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2009年02月06日(Fri)

「チェ 39歳 別れの手紙」 ☆☆★★

Text by Matsuyama

オパールがやっと再開店しました。おめでたいですねぇ、やっと年が明けました。そして何とメニューにはハーパー12年!香水瓶ようなボトルに入ったまさしく香水のように香り豊かなバーボンウイスキーが(喜)。といっても“バー”じゃないですからね、お酒もいいですが、コーヒーやデザート、お食事、通販も楽しんでください。

2月もまたゲバラで幕を開けますが、どうも私の心の中にエイプリル(「レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで」)が未だに尾を引いているようです。なんだか自分の嫌な部分を見せられてしまったようです。あの作品のように、好き嫌いの基準ではなく、私にとって重く心に傷を残した作品といえば「赤い航路(1992年、ロマン・ポランスキー)」がダントツ1位なのですが、それを越える作品が出てこない限り私は生きていられるということです。 ということで「28歳の革命」から「慰めの報酬」を経て「39歳 別れの手紙」までの南米3部作の途中で、もうひとつ何だかややこしい革命が起こってしまったようです。

けっきょく革命が成功したのはキューバだけだったんだね。
デル・トロがカッコよく見えたのも「28歳の革命」の方だけだったし。
そうだなぁ、この2部作は“世界一カッコいい男”の役を独占したベニチオ・デル・トロのナルシズムかと思っていたけど、自らもプロデュースに加わって、ゲバラを演じながら、デル・トロ自身が帝国主義と戦っているんじゃないかと思うんだよ。
演技を通り越して信念が滲みだしているように見えるだろう。
ただ、歴史的事実を知っているだけに、事実に忠実であればあるほど「39歳 別れの手紙」は観ていて結末には希望も期待も持てなかったから、今さら言っても遅いけど、ちょうど今は両方同時に上映しているから逆の順番で観た方がいいんじゃないかと思うんだよ。
ソダーバーグがこんなにも誠実な作り方をするなんてね、父さんも恥ずかしながら退屈だと思っちゃったよ。
そうだよね、どう見たって勝ち目がない戦いだったもんね。
でもどうしてキューバでは成功したのにボリビアでは失敗したの?
まずキューバでの成功だが、それが成立したのはカストロがソ連の支援を受入れてからだ。
米ソ冷戦時にアメリカがキューバに手出しするということは第三時世界大戦を招くことだからアメリカもキューバに対する植民地支配という考え方はできなくなったんだ。
でも、ゲバラは大国としてのソ連の帝国主義的な部分にも批判的だったことがカストロと手を切った理由のひとつでもあるんだ。
だからソ連の支援を受けていたボリビア共産党はゲバラに協力しなかったんだ。
それにアメリカは第2のキューバを阻止するためにボリビア政府軍を全面的に支援・指導して、反政府軍に対して圧倒的に強い軍事力を持たせたことだ。
そして父さんたち日本人にとっても知らなければならないのは民衆が政府の情報に惑わされてしまったことなんだ。
それによって完全にゲバラたち反政府軍が孤立して失敗したということだ。
それが日本人とどういう関係があるの?
ボリビアの民衆はラジオによって反政府軍は残忍な強盗だと伝えられたら、それを鵜呑みにしてしまうのといっしょで、今の日本においても権力がマスコミを掌握しているということを忘れてはならないんだよ。
例えば、読売新聞は「首相に相応しい国会議員は誰か?
」という世論調査で小泉純一郎がトップだと報道しているが、これがまさしく意識の誘導が目的なんだ。
世論調査というものほどアテにならないものはない。
国民もそこまでバカじゃないだろう。
わかるけど、それ以上話が逸れないようにしてね。
ぜんぜん話は逸れてないよ。
2005年の郵政選挙のようなB級国民の愚行は二度と見たくないから言ってるんだ。
小泉はボリビアのバリエントスでありキューバのバティスタだ。
売国奴だ。
それだけは忘れるな、マサユキ。
わかったよ、父さん。
でも今はゲバラみたいな人はいないの?
そうだな、現代の“ゲバラ”といえばイランのマフムード・アフマディーネジャードとベネズエラのウーゴ・チャベス大統領だ。
イランはブッシュから悪の枢軸国と呼ばれ、チャベスはブッシュを悪魔と呼んだ。
二人ともカッコいいんだよ。
エクアドルのコレアやボリビアのモラレスもそれに続いて反米を旗印にしている。
さて日本はどうするのかな?
日本でも期待している人はいるけど、それを言ってしまえばこのサイトの政治色がより濃くなってしまうから言わないでおくよ。
すでに父さんはココで政治色を濃くしてしまっていると思うよ。
たまに“荒し”かと思うこともあったけど。
マツジュンか?
それは“嵐”だよ。
書評「エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ」

