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2012年07月06日(Fri)

愛と誠 強制起訴シリーズ

起訴者:松山禎弘

強制起訴シリーズ 18弾
「愛と誠」
三池 崇史 監督

己の拳以外誰も信じないという筋金入りの不良少年・太賀誠。誠の鋭い眼差しに運命的な出会いを感じ、彼に自分のすべてを捧げることを誓った大金持ちの純粋無垢なお嬢様・早乙女愛。そして「キミのためなら死ねる」と愛を一途に想うメガネ優等生・岩清水弘。その他、様々な個性的キャラが歌って踊る純愛山河。1970年代、梶原一騎の原作漫画で正真正銘の純愛物語を三池崇史が映画化。
尚、文中、主人公・早乙女愛の人名の「愛」と観念・言葉としての「愛」がややこしいですが、脈絡で判断してください。

ヤマネ
イキナリですが、これ傑作です! 観る前はこんな映画とは思ってなかったけど素晴らしかったですね。
元店主
私も素晴らしい作品だと思いました。 134分という時間の長さも感じなかったというか、むしろもっと観ていたかったと言っても言い過ぎではないですねー。
マツヤマ
えーっ、2人ともそんなに良かったの?ホント?。
元店主
えっ、マツヤマさんはダメだったんですか?
マツヤマ
いやそうじゃなくて、オレもすごく良かったんだけどさ、オレの起訴作品で2人がそんなに評価してくれるなんて、珍しいからさ、なんだか嬉しくってね。
ヤマネ
いや、別にマツヤマさんが撮ったわけじゃないんですから何の手柄でもないですよ。まあ、マツヤマさんが起訴してくれなかったら観なかったと思うから、その点ではちょっと感謝しますが。
元店主
私も観るつもりはなかったなー。マツヤマさんに感謝、というよりは強制起訴シリーズの狙いはそもそもこういうことを期待しているわけですからね。強制起訴シリーズに感謝かな。
マツヤマ
それ以上言うと、オレのズボンのポケットから拳が飛び出るぞ!・・・ っと、あれ、出ない。太り過ぎてズボンがパッツパッツンだから手が抜けなくなっちゃったよ。なーんちゃって。でも、とくに誠のこのシーン、「ポケットから手を出せ」って言われて、出した勢いで担任教師の顔面に拳を直撃させた後で、クラスの全生徒に凄みを利かせるところが好きだね。怖いものなしとはいえ、お上品な金持ち学校にたった1人で入れられた複雑な心境を上手く演じられてると思ったな。
元店主
私も妻夫木の出演作品の中ではいちばん良かったと思います。って言ってもそれほど観ていないんですけどね。でも妻夫木も武井咲も人気なのに、この傑作が流行っていないのは、やはりみんな映画になんか興味ないのかな?
マツヤマ
そりゃ興味なんてないだろ。原作の漫画もドラマ化も映画化も40年前後前だからね。宣伝もあまりしてないみたいだし・・・
ヤマネ
映画館で“映画もどき”みたいな作品をやっていて、それを観に行く若い人は多いみたいですけどね。実はボクは三池作品をけっこう観ていて、初期の『中国の鳥人』とか『新宿黒社会 チャイナマフィア戦争』あたりは好きなんですが、その後はつまらないのも多いし、勢いはあるけど浅かったり、好きなことやってるだけで目標ないのかな?って思ったりもしました。自分の個性を見せたいとか問題提起したいとかはあまり重要にしてないみたいに見えるけど、どんな題材でも映画に出来るのが才能のひとつでしょうね。デザインに対するスタンスとしてボク自身が参考に出来るというのが好きな感覚でしたが、これは別物、傑作だと思います。
元店主
うん、浅い見方をすれば原作を茶化してる軽い映画だって思われそうだけど、私はむしろ原作の深い理解の上に立った的確な批評性を感じたかな。当時すでにアナクロだったといわれる原作を如何にその精神や世界観を損なわせずに現代に伝えることが出来るのか、という困難な作業を見事に成功させていると思いましたね。この作品で批評性というか、問題提起があったかどうかという点ではマツヤマさんの深読みが気になりますが、いかがでしょう?
マツヤマ
あえて言わせてもらえば、3.11以降の作品と思ったね。ハリウッドで社会派作品は昔っからあるけど、9.11を境にして、良くも悪くもあきらかに批評する対象が絞られたよな。日本でも3.11以降は題材にもよるけどそれを避けて通れないものがあると思う。この作品も大きなテーマは純愛だけど、例えば前半で突然歌い出す「あの素晴らしい愛をもう一度」の「愛」はぜんぜん違うよね。
元店主
「あ~い~を」のところで、みんなで鼻先をビヨーンって伸ばす動作をするやつですね。あの振りは意味が分からなかったですが・・・
マツヤマ
まあ、あの振り付けはまあセンスの問題だからね。オレもよくわかんない。でも「愛」という言葉とは明らかに反する動きだよね。
ヤマネ
この作品で唯一ダメなところはパパイヤ鈴木の振り付けですね。
元店主
あの振り付けすべてが、この作品の鋭い批評性を損なわせるし、洗練された語り口ともミスマッチ・・・
マツヤマ
えーと、あの9.11ぃ〜、じゃなくて3.11がね、あのさ・・・
ヤマネ
6.16に公開したばかりで、6.23にはすでに上映枠縮小ですからね、見せたくない何かがあるんでしょうか・・・
マツヤマ
そうそう、それが3.11の、その・・・
元店主
やはりパパイヤが足を引っ張ってるんでしょう。
マツヤマ
いや、そうじゃなくて・・
元店主
えーっ、マツヤマさん、あの振り付けOKだったんですか?
マツヤマ
ちーがーう! アンタ、オレの深読みが気になるんじゃないのか! ねっ、聞いてよ、おねがい!
ヤマネ
そういえばそうでしたね。マツヤマさん前回いなかったから、なんかオイシンもどきに見えてました。
マツヤマ
それじゃオレがオイシンのニセモノみたいじゃないか! まあいいや、いやよくないけど、あのね、あの「愛」ってのがメタ「絆」じゃないのか?って思ったんだよ。誠は絶望の淵で生きてるような少年だからさ、彼の心に鼻ビヨーンの「愛」って言葉は当然届いてないよな。だいたい絆とか愛とかって、みんなで決めて言うもんじゃないし、それこそ“なんとかブック”の「いいね!」レベルだろ。言ってる者だけで楽しんでる。
元店主
「愛」という観念に対する批評ということですね? いやあ、マツヤマさん、目から鱗ですよー!いやあ、すごいなー!
マツヤマ
言い過ぎだろ!なんかわざとらしいんだよな・・・。でも誠が転入する不良の巣窟「花園実業高校」こそ瓦礫に覆われた被災地って感じがしなかった? 校舎の屋上に取り付けられたのが「花園実業高等学校」の文字。あえて「高等学校」にして「等」の文字だけが傾いてるんだよ。
