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2005年10月14日(Fri)

延安の娘 ☆☆☆★★★

Text by BABA

 “聖地”に置き去りにされた娘は それでも一目 実の親に逢いたかった。ババーン! 監督はおもにNHKテレヴィのドキュメンタリーを撮ってこられた池谷薫さん、その劇場用映画デヴュー作です。

 ちょっと言わずもがなの解説を加えさせていただくと、“聖地”というのは、中国中部に位置する「黄土高原」の延安。

 なぜ、聖地かというと、その昔1936年頃、内乱状態の中国、革命の指導者・毛沢東は国民政府軍に追われて「長征」と呼ばれる大規模な撤退をおこないまして、苦労の末たどりついたのが辺境の農村・延安、その延安を拠点に毛沢東は反撃を開始、中国革命をなしとげまして、つまり延安は「革命の聖地」。

 革命後、毛沢東は革命の指導者として神のごとくあがめられましたが、経済政策「大躍進政策」が大失敗、徐々に政治力は小さくなっていきます。

「大躍進政策」というのは、とにかく文明の指標は「鉄の生産量」だ! 鉄をどんどん生産しろ! と号令かけられ農民も畑仕事放りだして鉄の生産に従事、スキやクワの農具までどんどん村の溶鉱炉にほりこんで粗悪な鉄を作りまくり、そのため中国農業は大打撃をうけた…というもので、この辺は張芸謀『活きる』でも描かれておりましたね。

 そして1960年代後半、毛沢東は起死回生の「文化大革命」を発動します。「反逆にこそ理がある」=造反有理! との訴えは若年層にバカウケし、若者どもは赤い表紙の『毛沢東語録』を手に手にかかげ、『覇王別姫〜さらばわが愛』『ラスト・エンペラー』『活きる』で描かれたように、主に知識人・文化人に因縁つけて吊し上げ、殴る蹴るの暴行を加えたのでした。

 さらに毛沢東は、辺境の農村から都市へと攻め上がる「農村から都市へ」方式しか革命の方法はない! と、「下放(かほう)」の号令をかけます。都市の学生らを農村へ送り込んでワケもわからず農作業させ、農民・労働者の精神をたたきこんでやろうというありがたくもメチャクチャな政策です。現代中国映画をしょってたつ張芸謀や陳凱歌が「下放学生」だったことはよく知られるところです。

 で、その下放学生、男女の恋愛は御法度、しかし中には不届きなヤツがおり(当然)、下放学生男女間に子供が生まれたりして、でもバレると厳しい処罰、労働改造所や刑務所送りになってしまうので、生まれた子はこっそり捨てられたり、子宝にめぐまれない農民にあずけられたケースが多々あったとか。

 延安の娘、何海霞(フー・ハイシア)も下放学生に捨てられ、農民に育てられた娘の一人です。一目、実の父母に会いたい! そんなおり北京で父親が見つかった! オラ北京に逢いに行くだ! ババーン! というドキュメンタリーでございます。

 上映後、監督のトークショーを聞く機会にめぐまれたのですが、池谷監督によると、「下放学生」はかわいそうな世代で、子供の頃は飢饉で飢え、学生時代は農村に放逐されて勉強できず自由に恋愛もできず、市場経済が急速に発展する現代中国では、「使えない中年」として真っ先にリストラされている…とか。

 これまで「文化大革命」「下放」を描いた作品はありましたが、現代の問題として正面から描かれた作品はあまりないんじゃないかしらん? と思うわけです。

 それはともかく、何海霞と父との対面がひとつのクライマックスになっておりますが、もし日本のテレヴィが取り上げたとしたら、ヤラセまがいのお涙頂戴・愁嘆場がくりひろげられるのでしょう。しかしそこはサラッと流されてしまう、というか、素晴らしくリアルです。娘は「実の父親に会いたい!」と強烈に願っておりますが、父親がホントにダメな感じ、「うーん、なんだか気が進まないなぁ」という雰囲気をプンプンさせている。

 下放学生の同窓会的コミュニティのオバサンたちにも、父親の評判は非常によろしくなく「顔が悪い」「ブサイク」などとまで言われてまして、映画の主人公にはおよそ似つかわしくない感じが素晴らしいですね。

 この父親、普段からダラダラと上半身ハダカで暮らしており、娘との「感動の対面」でも、普段とまるっきり一緒の上半身ハダカ! 「なんか凄い! オヤジ最高!」と茫然と感動しました。

 これも、上映後トークショーで語られたのですが、お父さんは普段からハダカなので監督は、「娘との対面のときもひょっとしたらハダカのままかも? いくら何でも感動の対面にハダカはあかんやろ」と、お父さんに電話して、ちゃんと上着ぐらい着なさいよとアドヴァイスしようとしたけど、「いや! それを言っちゃあ、ドキュメンタリーでなくなってしまう!」と、グッと踏みとどまったとか。

