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2009年01月29日(Thu)

「レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで」 ☆☆☆☆★

Text by Matsuyama

私は「タイタニック」を観ていない少数派なのです。だから巷で言われるように、当時それを観に行ったカップルが11年後にこの作品を観るということがどれだけ興味深いことかはわかりませんが、この作品は“男性(夫)と女性(妻)のそれぞれの性においての象徴的なことを浮彫りにした”というような大昔のメロドラマではないようです。ズバリ“夫婦とは?”といったものでもなく、もっと単純に“バブル期の郊外の住宅地の実態”を描いたのではないでしょうか。これを現在の国際政治にあてはめれば、この夫婦をアメリカと日本のような存在に無理矢理こじつけるような技術を私は持っていますが、どちらかというと、車と電車を乗継いで通勤しなければならないような郊外に一戸建を購入した多くのサブプライム・ローンの利用者とも重ねて見る方が現実的かと思います。

以下、私なりの解説となります。これを読むと観たような気分になってしまうかもしれませんのでご注意ください。

さて、お話は暴走機関車のような妻エイプリル(ケイト)を中心に、ほとんど最初から破綻した夫婦を描き、結果、破滅へと導きます。女優を目指したというよりも夢見たことがあるだけのエイプリルは当時、港湾労働者という将来のあらゆる可能性を秘めたハンサム青年フランク(レオ)と恋に落ち、出来ちゃった結婚をします。ここでは港湾労働者と訳されておりますが、60年以前は沖仲仕といって、海上に停泊した貨物船から積荷を陸へ運ぶ(またはその逆)という力仕事(エリア・カザンの「波止場」のような」)です。身近なところで言うと、夢を実現させるために佐川急便のドライバーを務めて資金を作ったという例を私は何人か知っていますが、そのようにエイプリルはフランクに何か可能性があると信じ込んだのでしょう。

いつの間にか子供も二人になり、フランクは事務機器メーカーに勤めますが、同時に上記のような、会社から遠い郊外に一戸建を購入します。この家というのが少し高く盛り上がった土地に建つ家だったのがエイプリルのプライドをくすぐります。周りからは新しく越してきた素敵な家族と定義づけられ、少し高いところに住んでいることでプライドは満たされるはずが、友人となった隣のキャンベル夫妻はさらに高い土手の上に家を持っていたのです。そこでエイプリルの実体のない女優魂に火が着き、地域の素人劇団に自称元女優のヒロインとして舞台に立ちますが失敗と終わり、プライドはズタズタでフランクに当たり散らします。これでキャンベル夫妻、特に妻のミリーにも完全に敗北したと勝手に思い込みますます。

隣人のミリー・キャンベルはというと、自分はエイプリルより美しくないというコンプレックスを抱えています。さらに夫のシェップは隣のエイプリルに心を奪われていることに気がついているようです。

もう一人ヘレン婦人というエイプリルたちに家を仲介してくれた不動産屋さんが登場します。彼女には精神を患った、元数学教師の息子ジョンがいます。周囲の住民たちは他人の不幸を喜ぶので、劇団で失敗したコンプレックスの塊の、さらに言えばジョンよりも“低い”エイプリルに話し相手になって欲しいと頼みます。精神病といってもジョンはインテリですから、二人のある計画に「郊外の狭い世界での生活が絶望的だと気付いた二人は偉い」とそれっぽい評価をしますが、エイプリルにしてみれば“郊外の狭い世界に絶望”などと大層な理由ではなく、単に何の才能もない平凡で負けたまま(でもプライドだけは高い)の自分に残された最後の手段は、家を売って、当時みんなの憧れだった“パリ”に移住することでした。パリのことも何も知らないのに。それを言葉巧みに夫を説得して二人の(現実味のない)計画となったのでした。

二人を家に招いた隣のミリーは必死にお粧ししますが、やっぱりエイプリルには勝てません。エイプリルもあからさまに夫シェップを誘惑します。さらに追い打ちをかけるように“パリ移住計画”を告げられたミリーは二人の帰宅後に悔しさが爆発して夫の胸で泣き崩れます。その泣き方は“友人が遠くに行ってしまうのが寂しい”というレベルではありませんでした。

しかし、エイプリルにも大きな問題が立ちはだかります。フランクの社内での躍進的な出世という“成功”とエイプリルが3人目を妊娠したという“失敗”です。
結果、計画は中止となるのですが、そこで喜んだのはミリーです。表向きは「二人がいなくなったら寂しい」ということですが、内心は「ザマーミロ」です。ミリーはハシャギ過ぎて酔いつぶれてしまいました。
その隙にエイプリルはとうとうやってしまいます。志茂田景樹みたいな顔をしたミリーの夫シェップと車内ファックしてしまうのです。一応それでミリーには勝ちました。後は自分の足を引っ張り夢をぶち壊した夫フランクをどうやって痛めつけるかです。

実際この作品は徹底的にシーンを省いています。フランクの行動はある程度描かれますが、エイプリルのことは実は何一つ描かれていないのです。女優を目指していたという実態や失敗した舞台の模様、子育ての様子からスクランブルエッグの出来映えすらも映されることがないのです。

適当に美しいということを自分で思ってしまったのが災いして、何の資質もないのに過程を省いて結果を得ようとする図々しさ。それは本来、資格もないのに家を買い、クレジット・カードを使いまくり、郊外の住宅地で見栄を張り合う、その正体である超低所得者というサブプライム・ローン利用者のようでもあります。
これは1950年代、戦後の好景気に湧くアメリカのお話でした。

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