元店主
3.11以後の被災地と世間は等しいか?と疑問を投げかけているわけですね。いやいや、納得です!ホントに。誠や花園の生徒たち VS 世間という見方は興味深いですよ。実際に三池監督がそこまで考えて撮ったかどうかは分かりませんけどね。
ヤマネ
ではマツヤマさん。49歳の伊原剛志が17歳に扮した「オッサンにしか見えへん病」の蔵王権太が子分たちに「さるかに合戦」の説明してたの、あれ何だか意味わからんかったんですが・・・
マツヤマ
あ、あれ? 島田紳介の司会のモノマネだよ。どう見たって構図がバラエティのスタジオっぽいし、誰彼かまわず殴るのも、紳助っぽかったろ? 紳助が殴ったとこは見たことないけどな。
ヤマネ
ホンマかな(笑)? でも妙に納得してまうわー。
マツヤマ
ようするに、前半は被災地の中から見た外の世界で、花園実業に転入する後半は外から見た中の世界、って言うとかなり語弊があるけど、そこには絶望がある。津波にさらわれて奇跡的に生還できたけど、家族全員を失った人も少なくない。だから3人目の主役と言ってもいいくらい強烈キャラの岩清水が愛に「キミのためなら死ねる」って何度も言うけど、そんなことわざわざ言うことじゃないし、言うほどウソっぽい。まるでおままごとだろ。けっきょく最後に愛が危機に瀕しているときに死ぬ気で助けに行かずに誠に行かすわけだよな。
ヤマネ
そうですか。ボクは岩清水の行動には充分満足してますけどね。愛の幸せこそが自分の幸せという真摯な想いをカッコよく描ききっていると思います。「キミのためなら死ねる」というのは「自分が死んだら純愛が成立する」ということなんじゃないでしょうか。最後に死ぬ気で突入しなかったのは、自分の玉砕だけでは愛は助からないし自己満足でしかないと思って、愛のためにベストな行動をとったんだと思います。
元店主
私も岩清水にはあまり批判的になれないんですよ。彼は自分の評価を上げるためだけに生きて来た人間なのに、それを捨ててでも土下座して誠に愛を助けるように頼んだのは偉いと思います。「キミのためなら死ねる」っていうことは実行しなかったから、世間的には卑怯者に見えるだろう、愛からの評価も落とすだろうということも分かっていたはず。なぜなら彼は頭がいいからね。あとは斎藤工の好演で岩清水の点数が随分とアップしたのかもしれませんが。
ヤマネ
ボクは三池監督が岩清水に対してリスペクトがある!・・・ような気がします。マツヤマさんはどちらかというと原作や当時の映像作品に思い入れがあるんじゃないでしょうか?
マツヤマ
そう言われると子供のときに見たドラマ版の印象が強烈だったな。喧嘩のシーンには極真空手を取り入れたりしてたらしくて、“良識ある視聴者”から抗議が殺到して、途中から路線を変えてヘナヘナになってたみたいだけど、そこまでは覚えてない。岩清水役は中島久之がやっていて、もちろんコミカルな要素はまったくないからさ、なんかストーカーっぽかったような・・・
ヤマネ
ボクは昔のは知らないですが、岩清水はなんか中途半端で偽善的かもしれないけど人間臭くていいんじゃないでしょうか。今回の作品では愛が純正のストーカーだけど岩清水はストーカーになりきれていなかったところも、なんだかかわいくないですか。
マツヤマ
そうだね、オレの岩清水観は浅かったかもしれないな。そこまで言われたら真の主人公って気もしてきたよ。
元店主
脇役ではいつもガムを噛んでるスケバン・ガム子役の安藤サクラもなかなか良かったですよね。
ヤマネ
無駄に歌がウメー、声がカワエー!という点でハマりました。ミュージカルというよりは歌謡エンターテイメントとしてみんなよかったですけどね。でもエンディングのかりゆし58の歌がぜんぜん合ってなかったわー。
マツヤマ
エンディングはJポップってのは邦画でお約束みたいだよな。オトナの事情でもあるんだろ、たぶん。でもあれだけ昔の歌謡曲使ってるとやっぱりバランス悪いよな。
ヤマネ
最後はカーテンコールで全員で歌って欲しかったですね。
元店主
やはり70年代の歌謡曲は偉大です、ということで、それではそろそろ本題に入りましょうか。
マツヤマ&ヤマネ
い、今から?!
元店主
何を言ってるんですか、コレは純愛映画ですよ。まだ純愛についてちゃんと話してないじゃないですか!
マツヤマ
じゃあ、そもそも純愛と恋愛ってどう違うんだよ?
元店主
いい質問ですね。純愛と恋愛はまったく違います。純喫茶と喫茶店の違いと同じで、愛がバイトを始めたのが喫茶店です。昔の喫茶店はああいういかがわしい感じだったんですね。で、純喫茶は純粋にお茶を飲むことを目的とした店です。
マツヤマ
明治時代のカフェーを映画やドラマで見たら、もろキャバレーみたいだもんな。
元店主
そうです、その延長にあるのが70年代の喫茶店なんですね、いかがわしくないと思っても、基本的には給仕は女性、ウェートレスなわけでしょ?最近までそれが普通だったはずです。それでですね、純愛というのも同じで純粋に“愛のみ”なんです。セックスはなし!思うのもダメ! それが可能か不可能か、というのがこの作品の最大のテーマなんですよ。
ヤマネ
それが岩清水が愛に告白するシーンですね。「キミが欲しい」「いやらしいこと?」「いやらしいことなんて考えたこともない」「じゃあわたしはどうしたらいいの?」「キミがキミらしくあるために、そのためにボクは生きる」ってまさに純愛問答でした。
元店主
ただ現実には純愛なんてあり得ないのですが、この作品ではあり得たんです!誠が最後に死んでしまうわけですが、その寸前に愛の愛を受け入れるんですね。もちろん愛の愛は純愛ですから、純愛は一瞬だけど成就したわけです。
マツヤマ
そこから子供時代の映像につながるわけだ!
元店主
そうです性が目覚める前の純粋無垢な心へとつなげて、純愛を成就させたままの状態で終わるんですね。この世で不可能なものをフィクションの中で成立させることこそ芸術なんだ! この残酷で美しいラストに私は茫然と感動してしまい、しばらく席を立てませんでした。
ヤマネ
そして、かりゆし58。
3人
笑っててくれよ〜、笑っててくれよ〜お〜って、笑えるかっ!
ヤマネ
次回はボクが「崖っぷちの男」を起訴します。
元店主
おっ、ストレートで秀逸な邦題だね、期待しよ!
マツヤマ
ノシ
元店主
だから何ですか?「のし」って。
マツヤマ
知らん!言ってみたかっただけだよ。

