではないんですが、まぁ、個人的な好みを言へば、ね。
私は俄然、こうの史代といふ人に興味が沸いてきました。さっそく他の作品も読んでみよう!と、『長い道』をアマゾンで探したら・・・絶版かよ!KINDLE版しかないけれど・・・。むむー、この映画の大ヒットを機会に、復刊せんかねー。
アニメを観始めて数年。未だ「萌え」といふのがよく分からん・・・といふのが正直な所です。この間も、ヤマネくんが来て「やー、ボクは『この世界の片隅に』のすずさんに萌え萌えですよー」といふので、いや、『この世界の片隅に』に“萌え”はないんぢゃないか?と私が疑問を呈すれば、「さうですか?でも、西島大介も、すずさんは『けいおん!』の唯ちゃんみたい、と言ってましたし、こうの史代も、もともと萌え四コママンガを描きたかった人なんですよ」とか言はれてしまった。
う~む、しかしその意見には色々と違和感がある・・・。そもそも“萌え”の定義がよく分からないんですが、ってか、今や“萌え”の定義は拡散してしまって実質崩壊してる、といふ説もあるさうですが、とにかく、まぁ、二次元のキャラクターに対する愛情、といふ大意はあると思はれます。
が、二次元のキャラが好き!といふだけの事なら、それがそんなに特別な事とは思へないし、そもそも“好き”といふのは人それぞれなので、“萌えキャラ”とか“萌えアニメ”といふ特定のネーミングは変、といふ事になると思ふのです。やはりなにか共通する、特定の何かがあるのではないか・・・。
私が漠然と考へてゐるのは、日本のアニメが歴史的に育んできた記号性の純化したもの、といふものです。目が大きい、とか、頭が大きい、とか、メガネとかネコ耳とか、ドジッ子とかツンデレとか・・・まぁ、さういった記号性の純化されたもの、それが“萌え”ではないか、と。
記号性が純化される、とはどういふ事かといふと、いはゆる内面性みたいなものが希薄化され、ペラペラの記号性のみの人格になる、といふ事です。私のイメージで言へば、『ガルパン』とか『アルペジオ』に出て来る女の子たち、みたいな感じ。ああいふのって、ああ萌えだなぁ、とか私は思ふのです。でも、あまりにペラペラに記号的過ぎて、私はちょっと惹かれない。やっぱ、ヲタクの方々は、女の子に不透明な内面性とかあったら鬱陶しいのかな、とか思ったり。
こんな事を書くと、萌え批判、みたいに思はれるかもしれませんが、さうではありません。たとへ“萌え”がペラペラの記号性の事であったとしても、それはそれで過激な意味を有すると思ふのです。それはキャラを象徴性として扱ふといふ事で、象徴劇としての特性を持つアニメ(やマンガ)の可能性を過激に押し進めたもの、とも言へるのではないか。(ペラペラの記号性に豊穣な意味を与へるのは、象徴に対する深い理解と、感受性、そして想像力だと思はれます)
ま、それはともかくとして、私個人の好みで言へば、記号性と内面性のバランスがとれてゐる(と私が感じる)ものが好きで、それはやっぱ『けいおん!』の唯ちゃんとかだな。だから私にとって、『けいおん!』は萌えアニメではないですよ。いはんや『この世界の片隅に』に於いてをや。
すずさん、メチャメチャ可愛いけどね。
ヒマだ。毎年12月の始めはヒマだけど、今年はより一層、ヒマだ。お客さんの居ない店内を見回しながら、何杯目かの珈琲を飲んでゐると、世界中から忘れ去られてゐる様な気分になってくる。なぜ、誰も来ないのか。なにか、うちの店には足らないのだらうか。
「誰でも何かが足らんぐらいで この世界に居場所はそうそう 無うなりゃせんよ すずさん」by 白木リン
誰か、この世界の片隅に、オパールを見つけてくれんかねぇ。
]]>
倉敷に行って参りました。これは、まぁ、恒例のお義母さんを旅行に連れて行くシリーズのひとつな訳ですが、多分、今まで色々連れて行った中で一番喜ばれました。うーむ、高齢者の人の心に訴へるものがあるんでせうねぇ。
私はむろん初めてだったのですが、いはゆる美観地区は想像以上に整ってゐて、ビックリ。川船が往き交ふ倉敷川の川辺には、ズラリと柳が植ゑてあり、建物はみんな背が低く、倉や町家が建ち並ぶ。かの有名な“なまこ壁”や“塗屋造”が目を惹くし、洋風の建物も、みんな“西洋館”と呼びたくなる様な代物ばかり。まるで、映画のセットだな・・・と思ったのですが、案の定、映画やドラマの撮影なんかによく使はれるさうです。映画『るろうに剣心』とか(あぁ、あれか!)。
こんな感じ
阿智神社そのものが良いんです。本殿の発する気も厳かだし、能舞台や相撲の土俵、遥拝所や市内を一望できる絵殿、むろん石群と立派な藤の木・・・と、小宇宙感が素晴らしいのです。さう、藤の木。これは阿智藤と呼ばれ、樹齢は500年以上と推測される立派なもの。凄く巨大で、今の時期は枯れ木みたいですが、五月には満開の藤の花が咲くとか。それは壮観であらうなぁ、と溜め息がでるほどのもので、その藤の木の実を入れたお守りが売ってゐて・・・名付けて不死身(藤実)守り。これ、もちろん買ひましたよ、ウメドンのために!