ジョン・パーキンス(著)/古草 秀子(翻訳)/東洋経済新報社/2007年12月

NSAとはちょっと聞き慣れない名称かもしれないが、これは国家安全保障局というアメリカ国防省の一部署の略称であり、スパイ活動で有名なアメリカ中央情報局“CIA”とは違い、データ収集・分析を元にアメリカに利益をもたらすための諜報機関である。ここで彼等は自分たちのことをエコノミック・ヒットマンと呼ぶ。著者であるジョン・パーキンスは1971年〜80年までNSAに所属し、表の顔は金融コンサルティング会社のエコノミストとして対外援助の名の下に途上国で工作活動を行なっていた。しかし結果的に途上国の独裁政権を支援し、貧困層が奴隷化していることによる良心の呵責から辞職を考えるも、権力と多額の報酬を前に悩む様子が頼りなくもあり、人間らしくもある。実際は書かれている以上にカネに溺れ、美女とのSEXにのめり込んだのだろうが、その辺りの事実はどうでもよいのだ。パーキンス氏はヒーローではないが、この本の内容が真実であれば彼はヒーローに近づいたと言えよう。
パーキンス氏がエコノミック・ヒットマンの訓練を受け、コンサルティング会社に派遣されるところから年代別に話は進んでゆく。早々に派遣先のインドネシアの田舎町で人気のあった反米政治家が轢死したところから自分の仕事に疑問を持ち始め、1979年ホメイニー氏によるイラン革命、パナマ、エクアドルの民主化を目の当たりにしながらその疑いは濃厚となってゆく。とりわけ、当初はNSAの目的に沿って、民族派の指導者であったパナマのオマール・トリホス将軍、エクアドルのハイメ・ロルドスと親交を深める内、自身も彼等のようになりたいと引退を決意する(もなかなか手を切れない)。
時は1976年当選のアメリカ大統領ジミー・カーター政権。カーターは平和主義者といわれ人権外交を実施し、アメリカの石油依存を軽減しようとしたため、イラン革命を認め、パナマ、エクアドルにも実権を返した。
1981年、アメリカにとっての弱腰外交と批判されたカーターは、元ハリウッドの大根役者で後に多国籍企業の操り人形となったロナルド・レーガンに政権を受け渡す。この年、オマール・トリホスとハイメ・ロルドスは同時期に飛行機事故で死亡する。
特にパーキンス氏は「パナマ帽を斜めに被った、端正な顔立ちの」トリホス将軍には思い入れが強かったようだ。そしてパナマの運河地帯の実権をアメリカから取戻したトリホスもまたソ連からの支援を拒否した英雄であり、それによって大国の後ろ盾がが無いことがいかに非力かを露呈させた“事故死”でもあった。
さて、こうして読み進めるうち、ここで書かれたことと同じようなことが日本でも行なわれているのではないかという疑問が湧いてくる。というか重なる部分が非常に多いのである。それでは日本におけるエコノミック・ヒットマンとは誰か? それは間違いなく竹中平蔵なのである。彼は1981年にアメリカに招かれ、徹底的に市場原理主義を叩き込まれ洗脳されて帰って来たのである。竹中の思想はすべてアメリカの利益に繋がる。郵政民営化がその代表例に挙げられるが、それ以前に“ある金融機関にまつわる重大なインサイダー取引を企てた疑い”を追求した新聞記者、エコノミスト、国税庁職員などが次々と謎の死を遂げたり、性犯罪者として逮捕されたりするという奇妙な事件が続発した。マスコミ報道によって大半の国民が悪質な犯罪者と思い込んでいる人もいる。今でも頻繁にマスコミに顔を出す竹中は市場原理主義という言葉には過敏に反応を示す。それは日本において竹中平蔵にしか当てはまらない言葉であるかのように…。

Comments

投稿者 Anonymous : 2017年09月10日 06:55

市場原理主義を悪者扱いしている記載が目立ちますが、
それではチャベスのような社会主義的政策は果たしてよかったのでしょうか?

今、ベネズエラの経済は破綻し、国民は飢えにあえいでいます。
これはチャベスのバラマキ政策のツケではないでしょうか?
市場を国家の力で抑え込むことが果たして正義といえるのか、もう一度よく考えていただきたい。

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