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2011年09月29日(Thu)

炎の勧進帳 歌舞伎

さて、9月20日火曜日、「九月大歌舞伎」@松竹座の夜の部。目玉はもちろん、「勧進帳」。市川家の十八番であるのみならず、歌舞伎にとっても最も重要な演目のひとつです。
私は市川家の勧進帳は、前に一度、海老蔵の富樫、團十郎の弁慶で観た事があります。その時の海老蔵の富樫の美しさに息をのみ、まだ歌舞伎を観始めたばかりの頃とあって、これが歌舞伎かぁ!やっぱ錦絵の様に美しいもんなんだなぁー!と感心したものです。むろん、どんどん歌舞伎を観ていくと、そんなもんでは必ずしもない、といふ事が分かってくるのですが。
(とはいへ、歌舞伎の真の魅力はやはりそこにあると思ひますよ。ただ、それを体現できる役者が滅多に居ない、といふだけで。だからこそ海老蔵は、神に選ばれた、といふか、神になる資格をもった希有な存在なのです)

今回は海老蔵が弁慶で、富樫は團十郎が演じます。海老蔵のニンは弁慶、といふ話もありますので、これは楽しみにしてゐた配役です。んで、どうだったかといひますと・・・・・・これが、また、凄かったー!
だって、海老蔵の弁慶、燃えてるんだもの。全身から炎を吹き上げて。
その炎の中で、手の甲からも汗を吹き出させ、髪の毛からポタポタと汗を滴らせながら、ギョロリと目を剥いて、口から火と共に大音声を吐き出す海老蔵は、まるで不動明王の様。なんかもの凄い力で、劇場中の気の流れを自分に集め、異空間を出現させてをりました。
対して富樫の團十郎は・・・、やっぱ、ダメ。先週に引き続き、今日もメタメタ。大丈夫なのかなぁー、といった所なんですが、実は今回は見てしまったのです。私は海老蔵に目が釘付けだったので気がつかなかったのですが、トモコが見てしまったのです。舞台の上で眠る團十郎を。
眠る・・・といふのが不適切なら、途切れさうになる意識を必死に繋ぎ止める團十郎とでもいひませうか。何度か、ガクッ、ガクッ、と頭が倒れさうになる團十郎を見てしまったのです。ほ、ほんとに大丈夫かなぁ・・・、あ、もしかして・・・クスリ?なにか、鎮痛剤でも打ってるとか?と考へて、慄然としました。
そこで私は、ハッと悟ったのです。弁慶が必死の演技で通さうとしてゐるのは、実は義経ではなく、富樫を演じる父・團十郎ではないのか、と。
「勧進帳」では、幕が引かれて富樫が隠れたのち、花道に残った弁慶が深々と幕に向かって、その後ろに居るはずの富樫に向かって頭を下げます。弁慶は、無事に富樫を通し終はった事に真に安堵し、感謝してゐた様にみえました(私の妄想メガネには)。それから、もし父に何かあった場合、これからは自分ひとりで歌舞伎界を背負っていかねばならない責任の重さを十分に感じながら(むろん、これも私の妄想ね)、裂帛の気合ひで花道を飛んで去っていきました。まるで、神が駆け抜けた様でした(これも・・・ってしつこいか)。
私はそこに、もうひとつの「勧進帳」を観てゐたのです。

今回は、他の芝居にも触れておきませう。「華果西遊記」と「幸助餅」。実はこれら二つは観なくていいか、と思ってゐたのですが、貧乏性の私はなんとなーく、観てしまったのです。すると、なんとなかなか面白かったんですね、二つとも。
実をいふと、私は市川右近があまり好きではなくて・・・。昼の部の右近による「悪太郎」なんか、もう最低最悪!と先週は怒ってゐたんですが、夜の部の右近は、「華果西遊記」と「幸助餅」どちらにも出てるのですが、結構よかった。なんか、嬉しい誤算です。
翫雀もなかなかいいし、壱太郎は相変はらずいいし、やー、結構よかったな、夜の部。期待してなかった分、得した気分でした。

でもやっぱ、團十郎が心配だなぁ・・・。

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