倉敷に行ったら、なにはともあれ、阿智神社に行く事をオススメしますね。
あと、倉敷の重要スポットとして・・・cafe gewa(カフェ・ゲバ)があります。さう、オオヤさんの(?)カフェです。ここには一度行かねば~、と思ってゐたので、念願のカフェゲバ詣りです。うむ、想像してゐた通りの、ゆる洒落たお店で、如何にもオオヤさんらしいテイストに溢れてゐました。旅先で、オオヤさんの珈琲が飲めるとは・・・幸せですね。
ここにも、倉敷に行ったら是非立ち寄る事をオススメします。林源十郎商店内にあるので、すぐ分かりますよ。
MOVIX京都で『ジャック・リーチャー NEVER COME BACK』を観ました。前作の『アウトロー』は劇場で見逃したんだけど、後からビデオで観て、メッチャ面白い!これ劇場で観たかったー!と、後悔したので、これは早速に劇場に駆けつけたのです。
前作を観た時に、おお!リバタリ魂爆発!イーストウッドの後を継ぐのはトム・クルーズなのか!・・・と驚いたのですが、今回も、さらにリバタリ魂はヒートアップ。映画の撮り方としては、前作にあったなんとなく古めかしい一風変はった雰囲気は一掃され、割と今風のアクション映画っぽいものになってゐるんだけれど、それでもこのリバタリ魂ヒートアップの故か、前作に勝るとも劣らない面白さで楽しめました。
今回はコビー・スマルダーズ演じるターナー少佐といふのが出て来て、これがいい。美人で頭が良くて、強い。正義感も責任感もしっかりした、完璧に自立した女性で、彼女とジャック・リーチャ-(トム・クルーズ)が一緒に行動するのだけれど、なかなかうまくいかない。なぜなら、一匹狼のリバタリ野郎(ジャック・リーチャーのことね)って、マッチョだし、他人とのコミュニケーションも下手だから、完璧に自立した強い女性との付き合ひが、できないんだよね。お互ひ、惹かれ合ひながらも、反発の方が大きい。それでも、なんとか折り合ひをつけてやっていかうとする・・・そこらが、実にいい感じで描けてゐます。
なんていふか、この映画のリバタリ魂って、イーストウッドのそれより、さらに純化されてゐるといふか、時代故の進化を遂げてゐると思ふのです。イーストウッドの場合は、なんやかんやいっても女性にモテモテだし、自身は組織に属してゐたりして、それなりに社会における自分の居場所を見つけてゐる。対して、リーチャーは、他人とほとんど関はらない。社会とも関はらない。家も定職もお金もなく、着の身着のままで、放浪生活を送ってゐる・・・。リバタリ魂とか一匹狼とかって、中二病的な所があると思ふんだけど、それがより分かりやすい形で出てるのが、ジャック・リーチャーだと思ふんですね。だってこれ、現実に居たら、自分はひとりで何でもできると信じてるホームレスだよ。他人や社会と上手くやっていけないけど、それは自分がひとりで何でもできるからだ、実はやればなんだってできるヒーローなんだ・・・と妄想してゐる中学二年生。最後にヒッチハイクで去っていくリーチャーを観てゐると、その中二病感炸裂に思はず強烈に頬が緩んでしまひました。リーチャー、いいわー。(もしかして、リーチャーって中年童貞?)
リバタリ魂も、時代と共に変化する。現代社会では、中二病的なものに変化してると思ふのです。それをトム・クルーズは鋭く捉へてゐる。ラストの拳骨ファイトとか、イーストウッド的なものを確実に引き継ぎながら、それに対する批評も感じさせる。
やっぱイーストウッドの後を継ぐのはトム・クルーズかもしれん。と、その想ひを強くしたのでした。
多分、本年度最後のラストボム、劇場アニメ『この世界の片隅に』を観に行きました。シネリーブル梅田にて。
これは随分と前から話題になってゐた作品で、公開と同時に絶賛の嵐。公開館が少ないから、どこも連日パンク状態・・・とすでに騒ぎになってゐる中、なんとか時間をやりくりして観に行ったのです。
やー、観に行ってよかった。むろん、お話もいいのですが、なによりアニメーションが凄い。空爆シーンにはほんとに度肝を抜かれた。これ、下手な実写の戦争シーンよりよっぽど凄いよ。ほんと、スクリーンで観るべき映像。
あ、これ戦時下の広島・呉に居た一家を描いた作品なんですね。所謂戦争もの・・・と言ふと、すぐに「悲惨・・・」「暗い・・・」「気が滅入るから観たくない・・・」となる人も多いと思ふのですが、この映画はちと違ふ。戦時下でも、楽しく素敵な日常はあった、といふのを描く作品なのです。
なので、むろん悲惨な出来事はたくさんありますが、不思議な明るさに満ちてゐる。笑ふシーンも多いし、純粋に観てゐて楽しい。この世に生きてある、といふ事の肯定感が胸を討つ・・・とでも言ひますか。
普段アニメに興味のない人も、みんな観たらいいと思ひます。オパール的には、あのアニメ嫌い(?)のマツヤマさんが「めちゃ良かった!感動した。もう一回観にいく」と言ってる事からも、その凄さが伝はるでせう。
ああ、私も(今度は大スクリーンで)もう一回観たい!!!
オーソン来店。オーソンはホラー映画好きで、「ロブ・ゾンビの『31』がどこでもやってないんすよー(泣)」とか「今度『ザ・ギフト』を観に行くんですよー(嬉)」とか、そんな話が多いんですが、それと関係があるのかないのか、日常生活で結構恐い目にあってゐます。
]]> 最近でも、オーソンの住んでゐるマンションの廊下に、やたら髪の毛が散らばってる事があるみたいで・・・先日、マンションの管理会社から各戸に「廊下で散髪をするのは止めてください」といふチラシが届けられたみたいなんですが、なるほどあれは散髪した髪の毛だったのか、と納得したものの、誰がやってるかは分からない訳で、それはそれで恐い。何故かオーソンの部屋の前の廊下の電燈がずっと切れてゐるらしく、毎日仕事を終えて夜に帰ってきたら、自分の部屋の前は真っ暗な訳で、そこで誰かが散髪してたらどーしよ!と、戦々恐々として部屋に帰る日々だとか。他にも、学生時代にヒッチハイクをした時の話を聞いたんですが(そもそもヒッチハイクをするのが凄い。さすがホラー好き。私は絶対にやだな)、乗せてくれた軽トラのをぢさんが、やたら太腿を触ってくる、と。そして「先日も自転車で全国を廻ってるといふ男の子を乗せてあげたんだけど、その子はずっと自転車に乗ってるから、足と足の間が擦れてて怪我みたいになっててねぇ。見てて可愛そうだったよ」などといふ話をされるので、オーソンは恐怖に震えつつ、でも目的地の駅はもうすぐだし・・・と我慢してゐたら、何故か駅はすーっと通過してしまひ、「ボクの家はすぐそばだから、ちょっと休んでいきなよ」と言はれたので、さすがに限界!と思ひ、赤信号で止まった時に、ドアを開けて飛び降りて、走って逃げたとのこと。
うーん、さすがホラー映画ファン、さぞかし毎日が楽しいだらうねぇ。
「いや、そんな事ないですよ!実際に自分が恐い目にあふのは嫌です!恐いのは映画の中だけで十分です!」
さうなの?ワガママだなー。
ちなみに私はホラー映画やっぱダメですが(恐がりだから)、ホラーマンガは最近は読める様になってきました。ってか、今一番はまってゐるのがホラーマンガでして・・・ひよどり祥子の『死人の声をきくがよい』です!
