「イエスマン“イエス”は人生のパスワード」 [☆☆☆★]
ここ最近何かと忙しくて、映画を観る時間がなかなか取れず、ふと思い出したのが2週間前に観たこの映画。観終わったときは「まぁまぁかな?」と片付けて、翌日に観た傑作「ヤッターマン」によってスッポリと記憶から抜け落ちてしまっていたのがコレでした。
余談ですが、私は20代後半〜30代の前半のあいだに、何度か情報誌に取材記事や音楽レヴューといったものを書かせてもらったことがあります。もちろん素人としてですが。で、ある雑誌の特集の誌面でいっしょになったベテランライターとたまたま何かのイベントで顔を合わせたとき「お前がアタマのおかしなライターか」って言われたんです。そのときは「何だよ!」って思ったのですが、今だったらハッキリと答えたはずです。
「イエ〜ス!」
さて、銀行の融資係のカール(ジム・キャリー)はとにかく全てにおいて「ノー」としか言わないマイナス思考。融資の申し込みは全部「ノー」。友人の婚約パーティーすら理由もなく欠席。出世も出来ず、未練ある元妻には彼氏が出来て、人生も右肩下がり。そんなカールが、ある自己啓発セミナーに参加して「イエスマン(元はノーマン)」にチェンジするところから、人生がプラスに転じますが、またそこにはちょっとした弊害が…っと、そろそろネタバレに掛かります。
とにかく爆笑シーン連発のこの作品。カールがDVDショップで買い物中に携帯に友人から誘いの電話があると「もう家に帰ってる、寝ている」などと誘いを断りますが、ウインドー越しに店内を見ている友人は「それじゃぁ今DVDショップにいるのは誰だ?」「ボクのソックリさんだ」「電話の声と口の動きがいっしょだぞ」「偶然だ」「今声出さずにしゃべっているフリしているだろ?」…と、けっきょく連れ出されるのですが、ちょっと引っぱり過ぎ?と思ったところでパッと場面が切り替わるタイミングが絶妙でした。
個人的には、銀行の客が持って来る「セレブの顔のケーキ」というのにウケました。カールが「ミッキー・ローク?」と訊くと「ボノよ」って、またしても“ボノ”が、しかも頭から食べられちゃって…などと、またイロイロと思ったのですが今回はスルーします。
さて、ここに出てくる(教祖のような)テレンス(テレンス・スタンプ)が主催する(イエス教みたいな)自己啓発セミナーは、どこにでもありがちな新興宗教のように見えます。教義は全てにイエスと言うこと。しかし実に胡散臭くはあるのですが、そこに金品のやりとりは見えなかったように思えます。はたしてテレンスとはペテン師なのか?善き指導者なのか?
大筋では「大勢のセミナーの参加者たちがテレンスの思想をちゃんと理解していない」ということではなかったのでしょうか。
カールは「ノーマン」から「イエスマン」になることで、職場では出世が出来て、私生活では恋人が出来て、パッとしなかった人生が開けたかのように思いますが、その影で元上司がリストラに遭い、元妻が不幸になっていたりもします。最大の悲劇はカールが連発する「イエス」の中には嘘の「イエス」もあったことを恋人に見破られてしまったことです。
けっきょくカールは「ノー」と言っていたときと、全て「イエス」と言うようになったときでは何が変わったかというと、何も変わっていないのです。確かに「ノー」と言っていたときは何も行動しなくてもよかったのが「イエス」と言うことで、行動しなければならなくて、それによっていいこともあります。ただ、彼は自ら何かを考えたり、決断したりはしていません。ただ「ノー」を「イエス」に変えただけですから、どちらも自分のアタマで考えて答えを導きだすことから逃げているだけのマニュアル人間です。だから障害にぶつかったときは「どうなってんだ!(話が違うじゃないか)」って今度は(最も信じていたはずの)テレンスに抗議します。
アメリカでも日本でも、多くの国民たちは民主主義というものに「快適な生活を与えてくれるもの」だと頼り過ぎているように見えます。政府に期待し過ぎているように思います。疑問に対する答えはテレビ、新聞、インターネットに転がっていますから、判断力が鈍ってくるのは当然のことです。選挙戦においては、公約を信じて必死で応援しますが、破られれば一変して批判に回ります。こういうことを何百年も繰返しているのが人間なんです。
せっかく出会った恋人に去られたことで、カールに抗議されたテレンスは「本当に嫌なときはノーと言ってもいいんだよ」とあっさり言います。
テレンスは、まずは「イエス」というパスワードを与えることによって行動を促し「そこから後は自分で判断するのだ」と、元々行動することから逃げていた「ノーマン」たちに教えたかったのではないでしょうか。
「全てにイエス」というキマリは参加者が勝手に思い込んだマニュアルだったんだと思うのです。元々はマニュアル人間でしたから。
セミナーやテレンスの正体などはほとんど掘り下げられていないので、実際はよく分からないのですが、それらの存在自体がパスワードというかキーワードのようなもので、深く関わったり、頼ったりすべきではないものとして描かれていたようにも思います。
さて、4月です。「アタマのおかしな」私にとって最も危険な季節ですが、なんとか乗り切らなければなりません。
今まで自分のサイトでもないのにイロイロ好き勝手に書いてきましたが、「ノーマン」時代のカールと自分とが重なる部分を発見し、どちらかというと、今まで映画そのものを突き放していたように思いました。新年度を期に今後はもう少しマシなことを書いてみようかと思うのです。辛辣な表現も極力排除します。
私は安直に答えを出していたということに気付かせてくれたこのがこの作品です。
危険な春ですからね、あえてこの場を借りて自分に言い聞かせておきます。
ちなみにジム・キャリーを見ると、サム・ライミの仕事上のパートナーで「死霊のはらわた」シリーズの主役のブルース・キャンベルを思い出します。非常に似ていると思うのは私だけでしょうか?
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