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2006年10月21日(Sat)

引用日記 カフェ 読書・文学

「それがフランスのカフェであつて、名目はコオヒイを売る店なのであるが、それよりもこれは実は、何もしないでぶらぶらしてゐる為の場所なのである」

『カフェ』吉田健一

 正にその通り、だと思ふ。何もしないでぶらぶらする、とは最も贅沢なことで、贅沢は人を豊にする。人間が貧しいと、贅沢を味はふ事が出来なくて、何もしない為にわざわざどこかに行つて大枚(?)を払ふ、といふ行為が理解できない。行つても、チットも楽しくない。これはお金のあるなしに関係ない話です。

 とはいへ、「何もしない為」などといふ言葉は、省略がなされ過ぎてゐて、誤解を呼ぶかもしれない。「何もしない」とは、功利に関はる事を何もしない、といふ事だ。我々はみな生きていかねばならないし、聖者でもないので、功利と無縁に生きることはできない。が、やはり功利とは俗なるもので、それを避ける事は出来ないとしても、それだけだと人間が俗になり、貧しくなる。だから、俗を洗ひ流して魂の高貴さを得るために、贅沢な時間を過ごすために、カフェに行くのです。

 みなさまの御来店を心よりお待ちしてをります。

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