Comments

投稿者 uno : 2012年07月08日 18:27

「愛と誠」を見る前に不安だったのが、私にとっては典型的なCM女優である武井咲を2時間見続けることができるのか、ということでした。
CM1本ならカワイイ、でも2本続くと軽い胸焼けが。。。
しかし、そんなことは杞憂に終わった。三池監督による、毒は毒をもって制す!ような武井咲の起用。
ここまでクドくなると、ただ受け入れるしか無い。
そして絶妙なスカート丈から見える、アスリートのような脹ら脛にドキドキ。
2時間カワイイやん!
歌謡曲のリメイク自体に面白さは感じなかったのですが(鼎談にもあるように振り付けにこちらが赤面)、小林武史の音作りが相当に凝っていて、ただの安っぽい感じになっていないのが良かった。漠然とではあるのですがトミーの影響を感じました。
余談ですが、一青窈の声が竹内まりやに似ている!最初、竹内まりやが歌っているのかと勘違いしました。二人とも苦手なんですが。
誠よりも岩清水の存在感のほうが強く描かれていたのは、鼎談でヤマネさんが言っているように三池監督の意図なのでしょう。斎藤工の演技が骨太で人間臭い。
ラストの病院でのシーン、岩清水の顔が一皮剥けた男の顔になってのを見て、私も岩清水の成長を綴った映画だったのかと思いました。
散漫で、ともすると怪作に思えるのですが、秩序はありましたね。面白い映画でした。

投稿者 マツヤマ : 2012年07月08日 22:58

ウノぴょんへ

この作品で武井咲の顔と名前が一致して、ついでに“咲”の読みも覚えたオレにとって、彼女はもっとも印象の薄いキャラでした。
コメントの文面からは、彼女に対するウノぴょんの猛烈な恋心が伝わってきたのはオレだけかもしれませんが、それはともあれ、我々のなかで武井咲=早乙女愛についてはあまり話題に出なかったので、彼女の脹ら脛にまで注目したその観察力でぜひとも、作品中のキャラとしての武井=早乙女について語ってほしいなぁ。待ってます!

投稿者 元店主 : 2012年07月09日 02:48

うのぴへ

映画には色々な見方がある。
私は主にこの映画は愛と誠に主眼を置き、二人の間に(不可能なはずの)純愛は成立するのか?といふ視点でみた。マツヤマさんは、誠=被災者(社会的にも)、愛=世間一般(或は安全圏に居る人間)とみて、安全圏に居る人間から被災者側へ想ひは伝はるのか?といふのを、3.11以後の日本における批評的観点にたって見た訳だけど、これは解釈こそ違へ、視点は私と同じだと思ふ。
対してヤマネくんは岩清水に視点を置いて見た。世間的には優等生で申し分のない彼が、愛と誠といふ両極端故に真実に触れてゐる人間たちに振り回される事で、世間的評価を剥がれて丸裸にされ、真実に触れ、人間的に成長する、と。ウノピも、基本はヤマネくんと同じだね。それが、な〜んか、面白いんだよねー。二人とも(ヤマネ&ウノピ)学歴高いからなぁ。もしかしたら、その事となにか関係あるのかしらん?

