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2007年03月22日(Thu)

「ハッピー・フィート」 ☆☆☆☆

Text by BABA

 キミの“心の歌”は何? ババーン!

 長らくご無沙汰しておりました。というのも実は………てな近況報告はどうでもよくてズバリ本題に入ります。

 宣伝見るに一見、愉快なペンギンさんたち踊り唄うハッピー満点ファミリー・ムーヴィー、しかしこれ実は、「本当は恐ろしい『ハッピー・フィート』」と申しますか、かつてこんなに残酷な映画があっただろうか? いや無い。いやある。『未来世紀ブラジル』や『トータル・リコール』に匹敵、もの凄い後味の悪さを残す、底意地悪い映画なのであった。後味悪すぎ気分爽快! 見てよかった! と思ったことでございます。

 以下、ネタバレ含みます。あれよあれよ、予想つかぬ展開に身をゆだねたい方は決して読まれぬように。

 どういう話かと申しますと、舞台は南極ペンギン帝国。そこは「歌の巧さ」がペンギンの優劣を決めるとんでもない国なのである。

 われらが主人公マンブル(イライジャ・ウッド)は度はずれた音痴、根は良いヤツなのに音痴過ぎて疎まれる存在でありました。しかし、たぐいまれなるタップダンスの才があったのだっ! ババーン! との設定ならひょんな拍子で帝国ピンチを救って、みなの衆に一目置かれ、可愛いあの子のハートもゲッツするんでしょう? やれやれー、と先の展開を手に取るように見てとった私なのですが、意外や意外、話はとんでもないところに転がっていく、って、上記アウトラインまんまの展開なんですけど、とんでもないアンチハッピーエンドを迎えるのですからとんでもない話です。

 帝国ではどうも近頃、餌のお魚が不漁である、てなわけで果敢にもマンブル(とその仲間)は、原因を探る旅に出ます。色々あってついにマンブル、原因は人間の乱獲にあることを突き止め、人間とのファーストコンタクトを果たす……というあたりは、スタンリー・キューブリック監督作『2001年宇宙の旅』、ペンギン版リメイクの様相を呈します。

 ところで『2001年宇宙の旅』ですが、異星人(の、ようなもの)と初めて出会うボウマン船長に安心してもらえるよう、異星人は白い家具調度の部屋を用意しておりました。

 この『ハッピー・フィート』、ヒトと初めて出会うマンブルに用意されたのは、南極を摸した檻、つまりは動物園なのであった。この檻の中で目ざめたマンブルは問う。「ここは何処か?」と。

 傍らのペンギン答えて曰く「ここはペンギンの天国だよ。デイブ」。

「デイブ」とは『2001年宇宙の旅』のボウマン船長の名、『ハッピー・フィート』作り手が『2001年〜』を意識していたのはここからも明らかであろう(か?)

『2001年宇宙の旅』は、キューブリックの言によると「科学的に定義された神を描こうとした試み」、となると『ハッピー・フィート』は、それをペンギン物語に置きかえてわかりやすく展開した映画なのであろう。

 ヒトにとっての「神」とは、ペンギンにとっての「ヒト」、それと知られずヒトを監視したり、ときに誘拐(アプダクション)する高次の存在である、ということですね。ふむ。なるほど。ここでヒトを「高次の存在」などというのはヒト(私)の傲慢さの現れであることを附記しておきます。

 そんなことはどうでもよくて、映画の結末は一見ハッピー、しかし実にグロテスクです。ペンギン帝国に帰還したマンブル、背中に「発信器」を取り付けられている。マンブルのおかげで食糧難は解消、ペンギン帝国は安泰、めでたしめでたし、ですけれど、これは果たして本当のハッピーエンドなのか? という疑問がむくむくと頭もたげます。

 背中に発信器をつけられ、ヒトに保護・管理・監視されて生きるのが、本当の人生(ならぬ、ペンギン生)と言えるのでしょうか? さらにペンギン帝国は「唄の巧さ」に至上の価値を置く世界だったはず。ヒト様に喜んでもらうため、それまで忌避していたダンスを踊る始末です。生き残るためとはいえ、そんな簡単に伝統を投げ捨ててよいのか?

