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2010年05月31日(Mon)

sade 音楽

ブレット・イーストン・エリスの「アメリカン・サイコ」は、現代人の愚かさを描き切った爆笑必至の傑作だけれども、その中に「〜もとをたどれば、マイケル・ジャクソンやサドのような、モダンジャズを売り物にしたアーチストだけでなく〜」といふ記述があって、サド?そんなアーティスト居たかな?としばし頭を抱へ、といふのも、文脈からいってここにはマイケルやマイルス並みの大物・有名人の名前が入るからで、う〜ん、分からないはずがない、もしかして誤訳か・・・、と思った途端に「ああ、シャーデーか」と分かった思ひ出があります。

そもそもこの作品には高級ブランドや有名スポット、アーティストや芸能人などの固有名詞が大量に出て来るのだけれど、それらに“?”な訳し方をされたものが散見した覚えがあって(昔なのであまり覚えてませんが)、確かに固有名詞の訳し方は難しいので仕方がないのかもしれませんが、この本では訳者の人が“あとがき”で「蛇足ながら、ブランド名などの固有名詞は、アメリカ人の読者にとっても、わかるものばかりではない。つまりは異常な氾濫と思えばいいわけで、わからないなりに、どんどん読み進んでかまわないだろう」と書いてゐて、それは半分正しいが半分は間違ってるのではないか?と、その時に思ひ、今でもさう思ってゐるのであった。
むろん全ての固有名詞を分かるのは難しいでせうし、分かる必要もないでせうが、それでも大体の所を分かってないと、この作品の面白さは激減するのではないか?と思ふのです。
例へば、ボッテガ・ヴェネタやヒューゴ・ボスがどんなブランドか知らなかったら、彼らの悪趣味振りは分からないだらうし、アケイシアやクリスタルが如何様なワインか知らなかったら、彼らの俗物振りは伝はらないと思ふのです(むろん、これらのブランドやワインが悪い訳ではないですよ)。で、ジェネシスやヒューイ・ルイス&ザ・ニュースがどんなグループか知らなかったら、主人公ベイトマンくんの音楽論を楽しむ事はできないでせう。
そんな訳で、シャーデーを知らない人が「アメリカン・サイコ」をちゃんと訳せるのだらうか?と、正直当時思ひ、今も思ってゐます。だって、シャーデーだよ、シャーデー。世界で最も有名なグループのひとつではないか。しかも、80年代アメリカを舞台にしたこの小説に、如何にも出て来さうな名前だ。(ここで、この本ではまるでシャーデーがソロ・アーティスト名の様に扱はれてゐるのが気になります。これはベイトマンくんの勘違ひか、それとも訳者の勘違ひか。ま、ベイトマンくんの勘違ひだらうね。)

そんなシャーデーの9年振りのアルバムが話題になってます(って、前フリ長かったなー)。
私自身は、別にシャーデーのファンといふ訳ではありません。今回のアルバムも買ひましたが、如何せん地味すぎて。はっきり言ってしまへば、少々退屈だと感じました。
私はシャーデーのアルバムは今まで3枚しか聴いた事がありませんが(ファーストとセカンドとLove Deluxe)、それらに較べて、曲から立ち上がるイメージが凡庸に思へるのです。リードシングルの「Soldier Of Love」を最初に聴いた時は、“無惨”といふ言葉が頭に浮かんだほどで・・・。
それでも何度か聴くうちに、そこまで悪くはないかな、と思へる様になったのですが、とはいへ、やはりこんな事を書いてしまふのは、このアルバムに対する巷の絶賛の嵐への違和感からです。そんなにいいか?このアルバム。う〜む、納得いかない。個人的には、もう二度と聴く気はしないのです。「Babyfather」を除いては。
この「Babyfather」といふ曲は素晴らしいです。レゲエ調なんですが、曲から立ち上がるイメージは、レゲエの持つ開放感・ヌケとは全く違ふ、グッと引き絞られたもの。そこから、仄かに華やかな気配が立ち上る。素晴らしい。なんでこれをシングルにしないんだ、と思ってゐたら、どうやらシングルカットされた様で、PVまで発見してしまひました。また、このPVが素晴らしい!さすが、シャーデー。この一曲があるだけで、やはり十分かな。
みなさんにも、是非このPVを観てほしい、と思ってこの日記を書きました。アデュはすでに50歳を過ぎてゐるはずですが、まだまだ若々しい。そして、美しいです。

ちょっと、フランソワーズ・モレシャンみたいかな?

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