これ、メチャメチャ面白い。こんな事を言ふと褒め言葉にはならないのかもしれませんが、ちっとも恐くないし、ただひたすら面白い。絵もいいし、基本一話完結の話が続くのですが、どれもこれも良質な幻想小説の様な趣きがあります。加へて、萌え要素(?)もあるし、ギャグのセンスも秀逸。現在最新刊8巻まで読みましたが、ちっともテンション&クオリティが落ちてない。凄いわ。強力にオススメですよー。
文楽、夜の部に行ってきました。今回の(個人的な)目玉は『酒屋』。「今頃は半吉っつぁん・・・」で、有名な『酒屋』ですが、蓑助が出るとの事で、蓑助のお園が観られる~!と喜び勇んで出掛けたものの、芝居が始まってすぐに、三勝で蓑助が登場。ええ??と一瞬頭が真っ白になったんですが、ぢゃぁお園は誰が・・・と思ってゐたら、勘十郎でした。
いや、これはちゃんと配役を調べずに行った私が悪いのですが・・・。むろん、勘十郎のお園も悪くはなかった、とはいふものの、やっぱちょい元気が良過ぎる様な・・・、蓑助、やっぱもうお園とかムリなのかなぁ・・・。
その後は『勧進帳』。文楽で『勧進帳』なんて初めて観ましたが、花道まで作って、最後は飛び六法を玉男が決めたりしてなかなかに面白かったとはいふものの、やっぱ『勧進帳』は歌舞伎だよなぁー、と思ひました。義太夫がなぁ、良くない。うむ。
久しぶりに、歌舞伎が観たくなった様な・・・。
うのぴ来店。実は・・・と少し恥ずかしさうに笑ひながら、近頃は毎週アニメを見るのが楽しみで・・・と言ふ。おお!さうなんだ。で、一体何を観てるの?
「まづ『三月のライオン』です。これはシャフトの作品なので、なんていふか表現が凄いんですよ。もちろん、話も面白いですけど。あとは『エヴァ』の再放送。『エヴァ』を見るのは初めてなんですが・・・こんなに面白いとは!ほんとに、『シン・ゴジラ』にそっくりですね。みんなこれの事を言ってたのかー、と。」
うーむ。うのぴは歌舞伎に文楽、落語にハマりつつ、映画も観て、ジムにも通って、さらにそこにアニメが加はったら、もうホントに時間がないんぢゃない?ソウルのレコードとか、買ってる?
「この間、ユニオンのセールで欲しいやつゲットしましたけど」
・・・凄いな。私は、もうレコードなんてここ2年くらゐ買ってないよー!!!(お金、ないしね・・・)
可能涼介来店。ちゃうど私は店に居なかったので、会へなかったんだけど、山田詠美さんの新刊『珠玉の短編』をいただきました。なんとサイン入り!わーい、ありがたう。山田さんはこの中に入ってる一編で川端康成賞を受賞しました。もっとも優れた短編に与へられる賞。確か、最も優れた長編に与へられる谷崎賞も獲得してたはずで、なんか凄いね。可能によれば、もう賞は穫り尽くした、さういった意味で頂点を極めた、との事。山田さんがね。うーむ、凄い。
で、そんな可能ですが、なんと!『聲の形』を知らなかった。・・・てのは、まぁ、アニメに興味がないんだから仕方ないかもしれないけれど、『君の名は。』まで知らなかったといふのは、どうか。単なるアニメの枠を超えた、文化的現象にまでなってるよ、この作品。いくらなんでもそれぐらゐ知ってないと・・・てか、可能が知らない、ってのはちょっと信じ難いんだけど。だって・・・(以下略)。
で、その『君の名は。』なんですが、衝撃的な事実を先日知ってしまった。なんと!監督の新海誠の奥さんが・・・成宮さんだったのです!!!
いや、今は名前を変へて三坂知絵子さんとなってゐますが、私にとっては、成宮さんの方が親しみやすい。昔は、京都に来た時はオパールにも寄ってくれたけど、最近はすっかり来なくなっちゃったなぁ・・・とか思ってゐたら、なんと新海誠と結婚してゐたとは・・・。なんか凄いなぁ、今や新海誠は日本を代表するアニメーターだよ。・・・あ、さういへば、先日はレビューにて「『君の名は。』なんてどこがそんなに面白いのかわからーん!」などとホザイてしまってすいませーん!まぁ、私の意見なんて屁みたいなもんですから・・・。
『響け!ユーフォニアム』の2期、観たいなぁ・・・。(トモコは『ユーリ!!!on ice』が気になる様ですが)
]]>国立国際美術館に「ヴェネツィア・ルネッサンスの巨匠たち」展を観に行きました。これは日伊国交樹立150周年特別展と銘打って、アカデミア美術館の所蔵するルネッサンス期のヴェネツィア絵画を一挙公開!したもの。
ティツィアーノの『受胎告知』が日本初公開!として目玉になってゐますが、まぁ、確かに見応えのある絵は何点かあるものの、全体としてはなんとなく喰ひ足りない、満足度の低い絵画展でした。あくまで個人的感想ですが。
しかし、これもメチャ個人的感想なのですが、ひとつ「おお!」と眼を惹く絵があったのです。それはヴィットーレ・カルパッチョの『聖母マリアのエリサベト訪問』です。が、この話をする前に、先日の法隆寺の話をしなければなりません。
ぢぁあ、中門の真ん中のあの柱はなんなんだ、といふ事になる訳ですが、うーん、なんなんでせうね。法隆寺の西院は、五重塔と金堂が横に並列して建ってゐるのでも有名なんですが(これも他にはない配置らしい)、このドーンと高い塔と、こんもりとした金堂の並列配置、これを中門から観ると、左に細くて高いもの、右に丸くて低いものがあって、見た目のバランスが悪い。今はこの二つの建物の奥に講堂があって、なんとなくバランスをとってゐるのですが、建造当初は講堂はなかったらしい。となれば、なんとなく空間が締まらなくなるのを引き締めるために、中門の真ん中に柱を建てたんぢゃないか・・・といふバランス説といふのがあって、まぁ、これが無難かな。と、漠然と思ってゐました。ので、それを自分の眼で確かめるためにも、中門を観たかったんだよー。(正確には中門からの眺めを確かめたかった)
それはともかく。前説が長くなりましたが、ヴィットーレ・カルパッチョの『聖母マリアのエリサベト訪問』です。この絵、左側に高い塔が描かれ、右側に低い建物が描かれてゐるのです。そして、画面の真ん中には二人の女性が寄り添ふ様に、丸で一本の柱の様に屹立して描かれてゐるのです!
