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 Diary 2004・9月2日(Thu.)

誰も知らない

 MOVIX にて『誰も知らない』(是枝裕和監督)を観る。……辛かつた。いや、これは映画が退屈で辛い、といふ意味ではなく、映画の内容が、扱つてゐる題材が、辛かつた、胸に痛かつた、のだ。

 この映画は、「西巣鴨子供 4 人置き去り事件」と云はれる実際の事件を元にしてゐる。親に捨てられた、まだ幼い子供たち 4 人が何とか生きていく。この子供たちは、戸籍がない(親が出生届けを出してゐない)ので法律的に存在せず、また近所の人たちから隠れて住んでゐる(親から、部屋を一歩も出るな、と言はれてゐる)ので、社会的にも存在してゐないも同然である。この設定だけで、かなり辛い。私は、むかしアンゲロプロス監督の「霧の中の風景」を観て、そのあまりの辛さにトラウマを負つたくらゐだから、この手の話には弱いのだ。孤独な子供、孤独な兄弟・姉妹の話。

 さらに辛いのは、この子たちを捨てた母親が、いはゆる「鬼親」みたいな感じではなく、子供たちに優しい、子供たちの仲良し仲間、みたいな人だつた事である。ただ、この母親はチョット頭が弱く、精神が幼すぎたのだ。ゐるよね、かういふ人。かういふ人を見るのも、辛い。また、こんな母親であるが故に、幼い子供たちは慕つてもゐる。一番幼い妹は、ずつとお母さんの帰りを待つてゐる。……この、帰らぬ親の帰りを待つ子供、といふのも、辛い。誤解を恐れずに敢へて言ふと、忠犬ハチ公の物語に通じる辛さが、ある。こんな子供たちを、放つておいてはダメだ!! ……私はあんまり辛くて、ひたすら映画が早く終はる事を願つた。が、この映画がまた 2 時間を超へるほど長いのだ! …辛かつた。

 是枝裕和監督は、主にドキュメンタリーを撮ることでキャリアを始めた人らしく、この映画もドキュメンタリータッチが溢れてゐて、そこがまたリアルで辛かつたやうな気もする。が、映画の冒頭部分がクライマックスに繋がつてゐたり、分かりやすい伏線が次々と成就したりと、ハッキリとこれはフィクション! と刻印づける要素も多々あつて、それに救はれたやうな気がする。全く、こんな話が現実にあつたら堪らないよ、フィクションで良かつた、と……ッて、これ、現実にあつた事件に基づいてゐるんだつた!! やッぱ、つらい。

 映画を見終はり、パンフレットを買ひ求めて、中をパラパラと読んでゐると、色んな人たちがこの映画に言葉を寄せてゐて、その中に、「幸福」「感動」「優しさ」といふ言葉が多用されてゐる事に、もの凄い違和感を覚えた。確かに、この映画の中で、子供たちが幸福さうに遊ぶシーンはたくさんある。しかし、それを「幸福」と呼んでいいのか? 子供たちが幸福さうであればあるほど、つらく、残酷なシーンではないのか。どうやればあれを「幸福」と呼び、子供たちの姿に「感動」し、映画から「優しさ」を感じることが出来るのか。さういふのは絶対にをかしい! と、強く感じた事だけを、とりあへずは記しておきます。

 寄せられた言葉の中では、ダントツに黒柳徹子によるものが、納得できた。黒柳徹子はかう言ふ。「小さい子はどんなことがあつても、おとなを疑わないのです。そんな目でじっと私をみつめます。こういう子どもたちを大人は裏切ってはいけないのだ」。正に、その通りだらう。

 うう、つらい。

小川顕太郎 Original: 2004-Sep-4;