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2009年06月10日(Wed)

俺にさわると危ないぜ 映画

DVDで「俺にさわると危ないぜ」を見ました。
この映画は前から見たかったのですが、理由は以下。

まづ、小林旭主演の映画であること。
次に1966年制作の映画であること。
さらに、長谷部安春の初監督作であること。
そしてなにより、都築道夫の「三重露出」が原作である、と言はれてゐた事です!
「三重露出」は、ミステリーファンなら誰でも(?)知ってゐる都筑道夫の初期の名作ですが、非常に凝った構造を持った作品です。翻訳家である主人公が、過去に起こった殺人事件の謎解きをする。といふ話と平行して、その主人公の訳してゐる小説も同時進行する、といふ。これで二重露出ですが、あとひとつ、重なってくる話があって・・・・・・、と、これはネタバレになるのでこれ以上は書けません。が、とにかく、その小説が、忍術修行に来日したアメリカ人が女忍者集団やヤクザたちと死闘を繰り広げる、その時に奇妙奇天烈な日本の風俗が紹介される、といったものであったりと、とにかく凝りに凝った作品なのです。
これが如何に映画化されてゐるのか。脚本には都筑道夫氏自身も参加してゐるといふ事だし、大いに楽しみにして鑑賞に臨んだのですが・・・。

いや、これは一寸、私の勇み足でした。
映画はごくシンプルなアクション映画で、「三重露出」とはほとんど関係なし。女忍者集団とヤクザと主人公の死闘、といふ(小説内小説の)設定だけ借りて、後は全く別の作品でした。そもそも小林旭が日本人なんだものな・・・。
予断を持って見始めた私が悪いとはいふものの、少し残念でした。
例へば、なんで女忍者なのか、といふと、これは風太郎の忍法帖シリーズに対するパロディといふか、オマージュな訳で、だから原作の「三重露出」での忍法はお色気満タンだったりする訳です。せめて、この点だけでも忠実に映画化してゐればなぁ・・・。
(でも、さうすると日活アクションではなく、ロマンポルノになってしまふか)

しかし、小林旭の活躍を見逃す訳にはいかない。66年制作といふ事なら尚更。そして、「野良猫ロック」の傑作群を撮った長谷部安春(藤田敏八より断然いい!)の原点を確認できた、といふ意味で、有意義なDVD鑑賞でしたー。

追記 長谷部安春は、この監督デビュー作で映像に凝り過ぎて、一年ほど仕事を干されたさうです。さすがー。

Comments

投稿者 店主 : 2009年06月22日 04:20

なんと! 14日に長谷部安春氏が逝去されてゐました。
80年代以降の長谷部監督には、個人的にあまり興味がなかったのですが、ごく最近まで精力的に活躍されてゐたんですね。
御冥福をお祈りいたします。


デイリーオンラインニュースから、記事貼付け

『映画「野良猫ロック」シリーズなどのアクション映画や、ドラマ「あぶない刑事」「西部警察」「相棒」などを手がけた映画監督で演出家の長谷部安春(はせべ・やすはる)さんが、14日午後5時7分、肺炎のため神奈川県内の病院で死去していたことが20日、わかった。77歳。葬儀・告別式はすでに親族のみで済ませたという。長谷部氏は日活でニューアクション路線を支え、その後テレビ界に進出。アクション、刑事もの作品には欠かせない人物として名をはせていた。

  ◇  ◇

 「べーさん」と誰からも親しまれていた長谷部さんが、天国へと旅立っていた。

 関係者によると、長谷部さんは1年ほど前、映画「鑑識・米沢守の事件簿」の撮影を終えた後から体調が優れなかったという。今年3月下旬に行われた同映画の初日舞台あいさつに出席した際には、元気な姿を見せていた。映画は、長谷部さんが監督、息子のハセベバクシンオー氏の小説が原作と“親子共演”を果たしたとあって、壇上でうれしそうにしていた。だが、これ以後、公の場への登場はなかった。

 直後に体調が悪化し入院。周囲を気遣い「(入院を)漏らすなよ」と、詳しい容体など明かしていなかった。今月14日に帰らぬ人となった。

 長谷部さんは、58年に日活に入社し「日活ニューアクション路線」を支えた。80年に独立しテレビ界にも進出。映画で培ったアクションを武器に、「あぶない刑事」「西部警察」「大都会」「相棒」などの刑事ドラマシリーズを多く手がけた。現場では怒鳴り声が絶えず、厳しいと評判の監督だったが、仕事を離れると、シャイな人柄だったという。

 81年には、自身が監督を務めた「西部警察」で、主演の故・石原裕次郎さんが解離性大動脈瘤で入院。その際、内容変更や撮影の変更などドラマに関するすべてを仕切り、放送にこぎ着けた。

 長谷部さんの手がけた映画やドラマに多く出演した俳優・渡哲也(67)は、都内で取材に応じ「3年前会ったのが最後。『大都会』をやってたとき(松田)優作くんと衝突して『表に出ろ!』とかいうこともあって、血気盛んな監督さんでした。熱血漢で元気なイメージしか残っていないので…。ショックでした」と、信じられないといった様子で話していた。』


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