私が尋ねたいのは2点だ。
まず、ウノピが漠然と感じたといふトミーの影響。これ、もうちょっと詳しく説明してほしい。私的には全く理解できないんだけど、なかなか面白い視点だと思ふので。
あとは、やはり前回からの問ひの続きだらう。前回、もし「愛と誠」が面白かったら自分の説は崩れる、と言ってたんだから、それに対するコメントがあってしかるべきではないか?多分、みんなそれを期待してる、と思ふんだけど。

では、私もお返事待ってま〜す!

投稿者 uno : 2012年07月09日 23:53

マツヤマさん、元店主さん
今週中に返事をしますのでしばしお待ちください!

投稿者 元店主 : 2012年07月10日 02:13

はいは〜い、別に焦らなくてもいいよー。うのぴも忙しい男だからなぁ。

ま、その間に他のセピアメンバーからの書き込みを待つか・・・。

投稿者 uno : 2012年07月14日 18:53

マツヤマさんへ
武井咲演じる早乙女愛なのですが、俗っぽいなあ、というのが正直な感想です。
美しいのではなく、カワイイと感じたのですが、そのカワイイ感じが、純粋ではなく作られた天然さなんです。
その作られた天然さを生かして、”私(愛)は誠を愛して当然”という、少々傲慢とも思える気持ちを全面に出して演出したところが良かった。
あと、喫茶店でのウエイトレス姿で見せる少し困ったような、しかし満更でもない表情はたまらんものがありました。
ボーリング場で縛られている時も同じような表情してたな。。。
ただ、物語の本筋として重要な役割を果たしたかというと、そうは感じなかった。
愛が誠を愛すること以上に、岩清水が愛を愛することに私の気持ちが向いていたので。
ちなみに私の中で最も印象が薄かったのは誠=妻夫木です。

元店主さんへ
トミーの影響に関して。
これはただ、漠然と音に関してです。そう感じたのはボーリング場の場面だったのですが、小林武史によるバンドサウンドの展開に広がりを感じました。
フーの、特に「トミー」や「四重人格」のサウンドの特徴の一つに、間奏を含めた曲展開の広がりがありますが、そこに共通点を感じたのかも知れません。
小林武史の音作りは非常に凝っているのですが、バンドで演奏できるものです。フーの前記2作品もバンドで再現できる音作りがされています。
作品の最初からトミーの影響を感じたのではなく、後半のボーリング場の場面あたりから感じました。
説明するのが難しい。

映画とテレビドラマの差異に関して。
「愛と誠」は映画でした。
映画とテレビドラマの違いに関して考えているのですが、二つの間にある明確な差異が見つからない。
ただ一つ、監督が映画出身かテレビ出身かということが差異に繋がる手がかりになるのでは、と考えています。
私自身ずっと思っているのが2000年前後でテレビドラマの演出が大きく変わった。
そのきっかけを与えたのが堤幸彦です。
ケイゾク、池袋ウエストゲートパーク、TRICK等。ケイゾクとTRICKは映画化もされています。
これらのドラマを当時見ていたのですが、映画化に違和感を感じなかった作品です。
堤幸彦は映画化を見込んだドラマ作りをしているような感じがします。
そこで「テルマエ・ロマエ」なのですが、武内監督は2000年以降の流れに影響を受けてテレビドラマを作っている印象があります。そのテレビドラマ感が実に「テルマエ・ロマエ」に出ていた。
堤幸彦は「20世紀少年」の監督。そういやオパールでレビューがあったなと、読み返しました。
レビュワーはマツヤマさんです。そこでマツヤマさんは「演出がいちいちテレビ的」と言っています。

http://www.cafeopal.com/reviews/2008/09/06-173602.php

私がテルマエから受けた印象がまさにそれ!(責任転嫁か!)
なんの解決にもなってないやん、と言われそうですが、堤幸彦が作った流れが、現在における”映画のテレビドラマ化問題”のキーワードになるのではないでしょうか。
混乱しています。。。

投稿者 元店主 : 2012年07月15日 05:11

うのぴへ

こらまたえらく混乱してるな・・・。

まあ、音楽の話はいいよ。いったん横に置かう。
問題は、映画とテレビドラマの差異の話の方だが・・・。

う〜ん、うのぴには非論理的な文章が多くて面倒くさいんだけど、私なりに解釈するよ。
えー、まづ、2000年前後に堤幸彦が「映画化を見込んだドラマ作り」を始めて、テレビドラマの演出が変はった、と。そのドラマ作りは「映画化に違和感を感じな」いものだった、と。←これ、よく意味が分からんが、まぁ、そのまま映画化しても(うのぴが)違和感を感じないものだった、と解釈するよ。で、武内監督はそのドラマ作りの影響を受けてゐる、と。「テルマエ」にはそのドラマ作りの影響が実に出てゐた、と。ならば、論理的な結論は、故にうのぴは「テルマエ」には違和感を感じなかった、となるはずだけど。
だけどうのぴは「テルマエ」に違和感を感じまくりだったんだらう?これテレビの2時間ドラマやん!映画と違ふやん!と、叫んでゐたはずだが?

