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2005年05月12日(Thu)

曾我蕭白展 アート

 京都国立博物館に「曾我蕭白展」を観に行く。曾我蕭白と言へば、奇想・異端の絵師として夙に有名な江戸時代の人だが、私が最初に瀟白の名前を知つたのは、ご多分に漏れず澁澤龍彦のエッセイによつてである。そのエッセイにて澁澤に激賞されてゐた「仙人図屏風」がなかつたのは残念だつたが、規模・質ともになかなか充実した展覧会であつた。

 さて、なぜ瀟白が奇想・異端の絵師とされてゐるかといふと、生前に「狂人」と噂されたやうな奇矯な言動もさる事ながら、まづはその作品の奇怪さである。アンバランス、デフォルマシオン、醜怪、奇想天外、価値転倒、をもつてその作品の特徴となす。絵の色や線の濃淡・親疎が極端だし、構図も奇怪、人物は例外なしに奇妙奇天烈といふより醜悪・滑稽な顔をしてゐるし、そもそも絵の主題が古来からのもを大きく逸脱してゐる。いや、逸脱といふより転倒といふか。たとへば、古代の聖人たち(孔子や釈迦、柿本人麻呂など)がみんな俗ッぽい珍妙な姿態に描かれてゐたりするし、太公望はふて腐れ、竹林の七賢はわざわざ仲間割れした所を描いたりしてゐる。要するに瀟白ッて、変人・奇人だつたの? てなもんだが、これはさうだとも言へるし、一概にさうとは言へない、とも言へる。といふのも、瀟白のこのやうな生き方は、なにも頭が少々をかしかつたから、といふのではなく、ひとつの哲学に則つた故、だからである。その哲学とは、当時シナで最新流行であつたらしい陽明学左派の考へ方で、狂狷。簡単に言へば、狂を尊び、個の発露を重視する、それこそが聖人への近道である、といふものだ(雑誌「芸術新潮」4月号参照)。シナでは揚州八怪と呼ばれる文人たちを産み出してゐた(ハッシーが最近気にしてゐる草森伸一も揚州八怪について書いてゐましたね)。さういつた哲学に基づいた生き方を貫いたが故の「狂」だつた訳で、ほんとに頭が狂つてゐたのではない。ましてや「狂」を装つて自己主張してゐた訳ではない。そこら辺が重要だと思はれる。

 といふのも、この瀟白にしろ、揚州八怪にしろ、同じ時代思潮が生んだ上田秋成にしろ、「ひとりひとりの個性を大切にしやう!」といふ戦後の風潮と相俟つて、サブカルチャーの世界ではカルトヒーローとして遇されてきたからだ。むろん私も若い頃からその「世界」にゐた訳だけれど、長い間ゐるとそのマイナス面に少々ウンザリしてくる。それは、自己主張のみ旺盛で中身がカラッポの人間の大量発生、といふ問題だ。いたづらに奇を衒つた安手の奇人・変人の横行といふ問題。だから、さういつた「個性的な」人間と、儒学に基づいた「狂狷」とは厳しく分けねばならない、などと、まァ、思つたりする訳です。

 とはいへ、会場に足を踏み入れ、最初の何枚かの絵を観た時は、想像以上に瀟白の絵が俗ッぽく、安手に見えて、これは……やはり少々問題か? などと思つたのも事実。が、代表作のひとつ『群仙図屏風』を観た時はさすがに唸つてしまつた。これは、凄いわ。観なければ損する傑作のひとつ。…ま、澁澤はこの『群仙図屏風』を、画格が低い、としてあまり評価してゐませんがー。

 やはり『仙人図屏風』が観たい、なァ。

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