 ラストにおいてペンギン帝国は、『1984年』的な超管理社会に変質したのである。ヒト=ビッグ・ブラザーというわけですね。

 これを、ペンギン→ヒトに置き換えて考えてみます。現在のヒトもまた、ペンギン同様に超管理される存在になってやしないか? 人体にICチップを埋め込む研究が進められ、アメリカ軍ではすでに実用化されているそうです。『クライシス・オブ・アメリカ』(『影なき狙撃者』のリメイク)でジョナサン・デミ監督が鋭く告発しておりましたね。

 人体に埋め込まれないまでも、パスポートに免許証、キャッシュカード、イコカにスイカにトイカ。ヒトは常にICカードとともに暮らす。現実に我々はマンブル化しているのではないでしょうか? 背中に発信器を背負わされたペンギン、それは我々の姿である。生かさず殺さず状態で管理され、逃げ場はどこにもないのであった。

 帝国のペンギンは、自由が制限される反面、伝統を投げ捨て、楽しく踊っておれば生命は保障されます。これをハッピーエンドと見るか、アンチ・ハッピーエンドと見るか? この『ハッピー・フィート』は観客(私)に「自由とは何か? 幸福とは何か?」と問いかけているのであった。

 ところで米国アカデミー賞でこの『ハッピー・フィート』が、長編アニメーション映画賞を取ったことをどう見るか? 米国映画人はこの映画を「ペンギンを守れ!」と訴える地球環境保護ムーヴィーと見たのではなかろうか? 伝統を破壊してペンギンを保護・管理すること、それがヒトの傲慢であることをハリウッド映画人は自覚しているのであろうか? と腹の中で私語しました。

 さらに。マンブルが動物園に収容されて以降のお話が、すさまじくご都合主義的な展開をみせるのに観客(私)は、あきれ果てるわけですが、これはひょっとして……、動物園に閉じこめられ精神を病んだマンブルの見た妄想なのではあるまいか? と一人ごちました。

 マンブルは動物園の中で、自分が帝国へ還る夢を永遠に見続けているのでは? さながら『未来世紀ブラジル』のタトル氏や『トータル・リコール』ダグラス氏のように…。なーんてなことを考え、あまりの恐ろしさにテリブルテリブルとつぶやいたのでした。

 マンブルが動物園の檻の中で叫ぶシーンは、「やーん、ペンギンさんかわゆいーん!」と動物園で身もだえするカップルの背中に冷水を浴びせかける名シーンですね。ていうか残酷過ぎ! ってか、このような事態は世界じゅうの動物園でくり広げられているのですから、ヒトの傲慢不遜さに恐れ入ります。さすが「万物の霊長」を自認するだけのことはある。しかしヒトを「進化の頂点」に位置づけるのは大きな勘違いである! と私は言いたい。勝手に言っとれ。

 閑話休題。監督はなんと! ジョージ・ミラー! 『マッド・マックス』三部作、『ベイブ』二部作、さらに『トワイライト・ゾーン』内『高度2000フィートの悪夢』に『ロレンツォのオイル』に『イーストウィックの魔女たち』と傑作・秀作ぞろい、力業の演出で知られる監督、前半は眠いんですけど後半の強引さはさすが!

 また、シャチやらクレーン車やらヘリコプターの、巨大感の演出が素晴らしいですし、CGもスーパーリアル、ペンギンやらゾウアザラシやら気色悪さ満点、バチグンのオススメです。

Comments

投稿者 Ryo : 2007年03月28日 12:46

ご無沙汰しております。

わーい、久々のレビューだ。

この映画、ダンスミュージカル映画だろうと思わせておいて、実は環境問題を題材にした映画、と思わせておいて、もっと居心地の悪いカオスなストーリーを綴る恐ろしい映画でした。
てっきりクライマックスは侵略軍vsペンギン連合の大戦争になると思っていたのですが、簡単にエイリアンに懐柔されてしまう辺り、この映画の製作者は相当意地悪な人なのかもしれませんね。

確かにアカデミー賞の選考理由が、「環境保護映画だから」なのか、「人間が管理すればうまくいくというあさましい考えを皮肉ったから」なのか悩むところですねえ。

投稿者 デデ : 2007年03月30日 03:13

再開うれしうございます。
またクールなレヴューをたのしみにしています。
--dede

投稿者 baba : 2007年03月30日 15:02

>Ryoさん

こっそり更新してみました。コメントありがとうございます!
いやほんと、かつてこんなに見た目(宣伝)と中身の違う映画があったであろうか? イヤ無い。

羊の皮をかぶった狼、というか、ペンギンの着ぐるみを着たマッドマックスでございました。適当です。

一筋縄ではいかない、妙な映画でした!


>デデさん

とはいえ、次回の更新はいつになることやら…。またこっそり更新します! こっそり楽しみにしておいてください。

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