・・・むむむ、ね、眠い。明日はオパールが忙しいはずなんだよね。でも、やはり一言返事せずにはゐられなかった。うのぴ、頑張ってるのだけは伝はってきたからね。でも、やっぱもう寝ます。
おやすみー。

投稿者 uno : 2012年07月15日 16:08

元店主さんへ
早速の返事ありがとうございます。

最初に訂正かつ重大な間違い。
テルマエ武内監督が2000年以降に演出したドラマを見ると、知りうる限り映画化に違和感を感じない作品が無い。。。
純粋にテレビドラマでした。
「のだめ」は映画化できそうかなって気はしますが、やっぱり視聴率が高かったから映画化されたのかな。
うーん、やっぱりテルマエもテレビドラマに感じる。
堤幸彦の影響は、私の間違いです。
非論理的でした。すみません。
堤幸彦のことはまた別の機会に。

本題に戻って、テルマエのレビュー時から気になっていることがあります。
テルマエのレビューで元店主さんは「踊る大走査線」に対して”「映画的なるもの」への色目に満ちているけど、全然映画じゃない。所詮テレビドラマの延長やん”と言ってます。
次に、テルマエに対しては”かえってこの映画は、そんな所とは全く無縁の地点で作品を作ってる気がして。そこが良かったのかも”と言っています。
元店主さんはテレビを見ないじゃないですか。
元店主さんは今のテレビドラマを知らない。なので、映画的な部分が皆無に近い(と私は思っている)テルマエが新鮮に感じたのではないのかなあと思うのですが。
前記「無縁の地点」というのは映画からは無縁なだけで、テレビドラマに近いのでは無かろうかと。
それに対し私はテレビドラマを見てきた。その上で、テルマエをテレビドラマだと感じた。
テレビドラマを見てきた人と、見てきていない人で感覚に差が生まれるのは間違いないと思います。

映画とテレビドラマを分ける明瞭な線引きは出来ないのですが、テレビドラマを作ってきた人が作った作品は、テレビドラマ的なものになると感じています。演出がテレビドラマなんです。でもそれが何処にあるのか説明が出来ない。
例えば「のだめ」のドラマを1話でも元店主さんに見てもらって、テルマエと全然違うと感じ、その違う点を説明していただけると何か分かるような気がするのですが。
もどかしい。。。

最後に、「愛と誠」はテレビドラマから独立した映画でした。

投稿者 元店主 : 2012年07月16日 03:57

うのぴへ

なんだ、間違ひ、で終はりかよ。人がせっかく眠いのを我慢して返事書いたのに・・・ブツブツ。

ま、それはいいや。それはそれとして、今日も眠いんだが・・・、これは、返事書かなあかんかなぁ。

うのぴの質問に答へませう。
はっきり言って、うのぴは根本から事態を分かってないな。あのね、うのぴ、私が全く今のテレビドラマを見てゐなからうと、うのぴがいくら今のテレビドラマを見てゐようと、そんな事はな〜んの関係もないんだよ。
そもそもなんで「映画とテレビドラマの違ひ」なんて事を話題にし始めたのか、思ひ出してみよう。それは、最近の日本映画のダメ振りは、テレビ(会社やドラマ、製作陣など)が映画界を侵略してるからではないか、といふ説があって、しかも結構色んな所で言はれてゐて、我々強制起訴3人組も「確かにさうかも」と思ふ所があり、では映画とテレビドラマ、どこがどう違ふんだらう、といふ所から始まった訳だ。
つまりこの文脈では「映画的なるもの」=良いもの、「テレビドラマ的なるもの」=悪いもの、といふ前提がなされてゐる。むろん、この「映画的なるもの」「テレビドラマ的なるもの」は一種のイデアだよ。具体的な作品ぢゃないよ。具体的な作品では、映画にも良いものもあり悪いものもある、テレビドラマでも同様、なのは当然だらう。
だから、私が今のテレビドラマを見てなくて、たまたまそれらしきもの(映画的なものが皆無なものbyうのぴ)を見てしまったから新鮮に感じて“良い”と思った、なんて事は論理的にあり得ないんだよ。分かる?(ちなみに、私は「テルマエ」に新鮮さなんてこれっぽちも感じなかったよ。そんな事、どこでも言ってないと思ふけど。私が言ってるのは、テレビドラマ的なイヤラシさをあまり感じなかった、といふ事だ)

う〜ん、ここら、うのぴには分かりづらいかなぁ・・・。
あのね、うのぴさぁ、「自分は元店主に較べたらダントツにテレビドラマを見てるんだから、元店主よりずっとテレビドラマに関しては分かってるはずだ」と思ってるだらう。だけど、それは一概にはさうとは言へないよ。いくら見たって、分からん奴は分からんの。大切なのは量より質だよ。
いや、別にここで私の方がうのぴよりテレビドラマに関してよく分かってる、と言ひたい訳ぢゃないよ。むろん、やっぱうのぴの方が私よりよく分かってる、かもしれない。でも問題はそこではなくて、見てる量と、分かる分からないは、究極的には関係ない、といふ事です。むろん、最低限の量は必要だけどね。
この最低限の量・・・といふ所にうのぴは引っ掛かるかな。テレビドラマは最低限の量も見てないんぢゃないですか、と。でもね、私だって生まれてから一度もテレビドラマを見た事がない訳ではない。それでないと、テレビドラマに対する嫌悪感も生まれる訳ないし、「踊る大捜査線」をみて、「わ、テレビドラマみたい。きしょ!」とか思へないでせう。だから、自分の中に「テレビドラマ的なるもの=悪』のイデアは漠然とある訳。そして、この場合、それで十分なんだよ。(そして逆に言へば、このイデアがなかったら、いくらみたって無駄といふこと)

