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2010年03月31日(Wed)

渇き 映画

さういへば、パク・チャヌク監督の「渇き」を観に行った事をまだ書いてゐなかった。今年はある程度この日記を真面目に書かうと決めてゐるので、ま、ひたすら面倒ではあるけれど、頑張って書いてみようかと、思ひます。

観に行った日は、大体2週間ほど前。場所はTOHOシネマズ2条。観客は、私意外に3人。・・・・・・あまりに、流行ってない。シネコンでやる様な映画ではない、といへばそれまでだけれど、しかし、個人的にはかういった映画をシネコンでガンガンやってくれないと困るのです。スクリーンたくさんあるんだから、ひとつくらゐはかういふのを常にやって下さい。

で、映画の方だけれど、些かとっちらかった印象で纏まりには欠ける。特に映画の前半と後半で違ふ映画になってゐる感じ。無理矢理ふたつの話をひとつにしたみたいである。(実際、監督のインタビューなどを読むと、ふたつの原案をひとつに纏めたらしい。・・・まんまやん!)
とはいへ、スタイリッシュ且つ美しい映像と過剰に響き渡るパク・チャヌク節は健在で、ファンには十分楽しめる作品ではないでせうか。私はたっぷり堪能いたしました。
ソン・ガンホが吸血鬼に!・・・といふだけでオッケーな訳ですが、この映画では何よりキム・オクビンが素晴らしかった。彼女の全世界を破壊するかの様な有り様がどうみても映画を引っ張ってゐるので、この映画の主役はキム・オクビンだ!・・・と、言ひたい所なのですが、ソン・ガンホの存在感が大き過ぎてさうなってゐない、といふのがこの映画の問題点の様な気がします。最後には彼女を圧倒して二人で丸こげになってしまふ、といふ展開は、映像のカッコ良さは認めながらも、やはり疑問・違和感を禁じ得ません。
だって、どう見たってあれは無理心中。愛と理念が一緒になると碌でもないなぁ、といふのが私の感想で、あれがパク・チャヌクなりのカトリック解釈なのか?と、悩んでしまひました。

ま、でも映像が圧倒的にカッコ良いのでそんな事はそれほど気にならないのも本音。世間では「アバター」とかが映像カッコエーといふ事になってゐる様ですが、そんな訳ないやん、かっこいい映像とはこんなんでせう?と、私は強く呟きたいのでありました。

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