私はこれを観て、おお!これは正に法隆寺西院と同じ配置!バランス説は妥当かも!と興奮したのでした。
ま、そんな感じー。
シネ・リーブル梅田にて『ダゲレオタイプの女』を観ました。これは黒沢清が単身フランスに行って、フランス人の役者を使ひ、フランス人のスタッフを駆使して作った、黒沢清初のフランス映画。といふ事で話題になってゐる作品です。
最初期の写真装置「ダゲレオタイプ」を、現代でも使ひ続ける有名写真家とその娘、そこに助手としてやってきた青年、の間で進行する現代のゴシックホラー・・・といった映画なのですが、なんつーか、フランス映画であるにも関はらず、どっからどう観ても、黒沢清の映画となってゐます。
うーん、黒沢清って、しっかりと独自のスタイルがあり、それはどこに行っても揺らがないんだなぁ、と感心する一方で、せっかくのフランス映画なのにいつもと同じやん!といふ密かな不満もあり、見終はっても、なんだかモヤモヤとしたものが残る作品でもありました。むむー、カッコいい映像はたくさんあるんだけどなぁ、なんか・・・もうちょっと欲しい様な。
それはともかく。観てゐて一番びっくりしたシーンは、ヒロインが階段を転がる棒の様に回転しながらゴロゴロと落ちてくるところ。うわ!今の大怪我だよ!と肝を冷やすほどの派手な転がり落ち方で、多分『回路』の時のビルから落下シーンみたいにうまくCGとか使って撮ってゐるんでせうが、びっくりしました。凄いシーンです。
ここで私がゆくりもなく思ひ出したのが、アニメ『君の名は。』でのヒロインの坂道転がり落ちシーン。あれも転がる棒の様にゴロゴロと回転しながら派手に坂道を転がり落ちていくので、その迫力や動きに圧倒されました。
人間が転がり落ちるって、凄い事だなぁ。
私の中では、このシーンで、『ダゲレオタイプの女』と『君の名は。』は同じカテゴリーに入ったのです。ヒロインが転がり落ちる映画。他には、どんな映画があるかなぁ。
信貴山に行って参りました。信貴山と言へば『信貴山縁起絵巻』。鉢がUFOの様にピューっと飛んでゐたり、可愛らしい剣鎧護法童子がピューっと車輪と共に空を駆けてゐたりと、見てるだけで楽しい絵巻物で、日本のマンガのルーツともされる一品。ちなみに国宝です。この絵巻物を所有する朝護孫子寺に行ってきた訳ですが、まぁ、むろん本物は奈良の博物館あたりにあるので、ここにあるのは模写。模写でもいいやん、どうせ見られるかどうか時間的に微妙なんだし・・・といふ予想通り、やっぱり時間なくて絵巻物は見られませんでした。はははー。
]]> いや、そんな事は別にいいのです。朝護孫子寺は日本に初めて毘沙門天が現れた寺、とされてゐて、つまりそんだけ古い。由緒もある。山の上にあるといふ事もあって、その俗世間と違ふ時間の堆積が、なんともいへない“いい感じ”を漂はせてゐるのです。まぁ、ポケモンは居るみたいですが。あ、あと忘れてはならないのが剣鎧護法童子のお堂。剣鎧護法童子は醍醐天皇の病を治したとかで、身体健康・病気平癒の御利益があるとされてゐます。(山岸涼子の『日出処の天子』では、物部氏との闘ひの時に、厩戸に呼び出されて戦闘をバックアップする存在として描かれてゐました)
つまり・・・ウメドンの病気平癒を祈願してきましたよ!ウメドン、早く良くなれよ。
法隆寺にも行ってきました。世界最古の木造建築、日本で最初の世界遺産・・・と、超絶有名な法隆寺ですが、実は私は行った事がありませんでした。なんか、斑鳩って微妙に離れてゐて遠いでせう。
しかし、20年以上振りの『日出処の天子』再読・再熱狂を機会に、ここで行かねばー、となって行ってきたのです。
季節はバリバリのシーズンオフ。いくら人気の観光スポットとはいへ、今の時期なら大丈夫だらう・・・などと思ってゐたら、甘かった。確かにシーズンオフではあるのですが・・・それはつまり、修学旅行の時期でもある訳です!