結論からいふと、この話題に関して我々のやるべき事は、自分の中にある「映画的なるもの」「テレビドラマ的なるもの」を、はっきりさせる=言語化させるといふ事です。私的には一応「自律と映像」といふ基準を考へてゐるけど、これもまだまだ甘い、漠然としたものです。このシリーズ中に考へが深まればいいかな、と。
だから、うのぴもそこを考へて下さい。確かに難しいけれど。私の意見なんて、参考程度でいいんだよ。正解なんかではないんだし。自前の考へを紡ぐ事です。
私からのアドバイスとしては、うのぴは映画とテレビドラマを同等のものとして考へてる様な気がするだよね。ま、うのぴはテレビドラマ好きだから仕方がないかもしれないけれど、でも「テルマエ」をみて「テレビドラマ的で耐えられない!」みたいな事を言ふぐらゐだから、やはりテレビドラマの負の側面は感じてる訳でせう。だから、はっきりと「映画的なるもの=擁護すべきもの」「テレビドラマ的なるもの=映画から排除すべきもの」として、優劣を意識して考へてみて下さい。すると、少しははっきりする、かも、しれないよなぁ・・・・・・。

わ!もう寝なきゃ!明日、乗り切れるかなぁ・・・。

投稿者 マツヤマ : 2012年07月16日 22:28

ウノぴょんへ

武井咲に関して、ウノぴょんの場合は作品の中の「愛=武井」というよりも、武井の他の作品(CM、映画、ドラマなど)の武井比で見ていると思う。監督や特定のキャストに対する思い入れ、そういう見方は悪くはないと思います。恥じらいもなく真摯に答えてくれていると思う。
さて、元店主とのやりとりに関しては、傍観者として見ているわけにはいかないので、ちょっとだけ口をはさませてもらう。
オレの場合は、5〜6年前まではテレビはけっこう見ていたので、ウノぴょんの言うこともなんとなく分かります。でも文面からはあまり伝わってこない。武井を語るように素直に書けばいいと思うよ。
最近のテレビドラマはオレもよく知らないけど、マニアックな笑いとか、妙にシュールな演出とか、何か勘違いした作家性のようなものがあるのかな?そういう点で「テルマエ」に共通点を感じて「テレビ的」となったんだとしたら分かるような気がします。ただし、それが映画として良いか悪いかというモノサシになるかといえば違うんじゃないかと思います。あえてドラマの一話でも見て共通点を見いだすなんて無意味だと思う。
例えばオレの場合は「ハゲタカ」という邦画を観に行ったときに、登場人物の経歴・状況などドラマを見ていない人には分からないことだらけで屈辱的な思いをしたことがあります。ほんとに「カネ返せ!」という気分でした。それは極端なケースだと思う。また、松本人志や板尾某などは、映画的なものを思いっきり意識しているのかもしれないけど、能力がないのに人気タレントという驕(おご)りだけで監督をやってしまう、というか、それらの作品が製作・配給OK というのが今の日本映画界のダメさだと思う。それはオレがテレビの世界を知っているかどうかということとはまったく関係ないことです。
今の時点でもウノぴょんは「テルマエ」のテレビ的という要素が「キャストはテレビに出ている人ばかり」という他は言ってなくて「愛と誠」でそれが崩れたのだとしたら、必ずしも「日本映画がダメになった(のかもしれない)」=「テレビドラマ的」ではないと思う。「殺人者たち」とか「輝ける青春」という、もともとテレビドラマとして作られたけど、テレビ放映が叶わず映画用に編集した傑作(オレ比)もあるしね。
ようするに、ウノぴょんが今の段階でも「『テルマエ』をテレビドラマだと感じた」と言うならば、まずは、それは何か?を言わなければならないと思う。
日本映画はダメなのかどうなのか?ということを、テレビ的ということからさらに飛躍して考えてみるといいと思います。意地にならず、投げやりにならず、思ったことを書けばいいと思います。

ところで、他のセピアメンバーはどうしちゃったのかな?待ってるんだけど・・・
オレが「テラリーの頭が性器っぽい」と言ったことが思いがけず波紋を呼んじゃったけど、そのことは謝ります、ごめんなさい。性器といえば女性器もあるからね、知らない人が読んで誤解したら大変だと思ったよ。
オイシンは「ボクにはなんでも書いてください!」って言うからオレも元店主の日記でもバンバン書いているんだけどなぁ・・・それともまだ足りない?

投稿者 セピアセピアテラリー : 2012年07月19日 19:18

やっとこさ追いつきました。
マツヤマさん、性器っぽいに関しては本当に気にしておりません。返ってもうしわけございません。単純に髪の毛を伸ばしてみたいと考えただけで、おかしな髪型をしているのはセンスがないだけです。申し訳ございません。

愛と誠ですが、本当に面白かったです!
いかに三池作品とはいえ、テルマエに続いての邦画でしたので、
完全に油断して観に行きました。素直に笑い、感動させられました。
僕にとっても岩清水が主役です。転校する前の自分の常識が通用する世界においては簡単に「死ねる」と言ってみたり、学年1位の座を死守していたり、見た目を気にする男が、恥も外聞もすてて土下座をするようになるのが最高です。
愛の自分の価値観でしか相手の幸せを図れない愛に比べて、相手の価値観に立った相手の幸せを実現する方法を実行する所により純粋なものを感じました。
誠がきたことを知って病室を出てゆくシーンがラストでも良かったぐらいです。

