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2009年04月17日(Fri)

「ザ・バンク 堕ちた巨像」 ☆☆☆★★★

Text by Matsuyama

いきなり核心に触れる可能性もありますので未観の方はご注意ください。

さて、実際に巨像が堕ちたのかというと…?… なのですが、この邦題は単にクライブ・オーウェンの出演作「ベント/堕ちた饗宴(1997)」とゴロを合わせているだけじゃないのかと思います。って考え過ぎかな? 原題は「THE INTERNATIONAL」、ラン・ローラ・ラン(1998)、パフューム ある人殺しの物語(2006)のトム・ティクヴァ監督作品です。

ここに出てくる巨悪な国際的メガバンクIBBCとは、実際に存在し1991年に経営破綻したBCCI ( Bank of Credit and Commerce nternational)という銀行がモデルになっているそうです。
劇中のセリフに「あらゆる国や個人を借金まみれにして奴隷化するのがIBBCなのだ」とありますが、それは現在でも、世界最大級の投資銀行ゴールドマン・サックスをはじめ、モルガンスタンレーやシティグループといったアメリカの巨大な金融企業、ハリバートンやべクテルといった多国籍企業、またはそれらと複雑に関係を結ぶCIAの姿とも実にリアルに重なります。そういった常識や法律の外側、雲の上にいるような世界のごく一部の富裕層の悪事を、寝不足でヨレヨレのインターポールの捜査官サリンジャー(クライブ・オーウェン)が追いつめることができるのか?といったお話です。

サリンジャーはIBBCの犯罪の証拠を突き止めるため世界中を駆け巡ります。そのあたりはちょっと「007」っぽいのですが、ミラノやリヨンの美しい旧市街やイスタンブールのブルーモスク、地下宮殿、グランバザールといった世界遺産地域の歴史的建造物群、または近未来的なベルリン中央駅、ニューヨークのグッゲンハイム美術館、そしてルクセンブルグにあるIBBCの本社ビル、仕立ての良いスーツを纏ったIBBCの権力者と側近たちそれらの全てと、小汚い風貌のサリンジャーとの対比は、世界を支配する側と支配される側(奴隷、羊、虫けらのように)という、はっきりとしたコントラストとして描かれているようでもあります。世界の美しい自然や歴史遺産すら私たち皆のものではなく、きっと誰かの所有物として握られているのだと思います。

100年に一度の大不況といわれる現在、こういう作品は実にリアルに観ることができるのですが、何がリアルかと言うと、巨大金融企業の悪事を、どちらかというとこっち側(庶民)に近い存在のヨレヨレの捜査官が“ギリギリの線まで”暴いているということです。


ー ワシントンでのG20でブッシュ前大統領が他国首脳から握手を拒まれた(無視された)ことで、アメリカが世界の村八分となったことがハッキリと証明されました。こうした覇権国の弱体化によって、最近までまるで都市伝説のように世間から疎まれていた数々の「陰謀論」が徐々に現実味を帯び、庶民の武器となりつつあります。それは小説・映画「宇宙戦争(H.G・ウェルズ、S・スピルバーグなど)」で地球を支配しにやって来た宇宙人を滅ぼしたのが、地球上に太古から存在した微生物であったように、一部の研究者から我々(支配層から見れば微生物程度でしかない)庶民に伝えられてザワザワと囁かれてきた噂話です。その噂話は、本来支配者たちが庶民を監視・統制するために考えられたはずのインターネットによって急速に広まり、元々洗脳装置だったテレビや新聞など“マスゴミ”の弱体化にも繋がりました。そこで焦った支配者たちが仕掛けたのが地上波デジタルというわけです…というのも陰謀論、陰謀説、都市伝説になるのでしょうか? 実際、私には世界はこの不況からどうやって抜け出すのかも分からないし、石油、金融による支配が終わって環境(二酸化炭素)を制した者が次に世界の覇者となるのか、または再び世界戦争となってガラガラポンとなるのかも分かりません。現在94歳のデビッド・ロックフェラーも早晩死ぬとしても当然つぎの当主が現れます。ヨーロッパのロスチャイルド家でもすでに若手が実権を握っているというし、中国・華僑にも強大な闇組織があるといいます ー


しかしギリギリの線まで暴いていてもけっきょくは最後まで到達できないのがまたリアルなのでございます。
終盤サリンジャーはIBBCの頭取であるスカルセンを追いつめる(ここが2時間ドラマっぽい)のですが、スカルセンの側近からは、強大な権力に支えられたIBBCを堕とすことはほぼ不可能に近いことだと教えられます。
その側近とは元旧東ドイツの秘密警察で共産主義の崩壊により挫折したなどと語られますが、なぜ思想的対極側に寝返ったのかが分かりにくかったように思います。例えば「東西冷戦構造そのものが仕組まれていたことを知って絶望した」ということでしたら納得できるのですが…。

追いつめられたスカルセンは自分に銃を向けるサリンジャーに言います。「私を撃ってキミは満足するだろうが、何も変わりはしない」と。サリンジャーが撃つのを躊躇しているとき、ある者の仇討ちとして雇われた殺し屋がスカルセンを撃ち殺します。旧来の映画作品ではそれで完結となるのでしょうが、実際にはこれで仇討ちは完了とはなりません。サリンジャーはその仇討ちすらも無意味であることを知っています。変わったことと言えば、ここでまた人ひとりが死んだだけです。仇討ちも正義も雲の上の権力者(実際は雲の上に棲んではいませんよ)に到達しなければ完結しないし、今この世界でそこに到達することはあり得ないのではないだろうか、と、そんな絶望感が漂うラストシーンとなりました。

この作品の完結を目指すべく、私はサリンジャー警部のシリーズ化を希望します。

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