もう、小・中・高、何十校もの学校の生徒がゾロゾロ、ウヨウヨと・・・。
まいった。個人的には、最も見たかったもののひとつである西院伽藍の中門が工事中であったのも、まいった。これについては、またいづれ書きます。
とはいへ、やっぱ法隆寺は素晴らしかったわ。大宝蔵院百済観音堂にある玉虫厨子や百済観音像は圧巻だったし。5年後に、法隆寺の50年に一度のお祭りがあるみたいなので、その時にはまた是非訪ねたい、と思ったのでした。
法隆寺から歩いてちょっと行った所に藤ノ木古墳があります。ここは昭和の発掘調査で、なんと未盗掘であったと話題になった所。大量の豪華な埋葬品が発掘され、それらからかなり高貴な身分の人の墓だったのではないか、と推測されるものの、被葬者が誰かは未だ謎の古墳です。
しかし!なによりここが衝撃的なのは、どうやら被葬者は二人居て、それもひとつの棺に二人が収められて居たらしいこと。そして、その被葬者はどちらも男性の可能性が高い!との事なのです。おお、これはBL古墳!
などと書くと、真面目な方々から叱られさうですが、男性二人、しかも片方はどうやら女装をしてゐて、ひとつの棺に仲良く収まってゐる・・・となれば、妄想が走らずにはをれません。
そこで、リヴァイ兵長に壁外調査に行って貰ふ事になりました。
兵長!どうですか?
「オレにはわからない・・・」
・・・ま、そっすよね。
周囲をコスモスで飾られた、こじんまりとした公園みたいな所で、なかなか気持ちのいい所でした。
]]>MOVIX京都にて『ハドソン川の奇跡』を鑑賞。2009年1月15日、ニューヨークを飛び立ったばかりの飛行機(USエアウェイズ1549便)が鳥の群れと衝突、左右の両エンジンが停止してしまったがために、もとの空港に戻らうかとしたが、それはムリと判断した機長(サリ-)が、そのままハドソン川に不時着。乗員155名全ては無事であった・・・といふ実話の実写化。
正直言って、題材的にあまり惹かれる所はなかったのだけれど、まぁ、イーストウッド監督作だし、大丈夫か・・・と思って臨んだら、やはり大丈夫でした。さすがイーストウッド。信頼できるわー。
やっぱそれはイーストウッドの問題意識がクリティックだからだ、と私なんかは思ふんですね。前作の『アメリカンスナイパー』とか『ミリオンダラーベイビー』とか、イーストウッドの作品はよくアメリカを二分する様な論争に発展する事があります。それは彼の問題意識がクリティックで、みなが反応せずにはをれないからだと思ふのです。
今作の主人公のモデルになったサリー機長は、実際にアメリカでは英雄らしいです。確かに彼のやった事は凄いし、アメリカで英雄になるのは分かります。が、それに対してイーストウッドがこの映画でやった事は、サリーは本当に英雄なのか?といふ問ひかけです。そして、そんなもんじゃないよ、とイーストウッドは答へてゐるのです。といっても、サリーを否定してゐる訳ではありません。英雄の真実を暴く!などといふスキャンダリズムとも無縁。イーストウッドの言ってゐるのは、サリ-は英雄などといふ我々から隔絶した存在なのではなく、ひとりの立派な職業人だ、といふ事です。そして、立派に自分の職務を成し遂げる人はみんなサリ-と同じなんだ、といふ事です。
ここで描かれるのは、自分の職務を誇りと責任を持ってやり遂げる人間の姿です。変に盛り上げる事もなく、淡々と職務を遂行する様が描かれる。そして、組織と個人が対立した時、その個人が自らの職務を遂行してゐたのなら、それは絶対に個人が正しい。個人を支持すべきだ、といふのが、イーストウッドのリバタリとしての考へ。この視点にブレがないから、常にイーストウッドの作品は面白いんだよなぁ。
途中、サリーがビルに追突する飛行機を幻視するシーンがあるのですが、あそこ、イーストウッドっぽくて好き。凄くリアルに描いてゐる。そして、ラストのあっさり感もとても気持ちよかったです。
実をいふと私、トム・ハンクスが苦手なんですね。特に顔とか。故に、この映画を観た人がみんな、今回のトムはイーストウッドそっくりだった!とか言ふのに納得いかず。さうかなぁ?全然違ふよ!
TOHOシネマ梅田にて『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK』を鑑賞。『レット・イット・ビー』以来46年ぶりの公式ドキュメンタリーといふ事らしく、監督はロン・ハワード。ビートルズがツアーをしてゐた頃の事を、その時に世界で起こってゐた事柄と絡めて描いた作品。年齢層の高い観客の人々に囲まれての鑑賞となりました。(とかいって、我々も十分歳喰ってますが)
私は子供の頃、中学生くらゐまではビートルズのファンでした。故に、ここに描かれてゐる様な事は大体知ってゐるし、映像的にも既視感溢れるものが多かったのも事実。が、ビートルマニアと言はれる様な熱心なファンではなかったので、どの映像が初出の珍しいものなのか、といふ事までは分からない、といった感じです。
そんな私が、「おお!」と思ったのは、アメリカ南部ゲイターポールでのコンサートの話。この頃のアメリカ南部では、まだ人種隔離政策が行はれてゐて、白人と有色人種が同じ場所に行ったり、同じものを使ったりできない状態でした。当然、コンサートも白人と有色人種の席は別。席のみならず、トイレも売店も全て別といふ状態。これを知ったビートルズの面々は、人種隔離なんてナンセンスだ!そんな事をするならコンサートはやらない!と突っぱねたといふのです。会場側との間にたって頭を抱へるブライアン・エプスタインの写真が挟まります。で、結果としてビートルズは自分たちの主張を通し、会場に人種隔離をやめさせた。これが最初の事例となって、以後、徐々に人種隔離を行ふ会場はなくなっていった・・・との事なのです!知らんかったー。
ここで紹介されるのは、4人がグループとして意思表示をする時は、常に全員の同意を得てからにしてゐた、といふ事実。誰かひとりがリーダーシップをとって決めるのではなく、不賛成のメンバーを押さへこんで決めるのでもなく、4人全員の同意を得てから決める。だから意思表示が強固だったし、何かあっても全員が全員を守る形になってゐた。ここでも、人種隔離反対は4人全員の意志であった、と。
そこでもうひとつ、かの有名なジョンの「キリスト発言」のエピソード。これはジョンが、さるイギリスの雑誌のインタビューで、「いまやボクたちはキリストより人気がある」と答へたのが、アメリカの雑誌に転載され、原理主義的キリスト教徒の多いアメリカで社会問題化。大規模なビートルズボイコット運動に発展した、といふものです。この渦中にアメリカツアーを行はなければならなくなったビートルズの面々は、アメリカで釈明会見を行ひます。この時の映像は有名で、私もジョンが釈明するシーンは今までに何度も観てきてゐました。が、今回はちょっと長い映像。そして、むしろジョンよりポールの方がアグレッシブに発言して、ジョンを擁護する様が映ってゐるのです!
