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2011年05月17日(Tue)

風穴 アート

国立国際美術館に「風穴 もうひとつのコンセプチュアリズム、アジアから」を観に行きました。

これは、現代アートの展覧会です。私にとってアート、芸術とは、やはり造形性に尽きる訳でして、造形性の優れたものが優れたアートで、劣ったものが劣ったアートです(我ながら分かりやすい・・・)。それなら音楽や文学はどうなるの?形ないやん、といふ意見もありませう。が、私にとって、やはり音楽にも文学にも造形性はあります。音楽なら、メロディーやビート、音質、音の触感、などが創り出すそれで、文学なら、ストーリーや文体、言葉の質や感覚などが創り出すもの、それが造形性です。
それは現代アートにおいても同じです。やはり、なにより造形性だと思ひます(個人的にね)。でも、コンセプチュアルアートは?日本語に訳せば、概念芸術。概念の芸術で、概念に形なんてあるの?といふ話になるのですが、ま、音楽や文学に形がある以上、それはあります。といふのが私の立場。でも、それだけではありません。
私が「コンセプチュアルアート」と聞いて、すぐに思ひ浮かべるアーティストは、荒川修作や河原温、ジョゼフ・コスースなんかです。例へば、荒川修作なんかですと、「天命反転」といふ有名な概念がある訳ですが、むろん、それも面白い。この概念の持つ造形性は、やはり作品として結実し、我々の目に映る訳ですが、しかし、作品は作品としての自律性も持ってしまひます。だから、必ずしも概念の造形性=作品の造形性ではなく、重なる所もありつつ、違ふ所もある。で、やはり作品の持つ造形性が、大切なんぢゃないかなぁ、と思ふ訳です。
少なくとも私は、作品そのものの造形性が優れてゐないと、なかなかそれ以上に踏み込む気になれません。たとへその人が、いくら過激で奇矯な概念を持ってゐたとしても、です。荒川修作は、作品も凄くクールで、造形性に優れてゐるよなぁ、と思ひます。だからこそ、荒川修作に興味が沸くのだし、彼の「天命反転」といふ概念についても考へてしまふ、といった次第です。

といふ訳なので、今回の「風穴」も、私は造形性に注目して観て廻った訳です。さういった観点で、私がいいなぁと思ったものは、韓国のヤン・ヘギュ、ベトナムのディン・Q・レー、日本の立花文穂など。他の方々の作品もなかなかに面白かったですが、造形性ではやはりこの3人かと。
ただ、難を言へば(って、なんか偉さうですが)、全体的に斬新なイメージ提示に欠ける様な気がしました。それぞれ、面白いんですが、なんかこれまでどこかで観た事のあるイメージの中にきれいに収まってしまってゐる、といふか。アジア的といへば、確かにアジア的なんでせうが、それがすでに既成のアジアといふか。いや、(それとてアジアのアーティストが造り上げてきたものだから)それでもいいのかもしれませんが、やはり、“現代アート”なんだから、おお!これなんや!といふ一撃が欲しいと思ってしまふのです。どうでせうか?

とはいへ、かういった意欲的な展覧会はとても好印象。もっと、みんな観ればいいのに、と思ひました。
大阪中之島は国立国際美術館にて6月5日(日)まで。

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