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 Diary 2004・10月3日(Sun.)

お葬式

 朝一番にトモコがやつて来る。トモコもほとんど寝てゐないやうだ。続いて親戚の人々も次々に到着。ダンボール箱いつぱいに届いた弔電の、外側を捨てたりする。これらの弔電はバカに厚いものが多く、大抵は布貼りに花の刺繍がしてあるやつだが、なかには漆塗りで蒔絵風のものなどもある。これらを碌に見もせずに、中の紙だけ抜いて捨てるのだから、資源の無駄遣ひ感が強い。なんとかならんのか。

 13 時からお葬式。有髪のお坊さん 3 人がお経をあげるなか、みなでお焼香する。その前に個人の生前を偲ぶナレーションが流れたり、さらにその前には着席して待つ間、『大きな古時計』のインストが流れたり、と、なんか変なのだが、まァ、こんなものなのかもしれない。葬儀を導く、葬儀会館の人たち(?)も、妙に要領が良くて、ポンポンとほとんど無駄なく流れるやうに、いささか気忙しいほどに式が進行するのも、個人的には変な感じがした。

 出棺前には、みなで棺の中に花を入れ、故人を花で埋もれさす。他の従兄弟たちは、祖父への手紙や絵、なども入れてをり、最後には服や靴まで入れる。みんな泣きながら別れを惜しんでゐる。と、進行係の人が、「名残はつきないでせうが、時間もおしてゐることですし、云々」とみなを促し、別にその通りで変なところはないと言へばさうなのだが、やはり何か違和感を感じる。ま、毎日何個もお葬式をやつてゐたら、極度の形式化は仕方がないだらう。火葬場まで行つて、祖父を荼毘にふす。

 会館に戻り、みなで食事。弁当を食す。精進落とし(?)といふやつか。それを食べ終はつて、慌ただしくまた火葬場に行き、骨拾い。窯の中から、ザーッと引き出すと、人体の形に骨が焼け残つてゐる。が、なぜか頭蓋骨がない。なんで? 他の部分の骨を、係の人が箸で拾ひ、それを我々が箸で受けて、骨壺に入れる。その骨の受け渡しの際、「これは〜の骨です」と説明してくれるのだが、私が受け取つたのは、「肘の下の部分の骨」であつた。その後、またすぐに会場に帰る。

 会場では「初七日」の準備が出来てゐた。最近では、お葬式の一週間後にまた集まるのが困難なので、同じ日の初七日も済ますのだといふ。これも、なんか変な感じだ。別に、変だからといふ訳ではないが、私とトモコは初七日は遠慮して、帰ることにした。店があるからだ。これから、京都まで帰つて、オパールで働くのである。……以下略。

 なかなかに疲れました。

小川顕太郎 Original: 2004-Jan-5;