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2014年04月21日(Mon)

4月15日〜4月20日 etc

アンドレアス・グルスキー展

国立国際美術館に「アンドレアス・グルスキー展」を観に行きました。
アンドレアス・グルスキーはドイツの写真家。全てに焦点のあった広範囲の対象を撮った巨大な写真で有名な人です。私も前から一度実物を観てみたいものだと思ってゐたので、いそいそと出かけていったといふ次第です。

人間は広範囲の対象物、例へば巨大な建物とか大きな店の中とかを、一度に全て観る事はできません。必ず、どこかに焦点を合はして観ることになるので、他の部分は見えないか、ぼやけたものになります。それが全てに焦点があってる、となると、これはあり得ない視界です。神の視点から観た世界、とでもいひませうか。これが、なんともいへない気持ち悪さといふか、快感を生み出します。気持ち悪くて、気持ちいい。たまらんですねー。
グルスキーはこのスタイルをさらに押し進めてゐて、最近ではなんと南極や、島を含んだ海を一望に収めた写真も撮ってゐました。どこから撮ったんや、こんなもん!って、どうやら衛星写真をデジタル加工したらしいですが、さもありなん。これも、神の視点です。
また、ゴミの浮いた川を、まるで抽象絵画の様に撮った写真のシリーズも発表してゐて(「バンコク」シリーズ)、これも「きれいは穢い、穢いはきれい」といふ神の視点、いや魔女の視点?なんにせよ、人外の視点から撮られた写真です。さういへば、プラダの靴の展示を撮った写真があったのですが、この靴がまた醜い!ゴミを撮った写真の方がずっときれいで、これもまた、「きれいは穢い、穢いはきれい」なのか?と可笑しかったです。

見どころ | ANDREAS GURSKY | アンドレアス・グルスキー展

ワールズエンド

シネリーブル梅田で「ワールズエンド」を観ました。待望のエドガー・ライトの新作。期待に違はぬ素晴らしい作品でした。
学生時代に達成できなかったパブ12軒はしご達成を目指して、アラフォー男どもが故郷のパブ巡りをする。と、その間に世界の危機が・・・といった内容の作品。パブ全店制覇と世界の救出が同列のものとして語られる下らなさが最高です。
いや、この映画、すごーく(いい意味で)ロックな映画なんですよ。現代は合理化・システム化・ネットワーク化・スタバ化が極端に進んだ社会で、そこで“大人になる”とは、このシステム化と妥協し、従属する、極論すれば一種のロボットになることと同義になってしまってゐる。でも、本来“大人になる”とはそんな事ではなかったのではないか?人の言いなりになるロボットではなく、主体的に世界と関はり、闘って生きいく。それが“大人”なんぢゃないのか。もし“大人になる”ことが“ロボットになる”といふ事なら、オレは大人になんかならねー!いつまでもガキでゐてやるぜ!!!と。ロックだねー。
故に使はれる音楽もロックです。90年代のUKロック。・・・しかし、実は個人的に、ここらの「おマンチェ」なロックは私がロックに見切りをつけたきっかけとなった音楽なので、正直微妙なのですが・・・それでもプライマルによるオープニングは良かったし、ドアーズの「アラバマソング」では爆笑。そして、ラスト・・・こ、これは・・・シスターズやん!!!
いや、考へてみれば、主人公がずっと「シスターズ・オブ・マーシー」のTシャツを着てゐたし、タトゥーまでいれてゐたので、かかって当たり前なのですが、やはり他のロックとは異質な故に、不意を突かれてしまひました。
このシスターズ・オブ・マーシー。パンフレットでは、今の人にも分かりやすい様に「ゴス」と書かれてゐましたが、当時は「ポジティブパンク」略して「ポジパン」と呼ばれてゐました。良く言へば、能天気な「おマンチェ」の台頭で消え去った、ロックの持ってゐた精神性の最後の残り火。ぶっちゃけて言へば、暗くて、自意識過剰なダサい奴の聴く音楽。私も聴いてた訳です・・・。
家に帰って、レコード棚を探しました。シスターズは売り払ってないはず・・・と、あった!「This Corrosion」のシングル。う〜ん、サイモン・ペッグ、格好も真似してたんだねぇ・・・。

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映画コメンタリー

ホドロフスキーの来日に向けて、彼の旧作をDVDやBDで観直してゐるんだけど、普段は観ない“オーディオコメンタリー”とかいふ奴で映画を観てみたのです。すると、これがもの凄く面白い。まぁ、ホドロフスキー自身の話が面白いといふのが一番大きいんですが、映画に関しても「へー、さうやったんやー」といふ事が多々あって、興味深かったです。
それで分かったのですが、ホドロフスキーは本気で映画をアートとして撮ってゐます。よくアートの世界で映像作品ってありますが(アンリ・サラとか)、あれと同じ姿勢で撮ってる。つまり、観客の事なんか全く考へず、売り上げも評価も関係なく、一切の妥協を排して、自らを徹底的に追ひつめて撮ってゐる。これは凄い事ですよ。だって、それでもやっぱ、彼の作品は商業作品なんだもの!
これこそ私の考へてゐた「アートとしての映画=魔法としての映画」ではないか?世界を書き換へるための映画。運命を乗り換へるための映画・・・。
・・・ああ!もうホドロフスキー日本に着いてるよ!(4月20日夜半記す)

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