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2014年10月01日(Wed)

ジャージーボーイズ []

Text by 元店主

イーストウッドの作品はどれもこれも面白いけれど、今作は近年の作品の中では最もガツーンときた傑作。フランキー・ヴァリとフォー・シーズンズを描いたミュージカルの映画化。フランキー・ヴァリとフォー・シーズンズ・・・といえば、私の様なノーザンソウルファンの頭の中には即座に「YOU'RE READY NOW」「THE NIGHT」のノーザンソウルクラシック二曲が流れる様になっていて、ええ!イーストウッドがノーザンの映画を!!と、一瞬トチ狂って動揺したりもしたのだけれど、むろんそんな映画ではなく、彼らのデビュー前から国民的な人気グループになり、色々あって解散、復活、そして90年代に至る・・・が描かれる、真っ当な音楽伝記映画でした。
真っ当な・・・と言いましたが、この面白さは尋常じゃない!

これは前から言われている事ですが、ほんとイーストウッドの音楽に対する理解・愛情は深い。とにかく音楽の使い方がハンパなくうまい。これはミュージカルの映画化ですが、映画自体はミュージカルではなく、物語の進行する中で、ごく自然な形でみなが歌い、演奏し、音楽が流れる様になっています。が、この使い方が息をのむほど素晴らしいのです。もう、わかってらっしゃるー!と叫び出したくなる程。また、音楽がどれもこれも素晴らしくて(ノーザンの二曲は使われてませんが)、音楽の至福にドップリと浸らせてくれます。ホワイトドゥー・ワップ〜ホワイトソウルという、甘く危険でドリーミーで胸を刺す、至福の音楽。

また近年のイーストウッドは、もしかして何も考えず感覚で撮っているのでは?と思わせる天衣無縫で王者の風格漂う映画を撮るんだけれど、今回はむしろ、ああ、うまい!と思う所が多々ありました。というか、お話自体がベタだからなのか、ベタな撮り方を徹底して排除しているのです。例えば、グループがスーパースターに駆け上がっていく所とか、ベタなイメージに汚染された頭には、ヒットチャート表や雑誌の表紙の映像、マスコミでちやほやされるテレビ的映像が瞬間的に浮かんでしまうのだけれど、イーストウッドはそんなイメージは一切使わない。だから、最初は「あれ?」と肩透かしを喰った様な気分になるのだけれど、グループの影の部分が現れてくる部分や、襲ってくる悲劇、崩壊、復活、などのどのシーンにおいても、ベタなイメージは徹底して排除されているので、これは意志的にやっているんだ、と得心できます。敢てベタな盛り上がりを排し、禁欲的ともいえる撮り方をしているからこそ、堅実で大きな感動があるのだ、と感心しました。(でも、それ故に、テレビに汚染された人々にはこの良さが分かりにくいのでは、という一抹の危惧も・・・)

この映画では、登場人物が画面の外の観客に向かって話しかけます。これは舞台版にもある演出らしいので、もしかしたらそれをそのまま使ってるだけかもしれないけれど、これが見事な効果をあげているのです。映画自体が相対化され、語られる話が虚構化され、栄光も挫折も後悔も幸せも、全てを舞台=スクリーンに封じ込めた小宇宙として提示する事に成功してるのです。それは人生の全てを数分間に封じ込めた、ポップスそのものです。
だからこそ、最後のフィナーレ、登場人物全てによるダンスシーンは感動的です。私は指を鳴らし、足踏みをし、一緒に歌いました。いやー、映画館でそんな事をしたの、何年振りだろ。

ところで「DECEMBER, 1963」のアレンジが、オリジナルよりずっとカッコ良く感じたんだけど・・・映画のマジック?てか、誰がアレンジやってるのかなぁ。

Comments

投稿者 マツヤマ : 2014年11月06日 13:20

期待以上に面白かった。
冒頭、ヒゲを当たるシーンはマカロニウエスタンでも使われるパターンで何とも嬉しかった。音楽映画であり、4人の男の映画であり、父親の映画でもある、まさにイーストウッド作品の集大成といった感じ。「ローハイド」でテレビ俳優から這い上がってきたイーストウッドが、当時同時代に活躍していた彼等のことも見ていたのだろうか?
舞台のキャストだけどミュージカル仕立てにはせず、ロックの殿堂入り再会のステージでは、ベタではあるけど映画だからこそ出来る小技を使い、そこからラスト、ミュージカルに反転したのは意外性もあって、かなりグッときたね。全員が出てくる、これもまたベタなパターンだけど、下手な小細工もなく、こういうのは好き。
「君の瞳に…」で、あ、そういえばボブ・クリュー、と改めて思い出した。「バーバレラ」の主題歌とは姉妹のような曲。クリューがジャケットに写ったLPを持っていたけど、なんとなくあんなイメージだったと思う。ジョー・ペシは、スコセッシの作品で見る、ちょっと間抜けで気のいい舎弟のイメージのままだけど、実際もああいう人なんだろうか?
あくまでも映画然としているんだけど、キャストがスクリーンの外に話しかけることに違和感がないのは、全編通してある意味、舞台のような臨場感があるから。久々にもう一度観たいと思える映画だった。

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