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2012年02月22日(Wed)

「灼熱の魂」 []

Text by Matsuyama

過去を何も語らないまま世を去った母親・ナワル・マルワンの軌跡をたどる旅の果てに、双子の姉弟・ジャンヌとシモンが行着く怒濤の真実とは! 早くも今年のベストワン候補に出会ったような思いだ。何一つネタバレしたくないので、感想を書くのはよそうかとも思ったが、書かなければオススメもできないので慎重に書くことにする。

予告やあらすじだけを見ればこの作品は「なんて重そうな映画なんだろう」と思われるだろうが、確かに重い。しかしながら何とも分かりやすくて面白いのだ。

まずは「地獄の黙示録」のオープニングシーン(THE END / DOORS) へのオマージュだという、本作のオープニングシーンは、まるで“YOU AND WHOSE ARMY / RADIOHEAD” のPV かと思うほど完成されていて、そういう意味ではあざといという見られ方もあるかもしれないが、それでも映画史に残る傑作ではなかろうか。作品の中核としても相当大きなインパクトを残し、筆者は寒さで震えるほどの鳥肌がしばらく治まらなかった。

カナダを発って姉弟が訪れた中東の国は、おそらくレバノンをモデルにした架空の国だそうで、民族・宗教紛争を描いたものだが、米中の代理戦争ともいわれるスーダンの内戦(ダルフール紛争や南スーダンの独立問題など)を考えると分かりやすいだろう。宗教イデオロギーは戦争に利用されやすいのだ。だからといって、紛争当事者を肯定したり、どちらかに肩入れすべきということにはならないのだが、この作品を観て、あえて言わせてもらえば、残虐性、執念深さではキリスト教が1歩も2歩も抜きん出ているということだ。

核心部分では天文学的確率の偶然にシラケるということもあるかもしれない。それを差し引いても傑作だと筆者は思っているのだが、では果たしてあれは偶然だったのだろうか、とも考えてみた。
ジャンヌが訪れた母の故郷であるキリスト教徒の村で、40年前に一族の名を汚したというナワル・マルワンの名は今も受け入れられるとことはなかった。40年間も憎しみが続いていたのだった。その憎しみの深さ、執念深さを思うと、あれは完膚なきまで執拗に仕組まれた人格破壊だと思えば、あれは蓋然ではなかったかと思えないだろうか。また、どうして双子が男女でなければなかったのか、何か因縁めいたものも感じざるを得ないが、いずれにしても偶然であろうが蓋然であろうが必然であろうが、または因縁だろうが、どう見たってこの映画の面白さはまったく変わらないのである。

殴るシーンとファックシーンを撮りさえすれば、それが暴力とセックスを撮ることだと思っている映画監督が日本にはいるが、映画を撮る前にせめて並の映画ファン程度にでも国内外の映画を観て欲しいものである。

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