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2009年06月05日(Fri)

「消されたヘッドライン」 ☆☆☆★

Text by Matsuyama

結末にも触れています。未観の方はご注意ください。

“ヘッドライン”ぜんぜん消されナイじゃないか?って観てたら最後の最後に、なるほどそうなりましたか。このオチにいたるサプライズには納得しない人、多いでしょうね。でも私的にはまあまあ好きな結びでした。
「殺人事件の取材を進めたら、そこには巨大な軍需企業の謀略が存在した」ということであれば、結末はきっと「ザ・バンク 堕ちた巨像」のように底知れぬ深い闇に、そして殺人事件そのものが消されてしまったことでしょう。それでも私たち庶民は「強くて大きな悪が潰されるところを見たい」という欲望があります。私自身も「映画から強烈な現実を読み解きたい」という欲望があるのですが「ザ・バンク 堕ちた巨像」のような、誰も手を出せない巨大な権力の存在のみを描くのがギリギリの暴きだと思うのです。映画の中で権力を潰す、権力に勝つことをしてしまえば、あまりにも現実から遠のいた社会派作品となってしまいます。

さて、ちょっと拍子抜けのラストですが、そこにいたるまで、大きな真実の暴きが道連れとなります。というか、この作品での殺人事件そのものは触媒としてのみ存在し、それによって明かされた戦争ビジネスの真実が作品の生命となっているのです。
ここで暴かれた民間企業ポイントコープ社とは、退役した米軍兵士を雇い、戦地へ送り込むという“サービス”を行なう会社です。派遣会社、または兵士のリサイクル会社といったところでしょうか。問題はその企業に政府要人がCEOや株主として関わっているということです。「政府に意図的に軍備を縮小させることによって、民間企業への委託を促している」というところまで、この作品は迫っています。現実にかなり大きく踏み込んだ内容だと思って観ていました。

その現実とは、ディンコープ社というよく似た名前の軍需企業が実際に存在します。現在はCSC(コンピューター・サイエンス・コーポレーション)という企業の子会社となっているようですが、ここが同じように戦争請負い企業、兵士派遣企業を業務としています。他にも戦地サービスを行なうハリバートンという会社があります。また、政府にイラク戦争を求めたといわれるべクテル社は世界の5割以上の大型ダム、発電所(主に原子力)、そして世界のほとんどの石油精製プラントを建設したゼネコン最大手です。建設途中で震災が起こり、まさにその真下が震源となった明石海峡大橋を建設していたのもベクテルでした。
そして、それらの企業に関わって巨額の利益を得ているのがチェイニー、アーミテージ、ラムズフェルド、ブッシュ親子、レーガン、デビッド・ロックフェラーなどといったアメリカの有名人たちです。
要するに戦争とは「一部の権力者と大企業の金儲けのためだけ」が目的で起こされるのであります。

この作品でもうひとつ見逃すことのできないテーマは、新聞の売上げが低迷して、それに代わってWEBが台頭しつつあるということです。これは日本でもまったく同じ現象が起きています。それは情報の統制によるもの、すなわち記者に対する記事の統制によって、新聞というものがまったく読み物として価値がなくなってしまっているからだと思うのです。「読売は右(保守)で朝日は左(リベラル)」なんていうのも今は幻想でしかありません。どこもいっしょです。どこの新聞社も記者は自由に記事を書けないんです。いや、もはや書かない、書く気がない。各官庁の記者クラブでネタをもらって記事にするだけがほとんどです。一方、WEBは今のところ言論の自由がある程度(脅迫、犯罪幇助を除いて)守られていますから、虚実の程は別としても情報としては面白いし刺激的です。

主人公の新聞記者カル(ラッセル・クロウ)の前時代的な風貌は、報道精神という言葉が新聞社にあった時代を彷彿とさせ、編集局長キャメロン(ヘレン・ミレン)はフェミニズムを戦った強き女性を感じさせます。それでも経営陣が前記の軍需企業だったらジャーナリズムは脅かされ、統制がはたらきます。「市民ケーン」のようなメディアが権力に支配された世界が今でも、日本でもテレビ、映画、音楽産業にまで広がって、庶民を洗脳し続けているのです。
最近は「テレビ離れ」なんて言葉をよく耳にしますが、そんなことはありません。先日の豚インフルエンザ騒動を思い起こせば分かる通り、テレビをリモコンでポンと操っているつもりが、テレビからポンと操られ、マスクをしたり外したり。自分の判断なんてどこにもありません。テレビは“視る”モノです。そして今やマスコミは見下すモノです(と私は思う)。

