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2006年09月25日(Mon)

パンク 音楽

 h−uzuさん来店。h−uzuさんは、パンクロックの好きな20代半ばの女の子である。しかし、h−uzuさんの言ふ“パンク”と我々の言ふ“パンク”は違ふ訳で、h−uzuさんの言ふ“パンク”は“パンクロック”の事。つまりは元々の精神を喪失して芸能化したものを指して“パンク”と言つてゐる訳で、そして当然の様に(?)オリジナルな“パンク”が如何様なものかも知らない訳で、我々と喋つてゐても齟齬が激しい。

 いや、そんなもの、あと数日で37歳になる私が適当に合はせればいいのだけれど、どうもねェ、大人げないもんで、「ケンタロウさんッて、結構パンクですね」とか言はれると、「パンクと違ふわ!」とか言ひ返してしまふのであつた。うーむ、とてもサービス業を9年もやつてゐる人間とは思へない。

 どうやらh−uzuさんは“パンク”といふ言葉を“過激”とか“はじけてる”とかいふ意味で使つてゐる様だ。うむ。しかし私に言はせるとそれはチト違ふ。いや、だいぶ違ふか。

 “パンク”とは、字義通り“ゴミ”とか“屑”といふ意味で、どうしやうもなく、役立たずで、下らなくて、何の価値もなくて、ひたすら迷惑で、不快感をかき立てる、しかし何故か奇跡的に輝いてしまつたもの、そんなものの事である。具体的に言へばシド・ビシャスの事で、音楽的才能ゼロ、人格的に最低、弱いくせに暴力的で、自分のことしか考へてなくて、勘違ひ野郎で、他人に迷惑ばかりかけてゐて、みつともなくて、バカで、ドラッグが欲しいばかりに好きでもないグルーピーの女の子にくッついてゐて、面倒くさくなれば殺してしまふ。そんな人類の粗大ゴミみたいな存在でありながら、何故か奇跡的に輝いてしまつた、さういふ存在の事である。

 だから“パンク”とは、視野が狭くて、知識が浅くて、ダサクて、何も分かつてないくせに勘違ひしてゐる、しかしそれが若さ故に許されてしまふ“子供”のものであつて、少なくとも二十歳を過ぎた人間のものではない。シドだつて21歳で死んだでせう? パンクは、その存在形態から言つて、長く存在する事ができない。生き延びたパンクなんて、そんなもの偽物でせう。ジョン・ライドンの醜悪さを見れば、それは分かると思ふけど。どうよ、h−uzuさん。

「いやー、ケンタロウさんッて、やはりパンクですねー」

 だから、パンクと違ふわ!!!

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