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2013年12月29日(Sun)

オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ []

Text by 元店主

ジム・ジャームッシュの新作。ティルダ・スウィントン、ミア・ワシコウスカを迎えての吸血鬼映画、という事で期待が高まります。ところが、これまた「ビザンチウム」と同じ様に全く流行ってない様で、公開2週目にしてすでに一日2回の上映という体たらく。うーん、吸血鬼映画って、今はダメなのかなぁ。なんにせよ、応援するぞー!と思い。これまた結構無理して観に行ってきました。
そして、結論。ジム・ジャームッシュ、200%終わっています。

いや、正直言って、茫然としました。ここまで無惨なダメ映画を撮るか?と。
ジム・ジャームッシュは、私が10代の頃に観た「ストレンジャー・ザン・パラダイス」が衝撃的で、続いて観た「パーマネントバケーション」も(これはデビュー作ですが、あくまで私の観た順番ね)またまたえらくカッコいい映画で、ジム・ジャームッシュ凄い!と刷り込まれてしまった感があります。故に、その後も「ダウンバイロー」「ミステリートレイン」「ナイト・オン・プラネット」・・・と見続けていった訳ですが・・・今にして思えば、以降の映画はそれほど面白くなかったかも。それでも若い時の刷り込みとは恐ろしいもので、やっぱジム・ジャームッシュの新作ときけば、ちょっと心が踊ったりするのです。それが私の好きな俳優を使っての吸血鬼映画となれば、尚更です。それが、ここまで酷い映画に仕上がっているとは・・・。

まづ映像がちっともカッコ良くない。なーんかどこかで観たようなイメージをなぞっているだけ。さらに音楽もダメ。個々の音楽はそんなに悪くないのですが(デニス・ラサールの曲なんかは私も好きですよ。あと、レバノン人歌手のヤスミンという人も良かった)、全体として構成されれば、全然だめ。むしろダサい。もう完全にずれてしまってるんじゃないの、ジャームッシュ。
そして何より、世界観が酷い。酷過ぎる、と言っても過言ではない。
この映画における吸血鬼たちは、科学精神と藝術を愛する高貴な一族らしく、いわゆるパンピーの人たちを、藝術を解する心もなく、偏見に固まって頭も悪く、無教養な俗物・大衆、として“ゾンビ”と呼んで蔑んでいます。そして、世の中はゾンビが増殖してどんどんダメになっていく・・・と憂鬱に囚われたりしているのです。
そして肝心の血ですが、これはゾンビが増殖して汚れた血が増えてきたので危なかしくって迂闊に人の血は吸えない。故に、輸血用のキレイな血を病院から購入して飲む、と。はぁ???
ここまで傲慢に、無自覚に、特権意識と純血主義を振りまいて大丈夫なの???一歩間違ったらナチ呼ばわりだよ、こんなの。
主人公のアダム(トム・ヒドルストン)は、かつてシューベルトにも曲を書いたという天才音楽家。今はカリスマロックスター。顔が出るとヤバいのでファンの前に一切姿を表さないミステリアスな存在。なので、外との連絡や雑事全般、さらにはビンテージギターを探してきたり、木製の銃弾をアダムのリクエストで作ってきたりと、ほんとーによく働く一般人の知り合いがいます。その友人に対して、ゾンビにしてはなかなか良くやってくれるな、と差別意識丸出しのアダム。さらにはその友人の血を吸ったエヴァ(ミア・ワシコウスカ)に対して、そんな音楽業界に居る奴の血なんて汚れ切っている!と宣います。
なんか最低の奴だな、アダム。

なにより酷いのは、ここまで特別意識丸出しにしてる割には、ちっとも特別に見えないこと。というか、藝術に対しても音楽に対しても、てんで分かってない様にしか見えない。
「モータウンミュージアムに寄ってみるか?」「私はスタックス派よ」
とか
「バイロンはどんな奴だった?」「鼻持ちならない嫌な奴だったよ」
とか、文化の事なんて何も分かってないくせに、分かってるつもりで得意がってる、いたーいスノッブな人々が交わすような会話を延々と続けるのです。もう、痛くて痛くて。これ、もしかして笑わせようとしてるの?でも、ちっとも笑えないし・・・と、戸惑うこと甚だしかったです。 
さらに、シェークスピアが死ぬシーンに至っては・・・もう、どこぞの映画学校の学生にでも撮らせたか?と疑うほど酷くて・・・ちょっと居たたまれない気分でした。

しかしまぁ、すかしたセリフの応酬とか、特にストーリーもなくダラダラと日常を撮る所とか、音楽が前面に出てミュージックビデオ風なフッテージが多用される所とか、ジム・ジャームッシュ印ではあるのです。ただ、それが初期の2作はうまくはまって、めちゃカッコ良かったけど、それが今やことごとく外して無惨な事になってしまっている、という事なのではないでしょうか。だからこそ、私は、ジム・ジャームッシュは終わった、と思ったのです。
もしかしたら、最初の2作ですでに終わっていたのかもしれないけれど。

別に私は、吸血鬼が特権意識を持つのが悪いと言ってる訳ではありません。もともとそういったもんだし。ただ、それを現代を舞台にしてやるのは、結構難しいと思います。それなりに頭を使わないと。
先日観たニール・ジョーダンの「ビザンチウム」は、そこらへんよく考えてありました。吸血鬼を人間らしく描き、故に、従来の吸血鬼特有の特権意識を真っ向から批判しているのです。血を吸わねば生きていけない、という負性を引き受け、身体を張って世間とも裏世間(吸血鬼の世界)とも闘いながら、たくましく生き抜く女性、という形で吸血鬼を描く。さすがニール・ジョーダン。
それに対して、ジャームッシュのこれは、ティルダ・スウィントンとトム・ヒドルストンに吸血鬼やらせたら見た目バッチリでカッコええやろなー、といった程度の思いつきで撮ったとしか思えない。吸血鬼とは何か、といった事にわずかでも頭を使った様にみえない。これでは単なる業界映画です。うーむ。

まぁ、これでジャームッシュの呪縛から完全に解放された、と思って納得する事にするか。

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