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2010年12月29日(Wed)

スローライフ京都 京都

実は現在、京都市では「スローライフ京都」大作戦といふのを推進してゐる様なんですね。これはどういふものかといひますと「『クルマ』ではなくて、『歩くこと』を中心とした暮らしを市民や観光客の皆様に大規模に呼びかける取組」と、いふものらしいです。この事を、私は「京都市都市計画ニュース」から(つい先日)知ったのですが、お!いいやん、素晴らしいやん!と、思ひました。
なぜなら、私も似た様な事を、皆に白い目で見られながらも、ズーッと唱へ続けてきたからなんですね。
そもそも私はテレビは一切見ない訳ですが、その事に対して「変人」と言はれ、クルマを持たない&クルマの社会的費用を言ひ立てる事に対して「貧乏人の僻み」と非難され、すぐにタクシーを利用する事に対して「金持ちの驕り」と揶揄され続けてきた訳ですが、これら「テレビを見ない」「クルマを持たない」「公共交通機関を積極的に利用する」といふのは、みんな「スローライフ」なんだよ!
「スローライフ」か。・・・いい言葉だな。今まで、私は自分の実践してゐる生活哲学(?)に対して、適当な言葉を与へる事ができなくて、誤解と非難の嵐の中にジッと座って耐へてゐた訳ですが、これからは自分の事を「自称スローライファー」と称しようと思ひます。

大体ですねー、京都に限った事ではないですが、日本では細い道にクルマが走り過ぎる!特に、京都なんか細い道が多いんですが、そこをクルマがガンガン走ってゐて、歩行者は道の端を怖々と、電柱などを除けながら歩いてゐる始末。こんなのは間違ってる!異常だらう!・・・と思へない人はどこか壊れてゐるとしか思へません。私は市民の権利を守るべく、道の真ん中を歩いたりして果敢にクルマに闘ひを挑んでゐるのですが、いつも敢へなく敗退してゐます。その度に、う〜む、日本はなんて文化的三流国なんだ・・・と、憂国の情を禁じ得ません。

そんな惨状の中、京都が全国に先駆けて「歩くまち・京都」を打ち出したのは素晴らしい事だと思ひます。思ひますが・・・ぬるい。やってる事がぬる過ぎます。
とりあへず京都市がやってゐる事は、公共交通機関を使ひ安くするために、フリーパス切符を発売したり、バス停をオシャレ(?)に改装したり、公共交通マップを配布したり、などです。他にも、クルマに頼らないためにはどうしたらよいか、みんなで考へる・・・とか、クルマに頼らない生活の利点を訴へる・・・とか、やってゐる様ですが、そんなぬるい事で世の中が改善するものかぁー!
ここは強制的に法律(条例)で、厳しく規制をしくしかありません。そもそもこのプロジェクトの始まりは、平成20年度に約1万5千人の市民を対象に行ったアンケートで、京都の街にはクルマより歩く人々の方が馴染む、と答へた人が95%にものぼった、といふ事の様です。であるならば、条例で規制する事は無茶ではないでせう。ま、私は無茶でもやった方がいい、やるべきだ、と思ひますけどね。

つまりかういふ事です。クルマが一台しか通れない様な、道の両側に十分な歩行者の通るスペースがとれない様な細い道は、一切の車両乗り入れを禁止するのです。これしかない。そもそも、そんな道は歩行者のためにある訳ですから、これは歩行者の当然の権利回復です。歩道にクルマが無理矢理突っ込んできて、歩行者を蹴散らしてゐる様なもんだ。酷いよ、全く。

今の京都の街は、年々汚く、下品で、文化度の低い、なんの魅力もないものへと転落しつつあります。メディアを使った京都ブームの演出も、もうそろそろ限界にきてゐるのではないでせうか。金儲けに邁進し過ぎて、街そのものを殺し続けてゐるのではないか。ここらでひとつ、なにか思ひ切った大転換をしないとヤバい、と思ふんですけどねー。
それにはやはり、スローライフがいいのではないでせうか。古都なんだもの。古いんだもの。ゆったりした空気、取り戻しませうよ。

自称スローライファーの提言でした。

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