これを観て、ああ、彼らはこの時、ほんとに仲が良かったんだなー、とちょっとグッときました。後年、泥沼の解散劇を演じたため、どうしても仲の悪いイメージが潜在してしまふ彼ら(特にジョンとポール)ですが、この頃は本当に仲が良く、団結してゐた。むろん、初期の頃の仲睦まじげな彼らの様子は、イメージとして定着してゐますが、それは対外的なものではなく、本当に彼らは仲が良かった。陽気でやんちゃで機知に溢れ、自己憐憫がなく、どんなにハードな状況でも4人でふざけながら乗り切っていく・・・そんな彼らは、ほんとに、美しい!と、しみじみと思ったのでした。
この上映には、おまけとしてシェイスタジアムでの彼らのライブ映像がついてきます。4Kリマスタリング、との事で、それなんぼのもん?と思ってゐたら、愕然とするくらゐキレイな映像。音もいい。肘で鍵盤を弾くジョンにしびれまくりましたー。
9月27日19時からのMOVIX京都での『聲の形』は、スタッフトークショー付き上映。映画の上映の後、なんと山田尚子監督と、西屋太志(作画監督&キャラクターデザイン)のトークショーがある!との事で、トモコと共に行ってきました。
山田尚子監督の方は、最近ちょくちょくメディアでも顔写真を観る事があるのですが(『聲の形』のパンフレットにも出てます)、西屋さんの方は見た事がありません。『氷菓』や『Free!』の、あの流麗な作画をしたのはどんな人なのか?また、写真で観る限り凄く可愛らしい山田尚子監督の実際はどんな感じなのか?と、下世話な興味津々で臨んだ、といふ次第です。
9月28日は私の誕生日でした。が、朝から雨でお客さんが全く来ず。んー、天に祝福されてないなぁ。・・・仕方ないので『ハケンアニメ』辻村深月著を読んで過ごす事にしました。
これはアニメ業界を舞台にとった小説です。幾原邦彦がモデルとなったアニメ監督が出て来る・・・といふので発売当初話題になり、私も慌てて買ったのですが、案の定そのまま放置されてゐたのを、先日『ユリ熊嵐』を観たことで幾原邦彦熱が再燃し、さういへば・・・となって積ん読の山から発掘したのです。
・・・むむー、めっちゃオモロいわー。私はアニメに関してまだまだ素人同然なので、制作の現場や業界の事情の事など何も知りません。故に、へー、さうだったのかー、と勉強になることしきりで、まづそれだけでも面白い。動画と作画の違ひとか、初めて知ったわー。
お話も、なかなか巧みで・・・私は辻村深月の作品は初めて読みましたが、上手いですね。上手過ぎて、最後はちょっと世界が閉じ気味か・・・とも思ったのですが、いやいや、そんな事は些事である、といふぐらゐ面白かったです。
ところで・・・この小説、クライマックスであるお祭りの、川下りの話が出て来るのですが・・・この川下りの日がなんと、「九月二十八日」。・・・え?九月二十八日って、私の誕生日やん。ってか、正に今日やん!
この時、私の頭の中にはポリスの『シンクロニシティ』が流れたのであった・・・。
まぁ、それだけなんですけどね。
アニメ『ユリ熊嵐』のED曲『TERRITORY』といふのがあるのですが、これがなかなかにいい曲で、特にサビの部分で「私の中のモジュール~」って歌ふ所がいい!歌詞がかっこいい!と思って、CDまで購入して歌詞カードを見たら、「私の中の猛獣~」でした・・・。
まぁ、よくある空耳問題です。こんなのはホントによくあって、最近でも『腐男子高校生活』といふアニメがあって、それのテーマ曲『SEKAIはボーイミーツボーイ』の中の一節に「語りたい!~」ってのがあるのですが、それを「肩痛い!~」と空耳してゐる人をネット上で見かけました。う~む、うまいこと空耳したもんだなぁ。
で、それ以来、『SEKAIはボーイミーツボーイ』を聴くと、どうしたって「肩痛い!~」と歌ってる様にしか聞こえなくなってしまったのです・・・。
脳ってやっかいやわー。
アニメ『ユリ熊嵐』全12話を観了いたしました。これは幾原邦彦によるオリジナルアニメで、『少女革命ウテナ』『輪るピングドラム』に続く3作目。幾原邦彦は、私の最も新作を待望するアニメ作家の一人で、2015年にこの『ユリ熊嵐』が放映された時は、人生で初めてテレビを持ってない事を後悔しました。
で、やっと観た『ユリ熊嵐』。幾原邦彦作品は、その象徴性の高さと独特のスタイリッシュさで難解をもってなるものですが、この『ユリ熊嵐』は全2作に較べて、圧倒的に分かりやすい。こんなに分かりやすくていいのか?話数も、前2作より随分短いし・・・と、最初は些か物足りない気持ちで観てゐたのですが、やはり後半になるとグググーっと惹き付けられ、ラストでは茫然として感動しました。やっぱ凄いわ・・・。
今回は『ユリ熊嵐』について、ちょっと書いてみたいと思ひます。
さきほど私は、この『ユリ熊嵐』は『ウテナ』『ピンドラ』に較べて圧倒的に分かりやすい・・・と書きましたが、それは『ウテナ』『ピンドラ』を観てきたからこそ、といふ側面があるかもしれません。といふのも、幾原邦彦は芸術家肌といふか、描きたいテーマがしっかりあって、全ての作品はその変奏である、とも言へるからです。出て来る用語も、“箱”“透明”“運命”“約束”・・・と重複してゐる。故に、『ウテナ』『ピンドラ』を観た眼でみると、かなり分かりやすいのだと思ふのです。
むろん、幾原邦彦の持つテーマは幾つかあるのですが、この作品では“現代人は愛し得るか”とでも言ったテーマが全面に出てゐると思はれます。近代的自我といふ“箱”によって護られて“個人”となった現代人。“箱”によって護られるのは安心だけど、“箱”によって隔てられてゐるが故に他人と真に接する事ができず、孤独だ。孤独は嫌だ・・・けれど、“箱”を壊されるのは、恐いし、傷つきたくないし、自分を否定されたくないし、権利の侵害は許せないし・・・で、それも嫌。ならどうやって“愛”は可能なのか?