テレビ・映画の話に関してはもうちょっと頭を使ってから参加いたします。前回の投稿が薄っぺらすぎたと反省してます。

投稿者 トモコ(横槍) : 2012年07月19日 19:36

うのぴへ

質問者のマツヤマさんは悪くないとも言われてますが、この物語の中での、早乙女愛についての質問だったと思います。
それがほぼカワイイとたまらんということのみだったのは、よく言えば通人的かもしれませんが、アイドルおたく的、もしくはセクハラ・・的で、がっかりしました。

投稿者 トモコ(横槍) : 2012年07月19日 19:40

あっ テラリーだ。

投稿者 トモコ(横槍) : 2012年07月19日 20:16

うのぴへ

先ほどの投稿は、がっかりのあまり言葉足らずでしたので、補足して書き直します。
質問者のマツヤマさんはウノピの答えでも悪くないと言われてますが、私はこの映画(物語)の中での早乙女愛というキャラクターについての質問だったと思いますので、ウノピのお答えは些か的外れに感じました。
以下は上記と同文です。
それがほぼカワイイとたまらんということのみだったのは、よく言えば通人的かもしれませんが、アイドルおたく的、もしくはセクハラ・・的で、がっかりしました。

投稿者 元店主 : 2012年07月20日 03:32

てらりーへ

ふ〜、疲れた・・・、あのなぁ、いっぺんに三つもコメント入れるのなんとかならない?こっちも返事するの大変なんだからさぁ。もう・・・。

で、「愛と誠」ね。
ほ、ほうー、テラリーもやっぱ岩清水なのねー。わはは、もう優等生組はこれだから・・・(テラリーも確か大学院に行ってたよな)

いや、いいと思ふよ。私も岩清水好きだし。ただね、早乙女愛のより岩清水の愛の方が純粋だ、といふ意見には同意できんな。
確かに相手が幸せになる事が自分の幸せ、と言ひ、それを実行に移した岩清水は偉いと思ふ。でもね、これってやっぱ偽善的ぢゃない?途中で愛と岩清水の滑稽な会話にもあった様に、やっぱ岩清水も愛を求めてるんだよ。それは別に悪い事ぢゃない。でも、その気持ちを抑圧して「君が幸せならボクも幸せ」とか言ふのは、私には偽善的に思へるな。優等生的といふか。
それに対して、(早乙女)愛の愛は純粋だと思ふ。何故なら、愛の愛は相手の魂の無垢を信じる事だから。
みんな(?)勘違ひしてるかもしれないけれど、愛の愛は自分の一方的な思ひ込みを相手に押し付ける事ぢゃないよ。愛は子供の時に、誠に命を救って貰った。それこそ一生残る傷を負ったぐらゐだから、幼い誠にとってそれは本当に「命をかけた」行為だったはず。しかも、それに対して一切の見返りを求めず、逆に口封じさへした。この誠の魂の純粋さを、愛は徹底的に信じた訳だ。たとへ現在の誠がどんなに不良であらうと、酷い仕打ちをしやうと、卑劣な事をしやうと、足蹴にされやうと、嫌はれやうと、とにかく愛は誠の魂の無垢さを信じた。愛以外、誰一人信じないものを、信じた。私は、これこそ純粋な「愛」だと思ふ。
純粋な愛とは宗教的なもので、それは信仰に近い・・・といふか、信仰そのもので、それは何の留保もなく善なるものを信じる事だ。
だからこそ映画のラストに、恩寵は訪れる。それはほんの一瞬だが、永遠でもある。私が感動のあまり、しばらく席を立てなかった所以です。
まぁ、かりゆし何とかのおかげ(所為?)で、すっと俗世に戻ってしまった訳だけど。

なんにせよ、傑作だったな。

投稿者 マツヤマ : 2012年07月20日 19:51

鼎談はプロローグで、ここが本編みたいになってきたな。やはりセピアが表舞台なんだよね。ってわかるかな?

トモコさん
普遍を目指すということを考えると、ウノぴょんへのオレのコメントは甘いのかもしれません。
愛についてはテラリーに対する元店主のコメントに尽きると思うけど、ウノぴょんはそういうことを語る人ではないという印象だったのです。かといって他に何か出るかというと、オレにとって愛は印象がもっとも薄かったので、ウノぴょんのコメントは、武井と愛が混同してちょっと分かり難かったけど、あれが限界かな、と思ったのです。でも人を勝手に見限るのは失礼でした。
ということを本人に言わなければ気持ち悪いと思うので・・・

ウノぴょん
ということです。
愛について強いて言えば、メガネ、オッサン、月光仮面、悲しい女、など重要キャラには禁句があるけど、愛にはそれが無い、ということは純真な心を持つものはトラウマもない、純愛を貫くには恐れるものはなにもない、ということなのか、と思ったことくらいかな。
ウノぴょんは2回目では早乙女愛についても書いてくれていると思うけど、武井と混同してて分かり難いので、短くても、前と被っててもいいので早乙女についてもう少し分かりやすくまとめてみてください。

テラリーの愛に対する評価はやはり薄いと思う。「自分の価値観でしか相手の幸せを図れない・・・」って、もしかしたらこれはテラリーの女性観じゃない?
対して岩清水(寺リー自身)の「相手の価値観に立った相手の幸せを実現する方法を実行する所(ってややこしい!)・・・」というのもけっきょくのところ「自分の価値観」ということじゃないのか?なんだか傲慢な感じも・・・。
この自分評と女性観が合わさると、テラリーそのものって気がするんだけど。違う?

