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2014年06月30日(Mon)

ホドロフスキーの『DUNE』 []

Text by 元店主

映画史上最も有名な未完の大作のひとつ、それがホドロフスキーによる「DUNE」。この映画は、なぜ「DUNE」は未完に終わったのか、もし完成していればそれはどんなものになっていたのか、を、関係者によるインタビュー等を通じて探ったドキュメンタリー。
まぁ、すでに知られた逸話ばかりだろうし・・・と、軽い気持ちで観に行ったら、予想よりずっと面白くて、凄く楽しめました。

そもそもホドロフスキーは、所謂「映画監督」ではありません。彼は言葉の真の意味でアーティストであり、もっと踏み込んで言えば、オカルティストであり、魔法使いです。彼が映画を作るのは、それが自分の魔法実践として適していると考える時で、そうでない時は、詩を書いたり、演劇をしたり、マンガの原作を書いたり、タロットリーディングをしたり、サイコマジックをやったりしています。
つまり、彼の映画は魔法なのです。その目的はもちろん、世界を変えること。人類の厖大なエゴと欲望によって汚れ、歪んでしまった世界を正すこと。この世に聖性を取り戻すこと、です。
そういった意味で、ホドロフスキーのなした最大の映画的実践は、この「DUNE」なのかもしれません。
なぜ?完成もしてないのに?
それは、ホドロフスキーも自著で述べている様に、錬金術師は不可能な事に挑戦しなければならないからです。

不可能な事に挑戦すること。実はこれこそ、真の魔法の要諦です。糞を黄金に変える。不老不死を達成する。これら不可能な事に、100%以上の確信を持って挑むこと。その過程で、魔法はなされる。
このドキュメンタリーを観ると、その事がよく分かります。ホドロフスキーが如何に不可能な事に挑戦していったか。そして、結果として映画はできなかったが、どの様な魔法がうまれたか。それらが、関係者の証言や残った映画の遺物から浮き上がってくるのです。

私は思うのですが、映画という魔法的メディアを動かしてきたのは、こういった不可能に挑戦したが故に完成できなかった映画たちではないでしょうか。完成し、我々が観る事ができる映画は、映画という魔法的メディアの中の氷山の一角。その下には、不可能への挑戦故に完成しなかった(けれど魔法を発動した)無数の映画が、厖大な無意識の様にそれらを支えているのかもしれません。
そういった映画は、当然観る事ができないので、我々には知りようがありません。発動された魔法も、知りようがない。これらは全て、映画史の闇の中に消えています。しかし、このドキュメンタリーは、その一端を我々に垣間見せてくれます。貴重な記録としか言いようがないでしょう。

カメラに向かって喋りまくるホドロフスキーはとても魅力的です。来日時に観た時も感じたのですが、とにかくグイグイグイと人を惹き付ける力がある。それだけでも無類に楽しい。これが魔法使いの力かー、と感嘆する事もできますよ。

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