「私たちはあなたたちが最初から大嫌いで、最初から大好きだった。だから本当の友だちになりたかった。あの断絶の壁を超へて。(←うろ覚へですが、大意はこんな感じ)」といふセリフが繰り返されるのは、このテーマを表してゐると思はれます。
さて、この『ユリ熊嵐』の世界では、熊の世界と人間の世界があって、それらは断絶の壁によって隔てられてゐます。そして、熊と人間は、お互ひを敵として争ってゐます。そんな世界で、如何にして熊と人間は友だちになれるのか・・・といふお話。
熊は人間を食べます。相手の自我をぶっ壊して、自分と同化させ、孤独を埋める方法です。これに対して、人間の世界では、透明になる、といふ方法が選択されてゐます。自我を透明にして、ない事にして(もともと“ない”のなら、自我は傷つかない)、みなと同化して孤独を埋める方法。故に、熊の世界と人間の世界の狭間にある“断絶コート(法廷)”では、「あなたは透明になりますか?それとも人間を食べますか?」と問はれるのです。
しかし、どちらの方法を採っても、そこに“愛”はない。本当の意味で、孤独は癒されない。自我を護っても(熊の方法)、自我を無化しても(人間の方法)、それは“愛”へと至る真の解決法ではない。では、どうすればいいのか?
むろん、“第三の道”を採るのです。正と反、肯定と否定、陰と陽・・・などの二元論を超へるには、正であり反、肯定であり否定、陰であり陽、大好きであり大嫌い・・・といふ第三の道を行く。それがあらゆる神秘思想の要諦で、この世を超へる事です。そして、第三の道を行ったものは、この世から消へてしまふ・・・これも、幾原邦彦が全てのオリジナル作品で繰り返し描いてきた事です。この『ユリ熊嵐』でも、それは描かれ、我々は茫然として感動するのです。
ところで、私が『ユリ熊嵐』を観て、最も心動かされた点は実は別にあって、それはこの作品が、実は『クマのプーさん』の続編ではないか?といふ点です。正確には『プー横丁にたった家』の続編。まぁ、クマと人間の話だし、みるん王子、といふキャラも出て来るので、あながち的外れでもないかと。
『プー横丁にたった家』のラストで、ロビンは、大人になるからもう一緒に居られない、とプーさんたちに別れを告げます。そして、いつか戻ってくるから待っててくれる?といふロビンに対して、プーさんは「ボクまってます」と答へるのです!!・・・私はここを読むたびに泣けて泣けて・・・プーさん、待っててくれてるんだ・・・。
『ユリ熊嵐』では、小熊の銀子と、少女の紅羽が、真に幸福な時間を持ちます。が、時を経て、彼女たちは断絶の壁に引き裂かれ、長じてから、敵同士となって相見へる事になるのです。その間、“スキを諦めなかった”のが熊の銀子だった、といふのも、ズッと待ってゐるのがプーさん、といふのと符合する。人間は、忘れるからなぁ・・・。
だから、私はラストで、小熊の銀子と少女の紅羽が抱き合ってゐるのを見て、涙を禁じ得る事ができませんでした。茫然と感動。
これから私は、『クマのプーさん』ファンには、『ユリ熊嵐』を優れた続編として薦めようかと思ってゐます。ガウガウ。
ウメドンが肝硬変で入院した。しかも2ヶ月も!・・・にしても、肝硬変って・・・年齢的に早くないか?ウメドンって、まだ35歳だよ。まぁ、確かにウメドンは今年の始めから座骨神経痛に悩まされ、その後は膝に水が溜まって歩行困難になり、気分的にはずっと鬱気味でドヨ~ンとしてゐたけど・・・とても35歳の若者とは思へない。もしかして本当は53歳なのか?