 それはさておき、やがて父娘は後景にしりぞき、黄玉嶺(ホアン・ユーリン)という、下放されて延安にそのまま住み続けた男の情熱大陸ぶりがクローズアップされていきます。

 黄玉嶺は、紅衛兵のリーダーとして100人の手下をかかえ、暴行・破壊・略奪の限りを尽くしましたが、下放中に女学生と良い仲になり、女学生を妊娠させてしまいます。女学生は中絶させられ、彼は労働改造所送りになって看守から「お前は人間じゃない。畜生だ」といわれ続けた……という過去を持っています。

 彼は父娘の再会に奔走するとともに、同じように畜生扱いされてきた王偉(ワン・ウェイ)という農民の名誉回復に尽力します。王偉は下放学生の世話をする党幹部だったのですが、強姦の濡れ衣を着せられ労働改造所送りになり、現在もなお村人からは「強姦魔」と呼ばれているとか。

 余談ですが、濡れ衣を着せられ村人から「強姦魔」と呼ばれる王偉を、池谷監督がカメラマンをともなって最初に訪れたとき、王偉は、「オレは、お前を30年間、ずっと待っていたんだ!」と言ったとか。なんか、もの凄い話ですね。

 黄玉嶺は王偉の濡れ衣をはらそうと、下放学生の同窓生とともに、当時の共産党幹部宅を訪問します。その幹部は自分と王偉を労働改造所送りにした張本人。

 その元幹部は「おお! よう来たな! なつかしいなぁー! まあ上がりなさい」と、元下放学生たちを大喜びで大歓迎します。ひとしきり歓談しなごやかな時を過ごしたのち、黄玉嶺はやおら「あなたが強姦の罪を着せた王偉をおぼえていますか? 彼は冤罪だと主張しています」。元幹部の表情が一瞬で凍りつく瞬間をカメラがとらえる。うーむ、これはもの凄いドキュメンタリーですな、と思わず唸り、黄玉嶺の情熱に茫然と感動しました。

 黄玉嶺の情熱は、「俺たちは栄えある下放学生だ! このまま歴史に封印されてなるものか!」との気概、そして「自分は畜生ではない、人間だ!」との魂の叫びに支えられています。

 黄玉嶺、王偉、「延安の娘」とその父、元・下放学生たち……歴史の闇に葬り去られようとしている名もなく貧しく美しくもない人々をカメラで記録し、歴史に名を刻ませていく…これこそが、ドキュメンタリーの機能というものでしょう。この『延安の娘』はバチグンのドキュメンタリーである、と一人ごちたのでした。

 地味な内容で、ナレーションを入れればもっと一般受けしそうな作品になるところ、ナレーションを排し、解説・説明を加えず当事者にどんどん語らせていくスタイル、ときおり雄大な「黄土高原」の風景が挿入され、それが監督のメッセージのようなものを感じさせはしますが、解釈は観客それぞれにゆだねられております。

 なんだか深刻な映画のようですが、そこは中国の農民・庶民が持つ、貧乏人の大らかさというか、張芸謀が『秋菊の物語』『あの子を探して』『初恋のきた道』などで描いてきた農民・庶民そのまんまで、また音楽が『あの子を探して』『初恋のきた道』の三宝(San-Bao)なんで、張芸謀の貧乏人ものが好きな方なら存分にお楽しみいただけるかと存じます。地味ですけどバチグンのオススメ。

 それから、「老紅軍」と呼ばれる、毛沢東とともにゲリラ戦を戦った老人が、庭先で麻雀しながら「革命は、大変なことなんだよ、なみたいていの苦労じゃないんだよ」と語るシーンは「なんか凄い映像を見た!」って感じで一見の価値有り。

 池谷監督の次回作は『蟻の兵隊』http://www.arinoheitai.com/、第二次世界大戦の終結後、国民党にひきわたされ、4年間に及んで傭兵として戦争を続けさせられた日本兵の生き残りを記録するものとか。これまたバチグンに面白そうな内容ですね。

 以下は蛇足ですが、京都教育文化センターの京都映画サークル定例上映会で鑑賞。これがピントがズレまくって最低でした。字幕にピントをあわすと中央が惚け、中央にあわすと周縁が惚けるというように、設備に問題ありあり。数年前、同じく京都映サで上映された『黒い瞳』(ニキータ・ミハルコフ監督)を見に行って「こんな劣悪な上映環境で金とって上映するとは、たいした度胸ですなー」と、映画ファンの方々の情熱に大いに感嘆し、「二度とここには映画を見に来るまい」と決意したことを思い出したのでした。蛇足、終わり。

☆☆☆★★★(☆= 20 点・★= 5 点)

公式サイト: http://www.en-an.com/

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