京都三条 カフェ・オパール Cafe Opal:Home

Home > 元店主の日記 >

サブメニュー

検索


月別の過去記事


2011年04月01日(Fri)

パウル・クレー展 アート

京都国立近代美術館に「パウル・クレー おわらないアトリエ」展を観に行きました。
パウル・クレーといへば、ダダに影響を受け、シュルレアリスムに影響を与へ、バウハウスの教師もやって、ピカソやカンディンスキーなんかとも仲が良かった人ですから、所謂“前衛芸術家”です。それはつまり、生涯に渡って芸術作品が生まれる“方法”を探求した人でもある訳です。彼は色々な事をやってゐます。線描画を色彩画にブラッシュアップする“油彩転写”、ひとつの絵をバラバラに切って組み直したり、それぞれを違ふ作品として作り直したり、紙の裏にも絵を描いたり、その裏の絵が見える様に紙を擦ったり破ったり、様々な素材の上に絵を描いたり・・・等々。今回の展覧会は、さういったクレーの“方法”に焦点を当てたものでした。

私が興味深かったのは、“油彩転写”。これはクレー独自の方法らしいのですが、簡単にいふと、ペンや鉛筆などでまづ線描画を描き、それを黒い絵の具を塗った紙の裏側に重ね、それを白い紙の上に載せて線描の部分を強い力で引っ掻くと、白い紙の上に線描の部分が転写される、といふ方法です。かうやってできた転写画に、水彩絵の具で色をつけ、完成!といふ訳です。
会場には、元になった線描画と完成した作品が並べて展示してありました。これが、面白い。元になった線描画は、ペンや鉛筆で描かれたなんだか頼りない代物なのですが、それが完成形になると、ブワっと立体的に浮き上がる。2次元が3次元へと変化してゐるのです。
これ、展覧会では、線描と色彩といふ絵画における2大要素を如何に統合するかといふ問題意識の所産、みたいな説明がしてありましたが、いまひとつスッキリしません。なんで線描と色彩を統合しなければならないのか?なんでそんな事を考へたのか?といふ疑問が直ちに浮かんできてしまふからです。
そこで私なりに考へてみました。これは、やはり・・・落書きのもつ“自由さ”“無垢さ”といふものを保持したかったからではないでせうか。なぜなら、クレーの描いた線描画は、どれもこれも落書きにみえて仕方がなかったからです。それも、ノートや教科書の端に描かれた落書き。退屈な授業中、時間を持て余して、徒然なるままにノートや教科書の余白に書き込まれる無数の落書き。何を描かうといふ意識もないまま、勝手に手が動いて描いてしまった、といふ類の落書き。かういったものには、目的に縛られない自由さと、他の何物も気に掛けない無垢さがあります。が、それ故に、すぐに消えてしまふ。今、この瞬間も、世界のどこかで無数のこんな落書きが産まれてゐるでせうが、それらは全て、消えていく運命にあります。
クレーは、この“落書き”を保持し、作品として定着させようとして、“油彩転写”といふ方法を考へたのではないでせうか。後年、落書きの様な天使の絵で有名になるクレーの事ですから、十分あり得る、と思ふのです。どうでせうか?

クレーはさすがに人気で、平日なのにけっこうな人で混み合ってゐました。ま、これ以上増えると見るの辛くなるので、ちゃうどぐらゐかな。
個人的に、5、6年前の「芸術新潮」のパウル・クレー特集で、ナチスによる嫌がらせを受けてゐた(結局亡命した)時期に描かれた“暗い”自画像シリーズのひとつとしてあげられてゐた「ルンペンの亡霊」といふ作品が、「ぼろきれおばけ」といふ題名で展示されてゐて、グッズ化までされて売られてゐたのが面白かったです。いや、これ、なかなかにユーモア感溢れる作品なんですよ。とても、“暗い”自画像には見えない。まぁ、他の“暗い”自画像ものも、私の目には軽くてユーモア溢れるものに見えて仕方がないんですが・・・。

Comments

コメントしてください





※迷惑コメント防止のため、日本語全角の句読点(、。)、ひらがなを加えてください。お手数をおかけします。


※投稿ボタンの二度押しにご注意ください(少し、時間がかかります)。



ページトップ