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2009年03月31日(Tue)

ミロ展 アート

神戸の大丸ミュージアムで「ミロ展」を観ました。
ミロとはもちろん、ジョアン・ミロの事です。・・・と、書いて、私は些かの違和感を覚へるのです。なぜなら、私の小さい頃は、ミロは“ホアン・ミロ”と言はれてゐたからです。

最近は“ジョアン”といふのか。なんでだろ?・・・と、頭を捻り、軽い気持ちでネット検索したら、その理由が分かりました。“ホアン”といふのは、カスティーリャ語読みらしいのです。カスティーリャ語とは、フランコ政権下のスペインで唯一公認されてゐた言葉らしく、フランコ政権下では、他の地方語が禁止されてゐたらしいんですね。しかし、ミロはスペインでもカタロニア出身。そして、終生カタロニア人である自分を誇り、フランコ政権に批判的であった人です。故に、フランコも死んだ現在は、ミロに似つかはしい様に、カタロニア語読みで“ジョアン・ミロ”と読むらしいのです。
なるほどー!知らんかったー。(・・・ネット、便利だなァ)

ところでミロ。日本では人気がありますね。他の国々ではどの様に受け止められてゐるのか知りませんが、日本では、百貨店の美術館でやってゐるのが似合ふ、といふイメージなんですけど、それは私の偏見でせうか。
ミロは一応シュルレアリストになるみたいですが、他のシュルレアリズムの画家たち、ダリとかエルンストとかタンギーとか、が非常に理知的な感じがするのに較べて、もっと素朴で原初的な感じがします。
また、ミロの絵は抽象絵画と捉へる事もできると思ふのですが、いはゆる抽象絵画である、カンディンスキーやモンドリアンがこれまた理知的なのに較べても、非常に素朴な感じがする、と私は思ふのですね。
ここら辺が、ミロが日本で人気のあるところかなー、なんて思ってゐます。日本人は、素朴な感情をぶちまけた様な作品が好きですから。って、ミロは別にぶちまけてはゐませんが。

私自身は、ミロは結構好きです。それでも、やはりまだ理知的な傾向の強い若い頃の作品の方が好きかな。今回の展覧会は、比較的晩年の作品を中心にしたもので、その点、少し残念ではありました。が、年をとるにつれてますます素朴に、原初的になる、ある意味老人力に溢れてくるミロの様子が分かって、楽しむ事ができたのも事実です。

我々の様な関西人にとって、やはりミロは大阪の国立国際美術館の「無垢の笑ひ」になるのではないでせうか。現在の国立国際美術館にもありますが、やはり私にとっては万博公園の所にあった頃の印象が強いです。あの、入ってすぐの所に設置してあって、何の展覧会であらうが、とりあへず観てしまふ。といふか、あまりに風景に溶け込んでしまって、見えなくなってしまってゐた、あれです。
だから私にとって、ミロ、は懐かしい名前なのです。70年代を思ひ起こさせます。むろん、その時の名前は「ホアン・ミロ」ですが。

これからは「ジョアン」の時代なんでせうね。(って、自分で書いてゐても訳が分かりませーん)

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