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2013年07月18日(Thu)

「選挙2」 []

Text by Matsuyama

ドキュメンタリー映画監督、想田和弘による観察映画シリーズの最新作。小泉郵政選挙の追い風に乗って、2005年10月、川崎市市議補欠選挙で見事当選した、シリーズ第1弾「選挙」の主人公・山さんこと山内和彦氏は、東日本大震災による原発事故を受けて再び奮起し、2011年4月、統一地方選に“完全無所属”で出馬を決意したことを想田(敬称略)に伝える。

オレが想田の作品を観るのは「精神」以来2回目だ。「選挙」は短縮版しか観ていない。観終わって第一印象は、単にどっちも“長い”。しかし、前回感じた違和感や嫌悪感など、様々な疑問が今回の作品でなんとなく晴れたような気がした。そして想田がオレにとって「愛すべき意地悪なヤツ」という結論に至ったのである。
想田は被写体に対する先入観を排除して撮影することをモットーとしているようだが、オレが今回あらためて思ったことは、先入観どころか、被写体に対して興味も関心も持っていないような“フリ”をしているのではないかということだ。
先入観抜きで精神科医療の現場を撮ったはずの「精神」のインタビュー記事で想田は、何故かそこに登場する医師が「善い医師」であるという先入観を読者に与えているが、しかしフタを空けてみれば、観客はその医師のどこが善なのか語れる者はいないだろう。少なくともその医師が患者たちに慕わていることくらいしか伝えていない。解放治療は行っているものの、治療は薬頼りのため、副作用の肥満やむくみが目立つ患者がいたり、比較的美人の女性患者はその医師の助手として働いていることに何らかの疑惑を感じる観客も少なくないだろう。さらには撮影終了後に自殺者も3人ほどいたようで、オレはそれを映画撮影という一時のお祭りのせいだと思っていたが、これもある意味薬の副作用という見方もできる。閉鎖治療は行っていないものの、薬というソフトパワーによって患者たちは診療所につなぎ止められ、彼らが快方に向かう兆しを一切描かないのが「精神」という映画だ。

ということで、やっと「選挙2」の解説に入ることができる。
オレは短縮版しか観ていないが、1作目「選挙」と同じ選挙区ということで、登場人物がずいぶんと被っているようだ。
小泉純一郎の大ファンで、顔も微妙に小泉似、学歴はそこそこ、定職を持たないということで、自民党の公認候補として都合がよく、さらに郵政選挙が追い風となって、2005年にたまたま当選できたというだけの山さん。政治家としての資質は???。2007年の次期選挙では自民党の公認を取れる見込みがなく、無所属で当選できる見込みもないということで出馬は断念。しかし、そんなやる気があるのかどうか分からない山さんを奮い立たせたのは、あの原発事故だった。
もともと落下傘候補だった山さんは、縁もゆかりも無い川崎市宮前区に2005年以降ずっと住み続けている。
山さんが「立候補する」と知って、想田は撮影を始めるが、肝心の山さんは選挙運動らしきものをひとつも行わない。何もせずに、毎日ブラブラしているだけだ。何もしないのに選挙ハガキはボランティアの若者に書かせ、唯一やったことは、投票日前日に放射線防護服風のコスプレでたった1度だけの短い演説。しかも噛みまくりで、聴衆は限りなくゼロ。そういうわけで想田が撮影した映像は編集もされず、お蔵入りになる予定だったようだ。
では何故、想田はこれを作品化したのかといえば、2012年の総選挙での自民党圧勝を受け、今後日本の社会において、より表現の自由が制限され、統制国家へ向かう危機感を覚えたからにほかならない。
そういうわけで想田の編集によって「選挙2」は幾人かの候補者の“素の顔”に迫っている。想田は選挙という公的な活動に対する「取材の自由」、そして「表現の自由」を盾に、街頭で挨拶し続ける候補者へ至近距離からカメラを向ける。苛立ちを隠せないのは自民党候補の浅野文直氏だ。能弁なウグイス嬢が追い払おうとも一歩も退かず撮り続けるドキュメンタリー監督に我慢ができず、浅野氏は時折キレてしまうが、それこそ想田の思うツボ。他方、自民党の矢沢博孝候補者は肖像権などを盾に「撮るな」と猛抗議。想田は「ひとつの意見として伺っておきます」と、ひょうひょうと撮り続ける。どんなに長い押し問答になろうが撮り続ける。そして全部公開(笑)。両者は前作にも登場しているらしいが、果たして学習はされていたのだろうか?
一方、民主党候補者で想田の罠にかかったのは織田勝久氏だ。前作を観ていたらしく、今作ではコメントを使ってもらおうと、自分で勝手にキューを出し、勝手に締めくくるが、織田氏はぜんぜん想田のことを分かっていない。当然前後すべてが公開され赤っ恥をかかされる。そんな美味しいネタが編集などされるはずがないのだ。
しかしこの映画はなにも自民党候補者や、政権与党の途中で自民党化してしまった民主党の候補者を貶めるために作られいるわけではない。おとなしくカメラに納まってくれさえすれば想田の毒牙にかからずに済むのだ。是非とも山さんを見習うべきだ。とはいっても山さんがいちばんイタいんだけどね。

