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2010年09月19日(Sun)

「日本画」の前衛 アート

先日、京都国立近代美術館にて「『日本画』の前衛 1938−1949」展を観てきました。
これは戦前の1930年代頃、世界の絵画の劇的な革新に影響を受けて、日本画の世界にも起きた“前衛”運動を、1938年結成の“歴程美術協会”から戦後の“パンリアル”誕生まで、を視野に収めて構成された展覧会です。
戦前の日本における美術の前衛運動といへば、どうしたって“自由美術家協会”や“美術文化協会”なんかが有名ですが、これらは“洋画”の前衛運動です。それに対する日本画の前衛運動とは・・・?と、いふ事なんですが、当然のごとく日本画にもさういった運動はあった訳で、恥ずかしながら私はちっとも知りませんでした。さういった事情もあって、本展覧会は非常に興味深く、楽しめるものでした。

まづ、入ってすぐに山岡良文の「シュパンヌンク」と、山崎隆「象」が展示されてゐますが、これでガーン!とやられる。日本画、といふ言葉から想像もできない、抽象画です。純粋に、色と形で構成されてゐる。う〜む、なるほどー、日本画にもこんな表現が、すでに戦前にあったのかー、と感慨深く頷いた所で、フッと疑問が沸きました。
これ、ホントに日本画なん?・・・て、いふか、日本画ってなに? だって、別にこれ、「これが日本画だ!」といって見せられなければ、普通の抽象画でせう。一体、日本画の定義とは???

といった次第で、私は入ってすぐの所で躓き、しばし沈思黙考。どんどん先に行ってしまふトモコを横目に5分ぐらゐ、「シュパンヌンク」の前で目を閉じてゐました。で、フッと目を開けて説明書きの紙をみると、「紙本着彩」といふ文字が飛び込んできました。あ、さうか。
“洋画”とはキャンバス(布)に描かれた油絵の事で、“日本画”とは紙に墨や岩絵具で描かれた絵の事なんだな。つまり、素材と技法による区別な訳だ。なるほど、なるほど〜。確かに、これは紙だ。
しかし、そんな素材と技法による区別なんて、世界的にみて意味があるのだらうか?

ここで、これまたフッと、私は恐ろしい事に気がついてしまひました。むろん、素材や技法による区別、といふのはあるだらうけど、もっと単純に、日本画と洋画の違ひとは、出自の違ひではないのか?つまり、美術学校の日本画科を出た人が日本画家で、その人が描いたものが日本画。洋画科を出た人が洋画家で、その人が描いたものが洋画、と。
さうだ、絶対にさうに違ひない!・・・うわー、なんぢゃそれー、そんな学校の出自による違ひなんて、そんなもの、わざわざ違ひにする必要があるのかー!と、ワヤワヤ心の中で騒ぎながら私は展覧会を観て廻りました。

すると、面白い。非常に面白い。グングンと惹き付けられます。さすが日本画だけあって、屏風に描かれたものも多いのですが、それらの感じとか素晴らしい。私が特に気に入ったのは船田玉樹と丸木位里。彼らの画面構成は、日本的美意識に満ちてゐながら、なんともアバンギャルドです。
う〜む、素晴らしい。と感心しながら、またまたフッと、私は考へを変へました。

やはり、日本画と洋画の区別は意味がある。少なくとも、戦前の時点では意味がある。なぜなら、(意地悪な言ひ方をすれば)洋画にとっては、保守・伝統も革新・前衛も、ともに所詮は輸入品です。言ってみれば、保守も前衛も等価。前衛的な洋画を描いたって、それは保守的な洋画を描くのと同様、向かうの真似に過ぎない(かもしれない)。
それに対して、日本画家は、日本の伝統的な美意識・形式に縛られてゐます。そのなかで、それでも世界の絵画の革新をみて、刺激を受け、自分たちもなんとかせねば・・・といふ葛藤が、画面に深みを与へてゐる様な気がするのです。

もちろん、洋画家の中にも優れた前衛意識を持った人は居るし、21世紀の現時点ではあまり日本画/洋画の区別は意味がなくなってゐるのかもしれませんが、戦前の時点では意味があった様な気がします。これらの絵の一種独特な感じを観てゐると、さう思へるのです。

是非もう一度観に行きたい、と思はせる展覧会でした。

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