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2011年05月07日(Sat)

「悪魔を見た」 []

Text by Matsuyama

「甘い人生」「グッド・バッド・ウィアード」に続いて、キム・ジウン 監督=イ・ビョンホン主演の第3作目。今回は敵役に大物俳優チェ・ミンシクを迎えた復讐劇。しかし実はチェ・ミンシクの持ち込み企画だったという。

国家情報院捜査官スヒョン(イ・ビョンホン)の婚約者ジュヨンが無惨に殺されバラバラに切り刻まれて河に捨てられた。
「ジュヨンが味わった倍以上の苦しみを与えてやる」と復習を誓ったスヒョンが行き着いた犯人は経歴不肖のギョンチョル(チェ・ミンスク)だった。
スヒョンは犯行を続けようとするギョンチョルをつけまわし、誘拐した女性に手をかける直前に登場してボコボコにしてから、片手首を石で潰したり、片足のアキレス腱をチョン切ったりして、応急処置をして泳がす(キャッチ&リリース)ことを繰返すという中盤のストーリーが痛快だ。
まるで苦痛も恐れも知らない屈強なギョンチョルと対等に戦い、スパイグッズを調達、使用するためには、スヒョンが国家情報院捜査官という設定は必須だ。

では国家情報院とは何かというと、その前身は大韓民国情報部=KCIAが再編、縮小されたものだ。秘密諜報機関KCIAを設立したのはパク・チョンヒ元大統領であり、その独裁政権を批判する者を職員は逮捕、拷問し殺害までしていたことが現在まで伝えられている。
猟奇殺人鬼ギョンチョルの過去の職歴などは謎だらけだ。苦痛と恐れという感情を訓練で消され、拷問・殺人に快楽を覚えたかもしれない、まるで秘密のベールに包まれたまま、野に放たれたKCIAの職員のようでもあり、またはKCIAの闇を背負った亡霊であるのかもしれない。スヒョンはギョンチョルに自分が就いている任務の原型を見たのかもしれない。
スヒョンが、ギョンチョルが、そしてこの映画で我々が見た悪魔とは、KCIAの残虐性であり、KCIAを作らせた米国のことでもある。またまた筆者が極端なことを言っているわけではない。これはポン・ジュノ監督が「グエムル -漢江の怪物-」で、化学兵器を使用する米国軍を批判したことと共通する。
また、批判を許さないパク独裁政権が押し進めたのはベトナム戦争への大量派兵であり、のちに伝えられたのは韓国軍によるベトナムでの無差別大量虐殺である。

韓国という国は日本同様、米国の従属国でありながら、日本人のような飼い馴らされた犬ばかりの国ではない。
スクリーンクオータ制度という自国(韓国、フランス、ギリシャなど8カ国)で制作された映画の年間上映日数40%を劇場に義務づけた制度で、国産映画の文化度を高め、国内競争力を高めることでレベルアップするという悪くない制度と思うが、議会で縮小が決定された。それを求めていたのは米国政府だ。日本でもかつて同様の「映画法」というものがあったが、終戦(敗戦)とともに廃止されていた。
韓国政府が上映日数を40%から20%へ減らすことに決定した2006年初頭、韓国映画人たちが反対運動に立ち上がった。もちろん映画人の中にも中立、賛成派はいたらしい。
キム・ジウン、チェ・ミンスク、イ・ビョンホンも積極的に反対デモに参加した。ほかパク・チャヌク、キム・ギドク、ポン・ジュノらも作品がそれを物語る。

110507-01.jpgスクリーンクオータ制度縮小反対デモの様子。イ・ビョンホン、チェ・ミンシクが並び、中央左にはソン・ガンホの姿も…

反対の奥にあるものはスクリーンクオータ制度ではなく、いちいち他国に口出しする米国政府に対する批判である。余談ではあるが、米軍(基地)が韓国から撤退するのは、米国軍人が多くの韓国人、とりわけ韓国軍に嫌われていることに耐えられなくなったというのが真相だというのが筆者の私心である。

さて、スクリーンクオータ制度縮小前の40%という数値はフランスと同じである。韓国映画の中にフランス(映画)性を見ることがあるのは、そういった共通点が影響しているのかもしれない。
また、今作でキム・ジウンはやたらと女性の脚を撮ることが気になった。ギョンチョルの殺人鬼仲間(?)の愛人(キム・インソ)の脚が最高に美しかった。

110507-02.jpg人気モデルのキム・インソ

110507-03.jpgこの脚はキム・インソじゃないけど…

「そういえば!」と思い出したのは「甘い人生」だ。裏社会のボスから愛人の監視(浮気の疑い)を命じられた主人公(ビョンホン)が、その愛人に心を揺らし、ボスを裏切ることから人生が狂い出す。主人公がその愛人(シン・ミナ)と初めて出会ったとき、しばらくカメラはヒールを履き替える彼女の脚だけを捉えていた。

筆者は「それはトリュフォーだ!」と思ったのだ。キム・ジウンとトリュフォーの性的嗜好が似ているということではなくて、それは明らかにオマージュだ。

筆者は、スヒョンがすべてを終え、しかし何も成し遂げられないことを知るラストの夜明けのシーンは、「大人は判ってくれない」のラスト、アントワーヌが少年院を脱走し、地上の果てである海に辿り着き、どこにも逃げ場がないことを知るシーンと重ねて観ていた。

110507-04.jpg「大人は判ってくれない」〜カラックスの「汚れた血」〜「悪魔を見た」へと続く名シーンか…

しかし勘違いされては困るのであえて言っておくが、上映10分もたたないところで、1組のカップルが逃げるように帰っていった、そんなコワい作品でもある。

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