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2012年08月04日(Sat)

合邦 文楽

夏休み文楽特別公演に行ってきました。
私が行ったのは第2部。「伊勢音頭恋寝刃」で住太夫が出るからで・・・って、みなさん御存知の様に、住太夫は心労が重なって軽い脳溢血で倒れて休演。原因としては、例の愚劣な一件が関係してるのではないか、と言はれてゐる・・・って、やっぱどう考へてもさうだらうが?ゆ、許せん、橋下!

いや、文楽に対する補助金カットの件そのものに対しては、色々と意見もあるでせう。私自身の考へは、むろん補助金カットなぞ烏滸の振る舞ひとは思ふけれど、それでも、カット賛成の立場はあり得るとは思ひます。が、橋下のは論外。そもそも“文化”とか“古典”といふものが全く分かってゐないし、噴飯ものの頓珍漢な事ばかり言ってゐて、補助金カットについて議論できるほどの前提がちっともない。あまりに無知・無教養の極みです。
しかし、私が怒ってゐるのはその事に対してではありません。橋下がメディア(ツイッター含む)を通じて文楽の人たちに対して吐く傍若無人な言葉の数々です。あれ、一種のパワハラでせう?
文楽の人たちといふのは、今時珍しい藝一筋の人たちです。雀の涙の様な給金を貰ひながら、文楽以外の事には脇目も振らず一心不乱に藝の精進、そんな生活を何十年も続ける・・・といふのが文楽界です。いい意味でも悪い意味でも世間擦れしてゐない、いや、しやうがない人たちなのですが、そんな彼らにいきなりメディアを使ってのあの勝手な暴言の数々(文楽側の事情など一切斟酌しない、といふより完全な無知と無理解の上に立っての発言なので、完全に暴言でせう)は、彼らにとっては恐ろしいストレスです。橋下のメディアにおける影響力の強さは周知の事実。ああいふのをパワーハラスメントといふのではないのか。結果として、住太夫は倒れてしまった・・・。と、なんと!今度は鶴澤清治さんまで倒れてしまった!
太夫のトップと三味線のトップが倒れてしまった。これはとんでもない事です。彼らは確かに人間国宝です。が、そんな人間国宝なんて下品な括りは関係ないんだ。そんな事とは関係なく、彼らこそ我々日本人の誇るべき、いや、人類の誇るべき宝なのです。彼らが達成した藝の境地の高さこそ、人類の誇りなのです。
しかし、この事が橋下には絶対に分からないだらうと思ふと、暗澹たる気持ちになりますね。あー、だから精神的なものが分からない人間って嫌なんだ。

閑話休題。その「伊勢音頭」の前に「摂州合邦辻」がありました。これ、見たかったんだよねー。なぜ、見たかったのか。それは、むろんこれが名作と言はれてゐるからでもありますが、この作品、谷崎の「いはゆる痴呆の藝術について」といふエッセイで扱はれてゐるからなんですねー。
このエッセイで、谷崎は文楽の事を、筋が不自然で猥雑でバカバカしい、あんなのを喜んでみてるのはバカにみえる、正に“痴呆の藝術”だ、とボロカスに言ってるんですね。・・・え?橋下と同じかって? いや、全く違ひますよ。
あ、ここで言っておきますが、私はなにも文楽が何から何かまで素晴らしいと言ってゐる訳ではなく、当然批判もあってしかるべき、と思ってゐます。だから、正当な批判に立った上での補助金カットといふのはあり得ると思ふ。が、橋下のはムチャクチャでせう。やれ演出が古くさいの、客が入ってないの。あのねー、文楽は“古典藝能”なんだから、演出が古くさくて当然。っていふか、そこに価値がある。また、もし客が少ないのが問題なら、それに対して大阪市がなんらかの対策を打って集客するのが“古典藝能”に対するやり方でせう。何故なら、古典は客に合はせるものではなく、客が合はせるものだから。こんなの基本中の基本でせう?それさへ分かってないから、なんか頓珍漢な事をベラベラと・・・(ブツブツ)。

