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2011年03月07日(Mon)

キック・アス 映画

みなみ会館にて「キック・アス」を観てきましたー。
各所で絶賛の嵐のこの映画。なので、今さら私がこんな事をいふのもなんなのですが、やはり言はずにをれない。「キック・アス」最高!こんな映画がいつだって観たいんだー!

この映画はアメコミが原作です(正確にいふと、原作となるアメコミと平行して作られました。故に、アメコミ版とは少し、話が違ふ)。アメコミの世界では、80年代の半ばに革命が起きた、とされてゐます。フランク・ミラーの「ダークナイト リターンズ」とアラン・ムーアの「ウォッチメン」です。この2作によって、それまで基本は子供向けの勧善懲悪のヒーローものだったアメコミが、“ヒーローとは何か”“正義とは何か”といふ大人向けの倫理的な問ひを含んだ深みのあるものになった(雰囲気としては暗く、陰鬱になった)・・・と、一般的なアメコミ史ではされてゐるのです。まぁ、私はアメコミにはとんと疎く、この2作より前の作品なんて読んだ事もないので、一応、この説を鵜呑みにしてゐます。
そんな私も、「ダークナイト リターンズ」と「ウォッチメン」は読みました。確かに、「ダークナイト」では、悪人をぶち殺す事に生き甲斐を覚える、狂気にも似た闇を抱へたバットマンが描かれてゐましたし、「ウォッチメン」では、ヒーローも正義も相対的なものに過ぎない、いっそどちらもない方が世界の平和に繋がる、といふ苦い認識が描かれてゐました。
この2作によって、ヒーロー、正義の拠って立つ基盤を崩されたアメコミ界は、それでも猶ヒーローものを描き続けるにはどうしたらよいのか?といふ苦闘を強いられる事になります。この苦闘故に、アメコミ界は豊潤な深みのある作品群を生み続ける事になるのですが、その一つの到達点として、この「キック・アス」がある!と私は思ったのです。・・・いやぁ、アメコミに詳しくない私の妄想が多分に入ってゐるとは思ふのですが。

事の経緯はともかく、「キック・アス」は、明らかに前掲2作の提出した問題を踏まへてゐます。そして、その上でも猶、ヒーローものを描くにはどうしたらよいのか?といふ問ひを引き受け、なんと見事に答へてしまってゐるのです!!!絶対的な正義なんてない、故にヒーローも居ない。みんなが保身に走り、理想を追って危険を冒すこともなく、故にドラマもなく、退屈な日常が続いていく。そんな世界で、なんの取り柄もない平凡な少年が、愚かな事にヒーローを目指し、なんと本当にヒーローになってしまふ!これは一種の奇蹟でせう。だからこそ、映画のハイライトで、主人公のデイヴが本当にヒーローになったのを観た瞬間、我々は大きく感動するのです。私は爆笑しながらも、感動に全身を打ち震へさせてゐました。
いやマジで、この感動を共有できない奴とは一緒に酒は飲めないよ(←なんのこっちゃ・・・いや、要するに、“正義”を冷笑する様な輩とは一緒に酒は飲めない、といふ事です!)。

この映画のもうひとつの肝は、もちろんヒットガールの存在です。11歳の女の子が、大人の悪人男どもをガンガンぶち殺しまくる!・・・といふだけで、全てオッケーでせう。現実世界の犯罪場面に於いては、大人の男と11歳の少女が居れば、少女はまづ間違ひなく被害者です。そして、この強者による弱者の蹂躙、といふ光景ほど醜く、下劣なものはありません。だからこそ、この逆転はたまらなく痛快だし、世界よかくあれかし!と思はずには居られないのです。ヒットガールが単身、悪の巣窟に乗り込むシーンなんて、感動的なカッコ良さでせう?

この映画、すでに続編の製作も決まってゐる様ですが、ヒットガールにまた会へるのなら、悦び勇んで映画館に駆け付ける所存です。ヒットガール最高!・・・ただ、ヒットガール役のクロエ・グレース・モレッツ。私の美意識的には、いまひとつ釈然としないルックスではあるのですが・・・。

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