映画は主役たち、記者カルとスティーブン・コリンズ議員(ベン・アフレック)とその妻アンの御都合主義的な三角関係が安っぽいドラマに仕立てられ、殺人事件の追求が巨大な権力に行着くと思いきや、コリンズ議員の個人的な犯罪として終結します。それでも軍需企業ポイントコープ社と政府要人との癒着という事実にまったくブレはありません。
元はイギリスBBCのTVシリーズで巨大な石油企業の暴きに終止するらしいのですが、イギリスBBCとハリウッドとでは事情が違うのでしょう。
このラストの小さな結びは、巨大資本や権力をフィクションの中に封じ込めなかったことで、映画の中で現実を浮彫りにすることができた、ある意味、工夫された脚本だと思ったのでした。
だからラストは「これでいいのだ」と思ったのでした。

Comments

投稿者 TETSUYA O : 2010年01月03日 02:31

この映画に関し、どんな批評が加えられているのかを知りたくて、ネットサーフしているときに、このページに行き着きました。

大体、ここに書かれていることと同様の感想(批評には当たらないと思います)が多いようです。個々の捕らえ方ですからそれはそれでいいのですが、わたくし自身はエピソードを盛り込みすぎたゆえに、テーマが(新聞社に絡めている部分)が極めて希薄になってしまった印象がありました。ちょっとピントこないオチだし。映画の中で現実を浮き彫りにしたからこれでいいのだという説明がありましたが、浮き彫りにしたというより「説明」しただけで、重層さや事の重大さに踏み込めてない、いや踏み込んではいるけど、画面からうけるものが少ない。

結果、なんだか薄い映画だなあと思ってしまいました。

閑話休題

わたくしは映画の中と同じ業界で同じ仕事をしています。筆者のマスコミ批評、記者クラブ云々という部分については、真正面から反論したくなりました。実際、わたくしは自由に書きたいことを書いていますし、いまどきクラブでネタなんかもらって書いている記者は、ゼロではないですが(必要なこともあるので)少なくても自分はそんなことしているほど悠長ではありません。
失礼、これを書く欄ではありませんでした。でも自分がいくら反論しても、一般の人の見方はこうなるんだろうなあというのがよくわかりました。

投稿者 マツヤマ : 2010年01月06日 12:28

TETSUYA O様

人が違えばネットサーフのコースも違うということなんでしょうね。私が見たカンジではほぼTETSUYA O様のような感想がごくごく一般的でした。まぁ“ネットサーフ”すればわかることでしょうが。にしても、ずいぶんこの作品にはガッカリされたようですねぇ。

>失礼、これを書く欄ではありませんでした。

私自身好き勝手書いているので、それに関することならなんでも書いていいですよ。

>映画の中と同じ業界で同じ仕事

あなたは新聞5社のいずれか?地方紙?週刊誌?真正面からの反論ですよね?
私が言いたいのは新聞記者はボンクラだということ。政治に関わりのある記事、大事件を各紙読み比べるとほとんど同じ、ネタもとが一緒ということですよ。私の知人の新聞記者(ごく一部の記者かもしれませんが)もそれを自認しております。新聞が売れないのは若者が字を読まなくなったというだけじゃなくて、新聞が面白くないから、記者が犬だからです。
私のマスコミ批評はこれから一般的になってくることです。テレビ、新聞が嘘くさいと一般の人が思い始めたのは最近のことです。
あなたのような反論こそが現状の“一般の人の見方”なのですよ。

あなたは希にみる優れた記者なのかもしれませんが、あなたのお仕事は「なんだか薄い映画だなあ」と思った映画の批評をわざわざネットサーフまでして、おまけに一般人の映画感想にコメントまで寄せるほど“悠長”なものではないんじゃないですか? 
マスゴミ批判に反論したいのなら、ここはあなたには役不足でしょう。

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