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2016年11月11日(Fri)

エリサベト訪問/ダゲレオタイプの女 etc

10月25日~11月6日

エリサベト訪問

国立国際美術館に「ヴェネツィア・ルネッサンスの巨匠たち」展を観に行きました。これは日伊国交樹立150周年特別展と銘打って、アカデミア美術館の所蔵するルネッサンス期のヴェネツィア絵画を一挙公開!したもの。
ティツィアーノの『受胎告知』が日本初公開!として目玉になってゐますが、まぁ、確かに見応えのある絵は何点かあるものの、全体としてはなんとなく喰ひ足りない、満足度の低い絵画展でした。あくまで個人的感想ですが。
しかし、これもメチャ個人的感想なのですが、ひとつ「おお!」と眼を惹く絵があったのです。それはヴィットーレ・カルパッチョの『聖母マリアのエリサベト訪問』です。が、この話をする前に、先日の法隆寺の話をしなければなりません。

先日、法隆寺に行った時に、中門が工事中で残念だった・・・といふ話を書きましたが、なぜかといふに、私は法隆寺に行ったら是非とも中門を観てみたい、中門の真ん中に建つ柱群を観てみたい、と考へてゐたからです。
法隆寺西院の中門は、真ん中に柱群がある、といふので有名なんですね。つまり、門の真ん中に柱があって、真ん中が通れない様になってゐるのです。この様な門は他の寺院建築にはないらしく、昔から「何故この様な建て方をしたのか?」と議論の的になってゐたのです。
ま、色々な説がある様ですが、最も話題になったものとしては、梅原猛が『隠された十字架』で展開した、聖徳太子一族の怨霊を封じるため、といふのがあります。この説はかなり話題になった様で、アカデミズム方面ではあまり相手にされなかったとはいへ、世間一般への影響力はかなり大きく、未だにこの説はあちこちで見聞きします。
私としては、この「聖徳太子一族の怨霊封じ説」は違ふのでは・・・と考へてゐます。なぜなら、確かに聖徳太子一族は政争に破れて根絶やしにされましたが、だからそれを恨みに思って怨霊と化してゐる・・・といふのは、あまりに現代的な考へだと思ふからです。
山背大兄皇子をはじめとする聖徳太子の一族は、蘇我入鹿の軍に攻められ、いったんは引いて体勢を立て直すのですが、「戦争をすると罪なき人々を巻き込んで苦しめることになる」といふ考へから、全員法隆寺に戻って自決しました。この非暴力と世間虚仮の考への実践を、人々はなにより尊ひものとして、古来崇めてきました。
いや、実際のところ、山背大兄皇子たちが何を考へて死んだのかは分からないですよ。でも、世間の人たちをそれをどうとったのか、といふのが大事だと思ふのです。あの人たちは恨みを抱いて死んだんだ・・・と思はなければ、怨霊は発生しません。恨みどころか、大いなる慈悲の心を示された・・・と考へられてゐた訳だから、やはり怨霊説は成り立たないと思ふのです。皆殺しにされたんだからさぞや恨んでゐるだらう、といふのは、聖徳太子信仰の薄れた現代だからこその思ひつき、に思へるんですね。
とはいへ、私は『隠された十字架』は重要な本だと思ってゐます。だって山岸涼子の傑作『日出処の天子』の大いなる発想源になった本ですから!

ぢぁあ、中門の真ん中のあの柱はなんなんだ、といふ事になる訳ですが、うーん、なんなんでせうね。法隆寺の西院は、五重塔と金堂が横に並列して建ってゐるのでも有名なんですが(これも他にはない配置らしい)、このドーンと高い塔と、こんもりとした金堂の並列配置、これを中門から観ると、左に細くて高いもの、右に丸くて低いものがあって、見た目のバランスが悪い。今はこの二つの建物の奥に講堂があって、なんとなくバランスをとってゐるのですが、建造当初は講堂はなかったらしい。となれば、なんとなく空間が締まらなくなるのを引き締めるために、中門の真ん中に柱を建てたんぢゃないか・・・といふバランス説といふのがあって、まぁ、これが無難かな。と、漠然と思ってゐました。ので、それを自分の眼で確かめるためにも、中門を観たかったんだよー。(正確には中門からの眺めを確かめたかった)

それはともかく。前説が長くなりましたが、ヴィットーレ・カルパッチョの『聖母マリアのエリサベト訪問』です。この絵、左側に高い塔が描かれ、右側に低い建物が描かれてゐるのです。そして、画面の真ん中には二人の女性が寄り添ふ様に、丸で一本の柱の様に屹立して描かれてゐるのです!
私はこれを観て、おお!これは正に法隆寺西院と同じ配置!バランス説は妥当かも!と興奮したのでした。
ま、そんな感じー。

ダゲレオタイプの女

シネ・リーブル梅田にて『ダゲレオタイプの女』を観ました。これは黒沢清が単身フランスに行って、フランス人の役者を使ひ、フランス人のスタッフを駆使して作った、黒沢清初のフランス映画。といふ事で話題になってゐる作品です。
最初期の写真装置「ダゲレオタイプ」を、現代でも使ひ続ける有名写真家とその娘、そこに助手としてやってきた青年、の間で進行する現代のゴシックホラー・・・といった映画なのですが、なんつーか、フランス映画であるにも関はらず、どっからどう観ても、黒沢清の映画となってゐます。
うーん、黒沢清って、しっかりと独自のスタイルがあり、それはどこに行っても揺らがないんだなぁ、と感心する一方で、せっかくのフランス映画なのにいつもと同じやん!といふ密かな不満もあり、見終はっても、なんだかモヤモヤとしたものが残る作品でもありました。むむー、カッコいい映像はたくさんあるんだけどなぁ、なんか・・・もうちょっと欲しい様な。
それはともかく。観てゐて一番びっくりしたシーンは、ヒロインが階段を転がる棒の様に回転しながらゴロゴロと落ちてくるところ。うわ!今の大怪我だよ!と肝を冷やすほどの派手な転がり落ち方で、多分『回路』の時のビルから落下シーンみたいにうまくCGとか使って撮ってゐるんでせうが、びっくりしました。凄いシーンです。
ここで私がゆくりもなく思ひ出したのが、アニメ『君の名は。』でのヒロインの坂道転がり落ちシーン。あれも転がる棒の様にゴロゴロと回転しながら派手に坂道を転がり落ちていくので、その迫力や動きに圧倒されました。
人間が転がり落ちるって、凄い事だなぁ。
私の中では、このシーンで、『ダゲレオタイプの女』と『君の名は。』は同じカテゴリーに入ったのです。ヒロインが転がり落ちる映画。他には、どんな映画があるかなぁ。

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