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2013年06月09日(Sun)

「セレステ ∞ ジェシー」 []

Text by Matsuyama

クインシー・ジョーンズの娘で、モデルや女優として活躍し、トレンド発信者(?)としても人気があるというラシダ・ジョーンズ(って日本でも有名なの?)が主演、脚本、製作総指揮を務めたラブ・ストーリー。ネットメディアやパンフを読む限り、監督リー・トランド・クリーガーの影は薄い。原題:CELESTE AND JESSE FOREVER

セレステ(ラシダ・ジョーンズ)とジェシー(アンディ・サムバーグ)の2人は何をするにも息の合った親友同士のようで、端からみればとても仲のいい夫婦だ。しかしバリバリのキャリア・ウーマン、いわゆる勝ち組のセレステは何事も自分主導でなければ気がすまず、他人には手厳しい。一方ジェシーはイラストレーターとして一向に芽が出ないばかりか上昇志向もない。礼服も銀行口座もない、結婚相手としては不適格なジェシーとはずっと親友でいられるようにと、セレステは離婚を決意する。そしてジェシーを自宅の離れに住まわせ、とりあえずは別居状態になっていた・・・というのが導入部分のあらまし。

多少とっぴな設定ではあるが、ジェシーの気持ちが自分から離れていることを知り、彼が改めて自分にとって大きな存在であったことに気付いて急変してしまうセレステの心理描写が実に痛々しい。女性に限らず、似たような経験をした人は多いのではないだろうか。
別にオレは恋愛問題に明るいわけではないけど、自分にとって大きな存在(と思い込んでいる相手)を失ったということは、同時に相手の中で自分の存在が無くなったということで、その事実を受け入れられないのが「未練」であり「運命の相手」という思い込みだ。
「運命の相手」や「運命的な出会い」などとよく言うが、そもそも人の想いや予想を超えた「運命」と、人間が勝手に作った制度でしかない「結婚」とを同じ次元で語った時点で、「運命」という言葉が如何に軽々しく扱われているかを理解すべきだと思う。
というわけでセレステにとって、ジェシーのどこが大きな存在なのかがオレには今ひとつ分からない。くだらないギャグや下ネタで盛り上がることで「価値観が同じ」と言いたいのかもしれないが、それ以外は互いの仕事にも興味がないみたいだし、たとえ最初は運命の相手だと思ったにしても、今は違う。どう見たって親友、“テッド&ジョン”(「ted」レビュー参照)みたいな関係のような気がする。

後半で描かれているのは、いらなくなった自分のオモチャを他の子供が欲しがったときに急に惜しくなるような、嫉妬というよりは、セレステの子供染みたジェシーに対する“執着”でしかない。そんな単純明快なことをわざわざセレステの高慢が招いた悲劇として描かれているけど、それは間違っているぞ。
セレステが離婚を決意したのは、ジェシーがいつまでたっても子供のままで、結婚という制度に乗れるほどの社会性が身に付かないと判断したからでもある。ただ、2人は親友みたいに仲がいいからいつまでも一緒にいられると勝手に思っていたら、ジェシーの中で自分の存在が小さくなっていることにハッと気付いて焦った、というだけのお話だ。

セレステの高慢さにそれほど害があるとは思えないし、高慢という短所があるからこそ愛されるということもあるだろう。それよりも、たった一度のデート相手への避妊なしセックスも含めて現実に向き合おうとしないジェシーの方にこそ問題はあるのだが、この映画はセレステの成長物語にしたいという意図が先行し過ぎて、そこにはまったく言及していない。うがった目で見れば、ラシダの何か個人的な後悔や謝罪が込められているのではないか。

少なくとも2人の共通の友人のスキルツはセレステに好意を持っていて、すべてを受け入れてくれている存在だ。
さて、このスキルツ役のウィル・マコーマックという人はラシダと共同執筆した脚本家で製作総指揮者でもある。しかもラシダのインタビュー記事によると「ウィルとは昔3週間だけ付き合って、すぐに友達の方がいいねって別れた~」相手でもあるらしいから、どんなにセレステの想いを重く描こうとも、なるほど、映画全体に制作者たちの軽さがにじみ出ていると思えば納得だ。やはり2世セレブのお遊び映画か、と思ってしまうのは決して安易ではないだろう。

とはいっても、映画として悪かったか?というと、そう悪くはない。何よりも選曲がオサレ(←ちょっぴり揶揄)。
セレステとジェシーが仲良くジャレ合っているツーショット写真の連続再生に絡む、ちょっと切ないリリー・アレンの曲のグッとくるオープニングから、フレディ・スコットの軽快なソウルでまたまたグッとくるエンディング。友人の結婚式でかかるクインシージョーンズの孫、サニー・レヴァインの曲もなかなか美しい。そして何よりもセレステがヨガ教室で知り合った男性とのデートで入るサルサバーが「超カッコいい!」とオレが思う前にセレステのセリフで「ここカッコいい!」と言わせるのはどうなんだよ!って、それともセレステのセリフがオレに刷り込んだのか? どっちでもいいけど、ここでかかっていたのがジョー・クーバの「Mi Jeva(ミ・ヘバ)」って曲。演奏しているBoogaloo Assassinsってインディーズのライブバンドなのかな? YouTubeでライブ映像を見る限りではあんましパッとしないんだけど、ラシダのお友達なんだろうか? まあどっちにしても映画で不意にかかるラテン音楽にはいつもグッとくるけどね。

ということで音楽良ければすべて良し!・・・ってことにもならないか。だからあえて「遊び慣れたセレブたちのオサレ(←ちょっぴり揶揄)映画」とでも言っておこうか。

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