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2012年08月22日(Wed)

ダークナイト ライジング 映画

MOVIXにて「ダークナイト ライジング」(クリストファー・ノーラン監督)を観てきました。

ま、予想通り、といった所でせうか。私が以前からノーランに対して持ってゐるイメージ、「難解な事に憧れるけど頭がついていってない青年」を再確認・強化した結果に終はった感じです。
いや、それなりに楽しめたんですよ。さうですねー、予告編の10分の一ぐらゐは楽しめたと思ひます。でもねー、やっぱペライ。そして、雑。これでは、映画としてそこまでの評価はできません。なんか、凄く面白くなりさうな雰囲気だけは出してゐるので、よけい残念な気持ちが募ります。ま、ノーランの映画はいつだってさうですけどね。

細かい所をあげつらっても仕方がないので、個人的に特に残念だった所を二つだけあげると、まづ、この映画ではオキュパイド・ウォールストリートをやってるんですね。人々を搾取してきた悪辣な金持ち連中をぶっ倒せ!とかベインが煽って、大衆がウォールストリートを占拠する、といふモロなシーンがあって、おお!さすがノーラン、「崖っぷちの男」とは違ふな!・・・と思ったのですが、これが全く活かせてない。大衆蜂起の様子はほとんど描かれず、結局、スターたちのやりとりに終始します。大衆蜂起的なものは、完全に添へ物の扱ひ。はっきり言って、私はここにノーランの大衆蔑視を感じましたね。
前作の「ダークナイト」でも、大衆を統治するには輝かしいシンボルが必要だ、とか言って、本当は悪の世界に堕ちてしまったハービー・デントを「ホワイトナイト(光の騎士)」に仕立て上げ、バットマン自らは「ダークナイト(闇の騎士)」として汚れ役を買って出る・・・とかいふ、非常にナルシスティックで大衆蔑視的な結末でしたし、まぁ、それが今回は見事に解消されるのかな?と思ってたら、そんな事は全くなく、相も変はらず大衆蔑視的なトーンがある。ちょい、問題ぢゃないかなぁ?

もうひとつは、ノーランはこのバットマンシリーズで色んな映画の引用をやってゐます。「ビギンズ」では「ブレードランナー」でしたし、「ダークナイト」ではキューブリックをやってました。で、今回がなんと!「ダーティーハリー」!
でもね、この引用はダメです。雑すぎる。ハリーが警察の官僚主義、法律の形式主義に阻まれて正義が阻害されてゐる事に絶望し、警察バッジを川に投げ捨てる名シーンが引用されてゐるのですが、そして熱血若手警官のブレイクが警察バッジを川に投げ捨てるのはハリーと同じ意味だよーん、とノーランは言ひたいのでせうが、全くその様にはなってゐません。面倒くさいので詳述は避けますが、ブレイクはちっとも警察の官僚主義や法律の形式主義とぶつかってゐません。子供たちを逃がさうとしたら、警察に橋を落され脱出できなくなった事に怒り狂ってましたが、あれは仕方がない事態でせう。どちらかといふと、あれはブレイクが悪い。あそこから、枠にぶつかって正義が成せない、といふ結論を持ってくる事はできません。もうちょっと考へろよ、ノーラン。

それでも、絶体絶命のゴードンがバットマンを呼ぶシーンとか、むろんウォールストリート占拠のシーン、そしてシリーズを締めくくるに相応しいラストとか、あぁいいなぁ、と思ふシーンはいくつかあり、やっぱ才能はあるんだから、後は脚本さへ何とかなればなぁ、と思ひます。ノーランは弟と二人で脚本を書いてゐて、実はさういった自らで全てやるぜ、といった姿勢には好感が持てるのですが、やっぱ才能の問題がある。映画は集団製作なんだから、脚本は思ひ切って他の優れた人のものを採用した方がいいんぢゃないか、さうでないとあたら才能がありながら、このままでは映画史に残る様な作品を撮らないままに終はってしまふぞ(「ダークナイト」を映画史に残る傑作とする意見もある様ですが、それは過大評価だと思ひます)、と要らん心配をしたりして。

それにしても、元モッズの私的には、バットモービルが最初から最後まで徹底してカッコ悪かったのが、一番残念だったかもしれません。
(アン・ハサウェイのキャットウーマンは、結構よかったですよ。ミシェル・ファイファーには負けてますけど)

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