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 Diary 2004・1月23日(FRI.)

ミスティック・リバー

 MOVIX にてクリント・イーストウッド最新監督作品『ミスティック・リバー』を観る。いや、正に期待通りの素晴らしい作品。2 時間を超へる長尺ながら、一切だれることなく、貪るやうに観てしまつた。スクリーンの隅々にまで横溢してゐる、「映画」としか名付けやうのないあるもの。やはりイーストウッドは希有の才能である、と唸つたのであつた。

 さて、この映画の持つ政治的意味について述べやうと思ふのだけれど、それにはどうしたつてネタばれが含まれてしまうので、まだ映画を観てゐない人は、できれば観てから読んで下さい。観る価値は十分にある映画ですので。

 とりあへず、この映画の持つ政治的意味は、現在のアメリカによるイラク侵攻への批判である、といふババさんの主張の通りだらう。イーストウッドの政治的立場から考へても、イラク侵攻に批判的でない訳がない。が、一方で、かういふ話もある。911 テロの直後、イーストウッドは「テロリストたちは絶対に許さない、地の果てまでも追いつめてやる!」と公言したと言ふのだ。私はこの話に、妙に感銘を受けた。911 に関して、私はテロリストに同情的であつたし、今もさうである。テロを受けたアメリカは、これはブローバックなので、可哀想ではあるが、仕方がない、といふ考へである。が、翻つてアメリカ国民の立場で考へてみると、「テロリストは絶対に許さない!」と思ふのは、至極当然のやうに思へるのだ。その考へ方が正しいかどうかはとにかく、感情としては当然だらう、と思へるので、常に民衆の素朴な声を大切にするイーストウッドがそのやうに宣言するのも、これは当たり前ではないか、と感じたのだ。

 で、『ミスティック・リバー』である。この映画に於いて、復讐のためには法などに頼らず、自らの手でカタをつけ、結果として間違ひをおかしてしまつたショーン・ペンが、911 に対する報復の感情の赴くまま、イラク侵攻を行つたアメリカに比することが出来るだらう。しかし、そのイラク侵攻も間違ひ、実は勘違ひだつたのではないか? と、この映画は問ひかけてゐるやうだ。確かにその通りだ。しかし、ここで踏みとどまつて考へてみると、ショーン・ペンは、この映画の中で最も魅力的な人物ではないだらうか。いや、そんな事はない! こんな独善的な奴は吐き気がする! といふ人もゐるだらう。さういふ人はそれでよい。が、私は、ショーン・ペンの魅力に、圧倒されたのであつた。ショーン・ペンは間違つた、ティム・ロビンスは可哀想である、が、それがどうした? 仕方ないぢやないか、とまで思へるのだ。さらに、ショーン・ペンに「あなたはこの街のキングだから、何をしても間違ひではない」と言ふ妻が光り輝き、自分の夫を信じ切れなかつたティム・ロビンスの妻が惨めに見えるラストシーンにも、戦慄を覚えつつ、さうかもしれない、と頷いてしまつたのである。

 ではイーストウッドは、アメリカは世界のキングだから何をしても間違ひではない、と言ひたかつたのであらうか。いやいや、さうではない。これはイラク侵攻を描いた映画ではない。あくまで、あるひとつの殺人事件を描いた映画である。そこに立ち戻らなければダメだ。みんな、安易に「聖戦」や「反戦」と言ひ過ぎる。現実は、そんな単純ではない。まづ、生な事件そのものを観よ。言葉や観念に惑はされるな。この映画は、そのリアリティの故に、イデオロギーや政治的願望による安易な読み解きを拒否してゐる。

 ここでもう一度考へてみよう。自分が事件の全容を知り、かつショーン・ペンを逮捕できる立場にあつたら? つまり自分がケビン・ベーコンであつたら、どうであらうか。ショーン・ペンを告発・逮捕したか? これは、人それぞれだらう。その人の考へ、倫理観などが問はれるところだ。私は、しないだらうと思ふ。それでも勿論、今回の戦争に関する私の立場は、あくまでイラク侵攻反対である。さういふことだ。

 この映画は、「反戦」や「正義」といふ言葉、観念を超へた、あるリアルなもの、を提示してゐるやうに私には思へる。これが、現在のイーストウッドの到達した地点なのだ。色々と深く考へ込みながらも、私はイーストウッドの次回作が楽しみでしかたがない。

小川顕太郎 Original: 2004-Jan-25;
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