などと騒いでゐたら、私の両親から衝撃的な事実を知らされた。なんと、私の父親の長兄は、35歳の時に肝硬変で亡くなってゐたのであーる!初めて知った・・・。
といふ事は35歳で肝硬変になるのは別に早過ぎない事になる。私の父の長兄は、お酒の呑み過ぎで肝硬変になったのだけれど、退院して来て迎へた正月。医者からは当然の事ながら厳禁されてゐたお酒を、正月なんだしちょっとくらゐなら・・・と口にしたがために、一週間後に亡くなったさうである。うーむ。
にしても、なんでウメドンは肝硬変なんかになったのであらうか?ウメドンはそんなにお酒は呑んでないはずだし・・・まぁ、過食で肥満気味ではあったけど(本人は「自分は小食!」と言ひ張ってゐたが)・・・と話してゐたら、私の父親が曰く「そら、ストレスやろ」。は?ストレス?・・・確かにストレスは身体に悪いだらうけど、なんでもかんでもストレスといふのは・・・。
しかし、私の父親が言ふには、自分は会社に居る間、ずぅっと肝臓値が悪かった。それで3度も入院したくらゐ。それが、会社を辞めた途端、一気に肝臓値が改善した。やはり一番悪いのはストレスだ・・・と。
まー、さうかも。
なんにせよ、ウメドンが退院して来たら、ウメドン用の(食事制限)メニューを考へねばならんだらうなぁ。
映画『スーサイド・スクワッド』をMOVIX京都にて鑑賞。これはDCのヴィラン(悪役)たちが集められ、飴(減刑)と鞭(身体に埋め込まれたナノ爆弾)で危険な任務を遂行させられる・・・といった『ニューヨーク1997』みたいな話で、マーゴット・ロビーによるハーレイ・クインの素敵過ぎるヴィジュアルを目にしてからといふもの、今年最も楽しみにしてゐた映画のひとつです。クイーンの『ボヘミアン・ラプソディー』を使った予告編も素晴らしく、今のDC映画には全く期待できないはずなんだけど、監督もデヴィッド・エアーだし、これは大丈夫のはず!と、期待値大で臨んだのですが・・・結果、かな~り微妙な作品でした。
]]> はっきり言って、期待はずれ。この一言に尽きる。ハーレイ・クインは良かったけど、他の連中がねぇ・・・。いやさ、一応極悪・凶悪な連中な訳だよ。それが無理矢理集められ、やりたくもないヤバい仕事を、自分の命を危険に晒してまで意に反してやらされてる訳だよ。だったらもっと不穏な空気が漂ってない?お互ひの事なんか信用してないだらうし、出来る事なら相手を出し抜かう、裏切らう、仕事だってまともにやる気はない、本当はサッサと逃げたいし、なんなら雇ひ主に復讐したい・・・とか思ってるはずぢゃない。それがなんとこの映画では・・・みんないい奴!すぐにみんな仲良くなるし、みんなで頑張って任務を遂行しような!的なユルユルな雰囲気。やたら自己憐憫的だし・・・なんだそれは?(ハーレイ・クインは除く)店が雨漏りして困ってゐるのですよ。いや、普通の雨なら別に何日降り続けようと雨漏りしないのですが、最近は規格外れの絨毯爆撃みたいな雨が時に降りますからねぇ、それがやってくると、漏る。それも、ポタポタポタ・・・てな可愛い奴ではなく、ザザーっと滝の様に漏る。ちゃうど入り口の所なのですが、たまたま入って来た外国人の方とかが「オオー!」と驚きの声をあげたりします。
とりあへず大工さんに見て貰ったのですが、さしあたり穴とかはない、と。ただ、もう瓦が随分と古いらしく・・・本来なら葺き替へた方がいいのですが・・・との事。うーん、さうかー、瓦で漏ってるのかー。しかし、瓦の葺き替へなんて、どんだけお金がかかるのかと思ふと、恐ろしくて。
一応、どうしやうもない瓦だけ替へて、あとは瓦の締め直しで対処しますか・・・といふ方向性で協議中なんですが・・・まぁ、なんにせよ、頭が痛いわ。うーん。
カラク来店。カラクは現在、東京に住んで仕事をしてゐるが、たまたまこちらに出張があったらしく、時間の合間を縫ってやって来てくれたのだ。カラクは、大学生の頃からオパールに通ってくれてゐる最古参の常連さんのひとり。そんなカラクが、かう言った。「京都の人は、マナーに厳しいですねぇ」
]]> なんでもカラクは本日、バスに乗って座席に座ってゐたらしいのだが、その時に自分の隣に荷物を置いてゐたら、さるヲバチャンに「座席に荷物置いたらあかんやないの!」と注意されたといふのだ。さらに、それは朝の話だったらしいのだが、今、オパールに来るのにもバスに乗ってゐたら、女子高生がスマホにかかってきた電話をとらうとして、さるヲバチャンに「バスの中でスマホはあかんで!」と注意されてゐたらしい。・・・うーむ、東京は巨大だから、色んな側面があるのかもねぇ。
9月6日火曜日。19時からMOVIX京都にて、劇場アニメ『聲の形』の試写会に行って参りました。
『聲の形』は京アニによる劇場オリジナルアニメで、今年最も楽しみにしてゐた作品です。監督が山田尚子、脚本が吉田玲子で、作画監督が西屋太志・・・と、最強の布陣。原作つきなのですが、この原作マンガがまた名作の誉れが高いらしく・・・いや、どんなマンガなのか私は全く知らないのですが、漏れ聞く所によると、どうやら聾唖者のマンガらしい・・・と、なれば!セリフではなく映像と演出によって物語を表現する事に長けた山田尚子監督のこと、これはきっと北野武『あの夏、いちばん静かな夏』みたいな作品になるに違ひない!!・・・と、勝手に盛り上がって劇場に駆け付けたのです。
が・・・実際に観てみると、想像とは全く違ふ映画でした。
テーマはむしろ“いじめ”といふ重いもの。これを軽やかに、ポップに、と言っても、軽薄や浅薄に流れることなく、しっかりと胸に刺さる様に語っていきます。主人公の声優が同じ入野自由といふ事もありますが、なんとはなしに『あの花』を彷彿とさせる。・・・が、あちらはケレン味たっぷりに、派手に情動を揺り動かす演出がなされてゐたのに対して、こちらは基本、抑へた演出。で、ここぞといふ所にアクセントを入れる。過剰に煽ることなく、盛り上げることもなく、しかし、確実に胸に沁み入る様な作り。
これは、象徴性の高い演出がなされてゐるからだと思ふのです。象徴性・・・色々とありますが、この作品で一番目立ってゐるのは、やはり“橋”でせう。
“橋”とは、或るものと他のものを繋ぐもの。お互ひにとって臨界点であり、変容の場所。エッジ。この作品でも様々な事が、橋の上で起こります。
出会ひがあり、別れがあり、象徴的な死があり、再生がある。そしてなにより、奇跡が起こる。
“橋”の下には“水”があります。“水”とは、感情。そこへの落下は、自らの感情の奥深くに降りていく事です。そこから浮かび上がる事によって再生を果たす・・・といふのは、同じく京アニ作品である『Free!』や『氷菓』などでも見られた演出ですが、それを、この作品では重層的に渋く描いてゐます。山田尚子やったなー!と、私は思はず唸りました。
にしても、冒頭のアレには意表をつかれたなぁ。マジかよ。いきなり上がっちゃったよ。・・・まぁ、映画『けいおん!』のラストや、元バンド少女だった、といふ山田尚子の過去を考へれば、想像がつく事ではあるのだけれど・・・。
『聲の形』の正式公開日は9月17日土曜日。私も勿論、公開してからまた観に行くつもりですが、みなさんにも強烈にオススメします。『シン・ゴジラ』と並んで、今年観るべき一本ですよ!!!
]]>