えーと、それでですね。谷崎の主張はかうです。まづ、この「合邦」がどんなお話かといひますと、えー、玉手御前といふ人が居まして、この人、悪女なんですね。さる大名家の後家になるんですが、そこで義理の息子になった俊徳丸に恋をする。が、俊徳丸は当然そんな邪恋を拒絶しますし、さらに俊徳丸には許嫁も居る。そこで玉手は一計を案じて、まづ俊徳丸に毒薬を飲ませて癩病にし、顔を醜く変形させて、許嫁の浅香姫から愛想を尽かされる様に仕向けます。ところがそんな事では二人は分かれず、二人して家を出てしまひます。で、何故か玉手の実家に隠れてゐるのですが、それを嗅ぎ付けた玉手は実家に帰り、諌める両親を無視して俊徳丸に迫り、浅香姫に対しては嫉妬丸出しで殴る蹴るの暴行を働きます。もう、凄い!で、耐へかねた父親が玉手を刀でブッ刺す!・・・と、実は玉手の今までの行動は全て俊徳丸の御家を救ふ為の偽りの演技で、玉手こそ貞女の鑑であった!といふ事が、かなりのこじつけで明かされるのであった・・・。
まぁ、この最後の部分で谷崎は怒った訳ですね。絶世の美女で悪女、となれば谷崎の好みの女性でせうが、その悪を貫き通せば輝きもあるものの、実は貞女だった、とはなんやねん!と。そのための説明も、相当にこじつけなのだけれど、それに納得して「ああー!玉手さまー」とか泣いてる登場人物はバカみたいだし、それを見て泣いてる観客もバカみたい。痴呆の藝術だ、といふ訳です。
わはは。一理、あるよね。で、その事も確かめるべく、ぜひ一度見てみたかった、といふ訳なのです。

実は、悪人だと思ってゐたら善人だった、といふオチは文楽でも歌舞伎でも、よくあります。“もどり”とかいふらしいんだけど、権太とか松王丸とか。で、私、この“もどり”結構好きなんですね。もう、泣いてしまふ。だから、この「合邦」でもどうかなー、と思ってゐたら、案の定、泣いてしまひましたー。はは、私は痴呆か。
いや、ね、“もどり”って、いいですよ。今まで悪人だと思ってみんなが罵詈雑言を投げつけ邪険に扱ってゐたのが、実は善人だと分かってみんなオロオロする、といふのはある意味、小気味いいです。また、取り返しのつかない事をしてしまった(大抵、本人が死にかけてるか、子供が死んでたりする)といふ後悔の念の充満は何とも言へないものがあります。それを太夫の語りで切々とやられるとねぇ。
谷崎も先のエッセイで別に文楽を否定してる訳ではなく、この様に筋は酷いが、それを名人である太夫の語りでやられると凄くいい、と。そのマイナスをプラスに転化する藝を誉めてゐるのです。要するに、藝、ですよね。
藝、といふのは一朝一夕に分かる様なものではなく、私とて、そこまで分かってるとは思へません。とはいへ、谷崎と違って私は、その“痴呆的”なムチャクチャな文楽の劇世界も面白いと思ふし、十分楽しむ事ができます。その様に、何度も文楽を楽しんでゐるうちに“藝”の方も徐々に分かってくるでせう。まづ、体験せねば話にならん。それも、できれば最高のものを体験せねば。それなのに、住太夫休演とは・・・。

あー、誰か橋下をグサッと一刺し!いかんかねー。さうしたら、実はこれまでの橋下の暴言・暴挙の数々は文楽を救ふための偽りの演技であった、橋下こそ善人の鑑・・・といふ“もどり”があったりして。はは。

来週は第3部、「曾根崎心中」を観にいきます。

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