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2006年06月26日(Mon)

神戸 俳句

 西東三鬼著『『神戸・続神戸・俳愚伝(講談社文芸文庫)を読む。この西東三鬼の『神戸』は、非常に面白く且つ入手困難なことで有名な本で、私は大学生の時に小林恭二が編んだアンソロジー『俳句とは何か(福武文庫)でその一端に触れ、これは是非全部読みたい! と思つてゐたのだけれど、例のごとく何の努力もしないでゐたところ、数年前に講談社学芸文庫に入つた。これは、とその時に早速入手したのだが、例のごとく積ん読状態だつたのを、ヒョンなことから読んでしまつたといふ次第である。

 異色の俳人である西東三鬼は、戦前に特高による新興俳句運動弾圧に遭ひ、俳句を捨てる事を余儀なくされ、全て(俳句、家族、生活)を捨てて東京から神戸に遁走した。そしてトーアロード沿ひにある国際ホテルに滞在する事になるのだが、そこは当時(戦時下)の世間から爪弾きにされた人々、即ち日本人売春婦、ロシア人、エジプト人、トルコタタール人、台湾人、朝鮮人などの外国人が屯する「ハキダメホテル」であつたのだ。そのホテルでの奇妙な日々を、事実に即した、と強調しながらも、多少の脚色を交へつつ書かれたのが「神戸」である。

 今回全てを読んでみて、その無類の面白さに圧倒された。ここまで面白い作品は、最近久しく読んでゐなかつた。なんと言つても「自由」なのだ。「自由」の気が全体に漲つてゐる。確かに時代は戦時下、物資は不足するし、本人も貧乏でやる事もなく、どこにも行くこともできず、鬱々とした日々を過ごしてゐるのだが、その全てを捨て去つた(多分、明日といふ日をも)境地が、かへつてなんともいへない「自由」を読むものに感じさせるのである。これは正に「俳」の境地である。芭蕉が、風流遂に菰をかぶる、とか何とか言つた、あの「俳」の境地である。西東三鬼はやはり偉大な俳人であつたのだなァ、と、本を閉じた後に嘆息してしまつた。

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