今回の立候補にあたり、自称「映画『選挙』の山さん」の市政への提案の筆頭は「放射能汚染と停電のないまちづくり~脱原発で自然エネルギーへのシフトをすすめます・・・」から2番目は「子供や孫にツケをまわさない財政再建・・・」など5番まで続く。
定数9名に対し候補者は14名。山さんは何故か自分は9名のひとりになると自信満々。何故なら脱原発を掲げているのは自分ひとりだけだからというもの。それ以上に彼の自信を裏付けているのは、なんといっても世界中で公開され、短縮版がNHKでも放映された映画「選挙」の「山さん」という単なる「有名人だから」という希望的観測だ。
掲示板の選挙ポスターを点検する以外ほとんど何もしない山さんが、原発問題を語るとき「政官財とマスコミの癒着」が悪の根源のように言うが、それはオレも否定しない。しかし山さんの情報源は、連日新聞に載るらしい放射能数値だ。「今日もこの辺の放射能数値は事故前の2倍だからね」と。これでは話があべこべだ。反・脱原発を訴える人に多いのもこういった人たちで「ほらやっぱり漏れていた」「やっぱり隠していた」と自分にとって理想的な情報はテレビでも新聞でも無条件で受け入れるといったものだ。それは映画「精神」に見る「薬」のようなものだ。本気で「脱マスコミ」が実現できなければ、脱原発も、真の民主主義の実現も永遠にないとオレは思っている。なんてことは今だから言えることで、山さんが語っているのは2011年4月の初旬、つまりは3.11からまだひと月と経っていないのである。そう考えると、当時の山さんは意外とまともだったのかもしれない。何よりも、あの時期に原発問題を一切口にしない他の候補者の方が異常とも思えてくる。
先に触れた自民党公認候補2名の他にもうひとり、石田康博氏は街頭演説先で山さんが挨拶するやいなや、手を握り「一緒に頑張りましょう!」と、いつまでも放さず気持ちが悪い。この演技がかったパフォーマンスももちろん想田は逃さない。
こうして編集によってクローズアップされた自民党の候補者3名に共通しているのは、皆何かに怯えているということだ。それは想田が“人の後ろ暗さを写す目”を持っていることに対する怯えなのかもしれない。それに比べ、なんにもしない山さんは落着き払い、自信に満ちている。これはこれで異常なのだが、その謎は前作「選挙」の山さんの選挙活動を見れば解けてくる。前作の山さんこそ、今作の自民党候補者たち、というよりも一般的な選挙活動家そのもので“造られた選挙人形”だったのだ。あれを見て、選挙活動が如何に無意味なものかと気付いた山さんはやはりまともな人間だ。しかしそれでもあえて立候補してしまう山さんはやはり変だ。たとえ選挙活動が欺瞞に満ちたものであるとしても、それは“単純な有権者の心理”を考えて作られたものだ。欺瞞だろうが本音だろうが、当選しなければ政治家としてやりたいことができないのである。それは開票結果を見れば明らかで、無所属、市民団体系は全滅だ。邪推ではあるが、不正選挙が囁かれる昨今、自民党候補者全3名が仲良く2~4位で並んで当選していることが興味深い(もちろん偶然でしょ)。
けっきょく山さんは本気で当選する気でいたのかは今となってはどうも怪しい。少なくとも想田が撮影することを知ったあたりから、何か心の変化があったのではないだろうか。今回も映画化されれば、舞台挨拶、講演会、イベントのゲスト、執筆活動などで食いつなげる。むしろ政治家など向いていないことなど本人も承知の上だろう。しかしそれがお蔵入りになることは計算外だったはずだ。だとすれば、皮肉なことに山さんは今回も自民党に助けられたことになる。

Comments

投稿者 マツヤマ : 2013年07月21日 11:28

訂正です。
レビューの中で、矢沢博孝のくだりは、自民党県会議員の持田文男氏のエピソードと取り違えてました。
「肖像権云々〜」の部分は矢沢博孝氏ではなく、持田文男氏とのやりとりでした。
申し訳ありません。

投稿者 Anonymous : 2014年10月07日 12:31

この想田って人を延々撮ればいいのに。非常に気味の悪い見世物ができると思う。

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