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2006年02月05日(Sun)

エデンへの道 映画

 ビデオで『エデンへの道(ロバート・ペヨ監督)を観る。これはベッチに6,7年前に借りたもの。そんなに長く借りッぱなしになつてゐたのか……。あんまりだな、我ながら。と、先日部屋を整理してゐた時に見つけて感慨に耽つたので、観てみることにしたのである。

 これは、ある解剖医の日常を追つたドキュメンタリー映画である。とはいへ、微妙に全編が演出くさくて、ま、さういふドキュメンタリーもあるだらうが、なんだか違和感を感じる。印象としては、ヤコペッティの映画のやうな感じ。別に嫌いではないけれど。

 公開当時、頭の皮を剥いで、頭蓋骨を電動ノコギリで切断し、脳味噌を取り出す…といふ解剖の様子を克明に写したことで話題になつたが、さういつたグロな要素も、私が長年に渡つて観ないでゐた要因なのだけれど、気合ひをいれて、我慢して、観たのである。いや、確かに凄かつた。テレビの前でのたうち廻つてしまつた。が、今はそれは置いておかう。私が気になつたのは、実は、この作品の発するブラックユーモア感覚の方なのである。

 この映画では、死体置き場と、老人ホームが交互に撮されたりする。むろん、現代社会から疎外された“死”といふものを意識させるためなのだらうが、ズウッと老人ホームで死んだやうに眠る老人たちの顔を映していつて、気がついたらズウッと死体の顔を映してゐた、といふのはどうだらうか。これも、“死は身近にある”といふ事を示したいのかもしれないが、悪い冗談のやうな気がしないでもない。しかし、もつと凄いシーンがあるのである。

 問題の壮絶な解剖シーンに移る直前、解剖器具を確認しながら正に解剖に移ろうとする主人公が、突然、「私は幼い頃、料理人になりたかつたが、父親に反対された」と回想するのである。これでは否が応でも、今から始める人体の解剖と、料理、が重なつて見えてしまふ。さらに、なんと! 回想は「私は今でも料理が好きだ」と続き、本当に主人公が魚を料理するシーンになるのである。60〜70センチほどある大魚を、生板の上で調理する。もちろん、魚は生きてゐる。喉にグサッと庖丁をいれられ、血が噴き出し、魚は口をパクパクさせて暴れる。これを押さへつけてグググッと腹まで割いていく。そしてお腹の中から内臓を取り出して……と、克明に続いていくのだが、私はこのシーンで一番悶絶してしまつた。凄いな、なんか。これも、これから行はれる解剖シーンの衝撃を和らげるために入れられてゐるのかもしれないが、ほとんど完璧なブラックユーモアだと思ふ。笑へばいいのか、戦慄すればいいのか、悶絶してればいいのか、混乱してしまひました。

 かやうに、見やうによつては黒い笑ひに満ちた怪作。貸してくれたベッチに感謝します。

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Comments

投稿者 Betch : 2006年02月13日 00:24

確かにかなり演出過剰で鼻についた記憶があります。久しぶりに見てみます。

投稿者 店主 : 2006年02月14日 19:04

あ、Betch、どうも長い間すみませんでした。今年は頑張つてあれもこれも観て、順次返していきます。・・・

投稿者 Betch : 2006年02月19日 23:19

いえいえ。ま、返ってきても置き場所が無かったりしますので、ごゆるりとどうぞ。

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