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 Diary 2004・3月20日(SAT.)

桜とともに

 もうすぐ桜である。といふか、今年は桜が早いので、もうすでに各所で桜は咲いてゐるといふ。なんと京都にも桜前線は来てゐるといふ噂で、正月と花見の好きな私としては、落ち着かない。もちろん今年も花見をするつもりなのだが、店をやつてゐると(働いてゐる人はみな同じでせうが)、なかなか思ふやうに日がとれない。やはり花見はみなで集まつてワイワイとやりたいので、どうにも日程の調整が難しいのだ。桜は待つてくれないし。で、どうも今年も 4 月にまでずれこみさうなのだが、それでは桜がほとんど散つてゐるかもしれない。ああ、どないしよ、と店でみなと騒いでゐて、気がついた事がある。昔に較べて、桜の季節が早まつてゐるのではないだらうか。

 もちろん、そんな事は分かつてゐたつもりなのだが、キチンと理解してゐなかつたやうに思ふ。では、これはどのやうな事態を意味するかといへば、それは「日本文化の崩壊」を意味するのだ! ガーン!

 日本に於いては、新年度は 4 月に、桜とともに始まる。これが大切なのだ。これによつて、日本人が古来育んできた四季の感覚、それに則つた美意識、感性などが自然と分かるやうになつてゐるのだ。始業式は常に満開の桜とともにあるべきなのである。それが、昨今のやうな桜の季節が早まつてゐる状態では、最近の始業式に桜はないんぢやないか? 今の子供たちは、始業式・入学式を桜とともに迎へてゐないのではないだらうか。もしさうだとしたら、これは「ゆとり教育」「自虐史観」「個性尊重教育」などと並んで、憂慮すべき事柄だらう。このことが、今の教育崩壊、学力低下、青少年の性の乱れ、残虐な少年犯罪の増加、引きこもり、環境ホルモン、鶏インフルエンザ、豚コレラ、アメリカのイラク侵攻、年金制度の崩壊、カフェ文化の衰退、などに繋がつてゐるやうな気がする。

 ここはひとつ、始業式・入学式を桜の季節に合はせて、必要なら 3 月末に行ふべきだらう。それからしばらく休みをとつてから、授業なりなんなりを始めればよいのだ。これが、私の行ふ 21 世紀日本への提言です。

小川顕太郎 Original: 2004-Mar-22;