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2010年12月07日(Tue)

「レオニー」 []

Text by Matsuyama

この作品は松井久子監督が、評伝「イサム・ノグチ〜宿命の越境者〜(上・下巻、ドウス昌代著、講談社文庫)」(以下「評伝本」と記す)に感銘を受けて製作されたものだというが、ほとんど全編にわたってその評伝の一部を下敷きに作られている。

要するに、この映画作品はその評伝本からはほとんどはみ出してはいない。それは著者であるドウス昌代さんへの敬意と、その作品から受けた強烈な感銘によるものだと思われる。イサム・ノグチの母、レオニーに焦点を絞ったのは確かに面白い。しかし、そうするならレオニーの人間性をさらに掘り下げる必要があるとオレは思うのだ。レオニーの人生だけを完結させるために、関わりを持った人物たちの扱いも非常に薄くなっているように感じた。

イサムの父となるヨネ(米次郎)がレオニーから妊娠したことを聞かされたとき、その状況から逃げたいがために、いかにもアメリカ人による <ロシア(白人国家)を攻撃した国の国民である> 日本人の排斥運動の激化にかこつけて日本へ帰国したかのように描かれている。しかしヨネが本当に恐れたのはやはりアメリカ人による過激な人種差別であったと思うのだ。
明治時代に、詩を通じて日米文化の架け橋となったヨネ・ノグチ=野口米次郎の扱いがあまりにも軽いのが残念だ。

ヨネを演ずる中村獅童という役者のことをオレは好きでも嫌いでもないが、あまりにもヨネのイメージとはかけ離れ、並の詩人ではないはずのヨネが、まるで小ズルい実業家のように演出されている。現存するヨネの写真を見ればわかるように、日米ハーフのイサムが父親似と思えるほどヨネの容姿もまたバタ臭い。話題を集めるために、ヨネを最低なオトコという前提で獅童をキャステイングしたというなら理解できるが、それはそれで最低かもしれない。

2才のイサムを連れて日本へ渡ったレオニーは10年後、イサムを単身アメリカへ送り帰す。その理由が徴兵を回避することだと強調している。しかしもっともレオニーが恐れたことは、日本の軍国主義によってイサムの芸術的才能の進化が妨げられることであり、そこをより強く描いてこそ、後半イサムが医師を志しているのをレオニーが強引にやめさせるシーンがよく理解できるのではないのだろうか。しかもここがドラマの最大の山場だと思うのだが、あまりにも唐突に訪れ、あっという間に過ぎてしまう。

しかし、なんだかんだ言っても、実はオレは終止泣きながら観ていた。それは評伝本と重ねて観ていたからかもしれないが、何よりも全編を通して、主張することなくドラマへ引き込む音楽が素晴しい。さほど盛り上がりはなかったが、イサムの成長と共に話のテンポが加速することで、ドラマにのめり込むこともできた。原案を意識せずに1本の映画として観たらよかったのかもしれない。
どちらにせよ、レオニーという人物はけっきょく、有名詩人ヨネ・ノグチの妻(?)であり、イサム・ノグチの母でしかない。でも重要なことはレオニーがイサムの内に芸術家の芽を発見し、それを枯らすことなく賢明に育てたことだ。そこがちょっとだけ薄かったような気がする。

母親という存在は願望があろうがなかろうが、子供を産むことで絶対であり、父親とは暗黙の内にその母親に認められた存在なんだと思う。
余談だけど、ウチの息子が行ってる保育所の入り口のドアに「レオニー」のポスターが貼ってある。お母さんたちには観る価値があるのかもしれない。

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