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2010年02月01日(Mon)

「かいじゅうたちのいるところ」 []

Text by Matsuyama

この映画、原作者のモーリス・センダックが「スパイク・ジョーンズを監督にしなさい」と指名したという。スパイク・ジョーンズといえば「マルコビッチの穴」や「アダプテーションズ」が挙げられるが、何よりも「ジャッカス」シリーズの総監督だ。子供向け絵本の映画化は大丈夫なのか?

「かいじゅうたちのいるところ」って40年以上も前から世界的なベストセラーの絵本らしい。最近だと去年の4月の復活祭の日、ホワイトハウスの恒例イベントでオバマ大統領が3万人の親子を前にしてこの絵本を手に持って読み聞かせた映像は世界中に配信された。しかし大統領の一挙手一投足はすべて政治的なものだ。
原作者のモーリス・センダックは当然、自分の書いた絵本がオバマによって読まれることを事前に知っていただろう。何時の時点で知っていたかどうかは知らないが、この映画、実は2006年に製作が始まり、2007年に公開が決まって(完成して)いたっていうじゃないの。ウィキペディアの情報では配給会社のワーナーブラザーズが、試写での「子供たちの反応が芳しくなかった」という理由で公開が中止になったという。で、追加撮影と編集をして2009年3月に予告編の発表(と4月の復活祭)を経て、同年10月にアメリカで公開された。ということは子供たちの反応を考えて追加撮影と編集をして2年後の今に至ったっていうことかい? オレにはどう見たって子供向けの映画には見えなかったけどなぁ。

その2007年から2009年(10月にアメリカ公開)の間にアメリカで何があったかといえば、2008年の丸々1年を費やすアメリカ大統領の選挙戦だ。オバマが民主党代表候補者に決まったのが6月で、大統領に確定したのが11月で、翌2009年1月20日に就任した。
アメリカの大統領の背後にはそれこそ怪獣みたいなやつらがウジャウジャいて、怪獣たちの私的企業が儲かるようにと大統領をコントロールしているという。アフガンへの米軍増派なんかもオバマの本心ではないとオレは思ってる。だからオバマはアメリカの大統領だけど、アメリカの最高権力者=王様ではない。それでもオレはオバマは平和主義者で比較的マシな大統領だと思ってる。だけどオバマは実際にやりたいことを遂行することは非常に困難だろうな。やろうと思えば任期は満了できないかもしれない。去年の9月に「金融規制改革法案」を本気で通すと言ってしまったものだから、背後の怪獣たちがマスコミを使ってオバマに対するネガティブ・キャンペーンを張っている最中だ。

この映画の主人公マックスとかいじゅうキャロルの置かれている立場は非常に似ているように見えるが、政治的に見れば大統領と国民という風にも見えなくもない。もちろん本気でマックスを王様だと思い込んでいるキャロルが国民の方だ。
そしてマックスが「完璧な砦を作ろう」と動き始めたあたりから何かが狂いだした。「みんなが幸せになるため」にやっていることなのに、一部のかいじゅうからは脅されたりするし、キャロルを怒らせてしまったりもする。心機一転、戦争を始めてみるがこれも上手くいかず、キャロルからは失望されてしまう。

さて、かいじゅうたちの間には元々“家族”という観念がないように見えたのだが、終盤KWがマックスに「家族って難しい」と言うことで、KWとキャロル、もしくはかいじゅうたち全員か一部かが家族の関係にあるという観念が突如として浮上する。
そこでマックスがどう答えるかというと「君たちにもママがいたら…」と言うのだが、この映画、全体的に会話がチグハグだ。KWが「家族って難しい」と言ったことで、なんとなくKWがママキャラで、キャロルが子供キャラだということが成立したように思えたのに、マックスのひと言でまたそれが壊れる。
例えば、マックスの言う「ママ」というのをキリスト教的に考えたら、かいじゅうたち全てをひっくるめた「君たち」は聖母マリアを重要視しないプロテスタントということになる。

などとこの映画を深く観ようとすればいくらでも妄想(妄想だからね)は膨らんでくるのだが、マックスはかいじゅうたちの世界を、キャロルが夢見たようなユートピアに変えることができたのかどうかというところが重要だ。

フクロウが真っ昼間に飛んでことも含め、劇中の会話なんかも、よくわからないことが多いと思ったままオレの話も遠いところへ飛んでゆく。

去年に観た映画で「コッポラの胡蝶の夢」というのがあって、これがなかなか良かった。フランシス・フォード・コッポラは2002年に「メガロポリス」という、911事件後のニューヨークを背景にしたユートピアの建設を描いた映画を撮ろうとしていたという。しかし、そこにどんな障害があったかはわからないが実現できなかったという。代わりに持ち込まれた題材というのが「コッポラの胡蝶の夢」の原作だ。この映画で「メガロポリス」を貫徹できなかったコッポラの心境というのがありありと伝わってくる。これもオレの主観だが。
そういえばスパイク・ジョーンズって2003年まではコッポラ一族の一員だったよな?

そんなことはいいとして、もしほんとにバージョンが違うのなら「かいじゅうたちのいるところ2007年版」が観たい。

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