ところで、みんな岩清水で盛り上がっているなか、武井=愛に執着しているウノぴょんはちょっと頼もしいとオレは思ったんだけど、誠=妻夫木、そんなに印象薄かったかな? テラリーも岩清水と愛のことばかりで誠についてはまったく語ってないけど、やはり印象薄かった? 言っとくけど「愛と弘」って映画じゃないからね。

あと、オパールで話してたことで、鼎談には載らなかったけど、権太(伊原)みたいな、オッサンにしか見えないヤツって、実際にオレの行ってた高校にはいたんだよね。転校生で何故か一歳だけ上だったんだけど、身体はデカいし、予餞会のステージでは1人でスーツ着て「氷雨」歌うし、加齢臭までしてたもんね。
余談でした。

投稿者 uno : 2012年07月21日 00:23

マツヤマさん、元店主さん

何に対して答えて良いのやら、そんなことすらよく分からない状況になっていますが、直近のマツヤマさんのコメントに、早乙女についてまとめてみてください、とあるので、まずはそこから書きます。

元店主さん、マツヤマさんのコメントを読んで、早乙女の純愛に関して、成る程そう見ることはできるな、と後になって思うのですが、正直に言うと映画を見ていたときに私が早乙女に感じたのは「誠のこと愛してるのは分かるけど、よう頑張っとんな〜」程度でした。
なので、2回目のコメントで書いたように、物語の本筋として重要な役割を果たしたとは思わなかった。
早乙女と武井を混同している、というより私にはほぼ武井にしか見えていないんです。
これが映画を見た時の早乙女に関する感想。
ちなみに武井のファンじゃありません。

ところで鼎談、コメントから察するに、皆さんは武井に関しては何も思う所は無い。にも関わらず、作品中の早乙女に関して共感を抱いている。何故?と思っていました。特に店主さん。

元店主さんのコメントで”イデア”という語が出てきましたが、私はこの語を知りませんでした。
調べた所(wikiですが)「ものごとの真の姿」「ものごとの原型」「魂の目」等とある。
元店主さんが使った文脈とはまた別かも知れませんが、
もしかして、これ?
私はイデアという観念を持って映画を見ていない。
だから武井にばかり目が行って、早乙女に気持ちが向かなかった。(武井の演技のせいというのも否定できませんが)
私自身の映画(その他)の見方にイデアなところが欠けている。つまり真の姿を探そうとせず、受動的に映像を見ているだけ。
ああ。。。
只これは意識を持つことで改善できそうだと思います。

少し前、文楽の「帯屋の段」について元店主と話をした時、お互い感じた違和感というのもこの辺りが原因なのかも、と今になって思っています。(芸に関してはまた別の機会に)

毎度、散漫になって申し訳ないのですが、今の私が書くことが出来るのはこれくらいです。
結局自分のことになってるし。。。
マツヤマさん、答えになっていなかったらすみません。

投稿者 マツヤマ : 2012年07月22日 00:30

うのピョン
おつかれさま。オレに対してはもういいでしょう。ここはそうとう煮詰まってきたし、オイシンも来ないので、次に持ち越そうか。返し忘れた返事ない? テラリーはもう無いですか?
とりあえずウノぴょん、次の「崖っぷちの男」では、ちょっと観方を変えて、役者の演技やメイキング抜きで、主人公や他の誰か、またはそれらを取り巻く社会など、物語の中にドップリと浸かり込んだコメントを読みたいです。

投稿者 テラリー : 2012年07月23日 18:05

遅くなりました。
マツヤマさん、元店主(さんをつけるかどうか悩みましたがつけないでいきます)本当にありがとうございます。

映画から離れた話になってしまいますが。

元店主からの愛の愛に関する解説でオパールで常に指摘されていたのに理解できていなかったことの一端が見えた気がいたします。
確かに岩清水は純粋さという点で、愛に及ばないと納得しました。
そして、岩清水は理解できても愛は理解できないのはなぜかと考え、やっとマツヤマさんに以前から指摘されていた「傲慢」の意味がなんとなく分かった気がいたします。
なんでも頭で理解できると思っていることと、できることとできないことの区別がついていないこと(なんでもできると思っているてこと)。
次作からもっと素直に映画を観ます。崖っぷちの男はもう観てしまいましたが。

投稿者 テラリー : 2012年07月23日 18:23

マツヤマさん
僕自身の女性観と自分評という点ですが、自分評の方は指摘を受けて正にという気がいたします。女性観の方はなんとも言えないのですが、しっくりこない気がします(もちろん彼女の目はを気にしているわけではないです)。
誠に関しては確かに印象が薄いです。強烈なキャラクターなのに印象が薄いからこそ、最期まで飽きずに観られたと感じました。

投稿者 マツヤマ : 2012年07月23日 21:28

テラリーへ

一応、確認のつもりで「そうじゃない? 違う?」って聞いたんだよ。テラリーの女性観までは知らないからね。だからハッキリと「違いますっ!」って返されたら、「それは失礼!」って言う度量はあるよ。しっくりこないけど。
次は「崖っぷち」で会おう!


投稿者 uno : 2012年07月24日 10:49

トモコさん

まず最初に、私の下らない邪推により意図的に返信をしなかったことをお詫びします。

私の発言で不快な思いをさせてすみませんでした。

本件で気づいた重要なことがあります。そのことは次回以降のセピアに生かして行きます。

次のステージへ!

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