京都三条 カフェ・オパール Cafe Opal:Home

Home > Diary > 03 > 0815
 Diary 2003・8月15日(FRI.)

明治天皇を語る

 ドナルド・キーン著『明治天皇を語る』(新潮新書)を読む。ドナルド・キーンは昨年『明治天皇』といふ大著を上梓してをり、私はこれを読みたいなあと思つてゐたのだけれど、なにしろ大部の著作なので、なんとなく尻込みしてゐたところ、お誂へ向きにこの「明治天皇を語る」が出たので、これで簡単に『明治天皇』のエッセンスだけでも分かるのではないか、と考へて購入したのであつた。実際にこの本は薄く、読了するのに2時間はかからなかつた。

 ドナルド・キーンは言ふ。同時代に於いて、真に「大帝」と呼び得る人物は明治天皇だけであつた、と。同時代に居た他の有名な「エンペラー」としては、ロシアのニコライ 2 世、ドイツのウィルヘルム 2 世がゐるが、二人とも典型的な専制君主で人民を苦しめ、他国への侮蔑的感情は露骨なものがあつたが、ひとり明治天皇のみは自らのことより臣民のことを想ひ、常に他国への尊重を失はなかつた。儒教的な帝王学をしつかり身につけてゐた明治天皇は、質素を旨として自分を含め周りのものが贅沢をするのを決して許さなかつたし、夏なども避暑地には決して行かなかつた。臣民は暑いからといつて簡単に避暑地などに行くことは出来ない、それなのにどうして朕ひとりが避暑など出来やうか、と言つて、常に臣民とともにあることを望んだといふ。

 また、終生京都を愛慕し続けたにも関はらず、生前はほとんど京都には帰つてゐないのは、好きなことをやらない、といふ儒教的な考へによるといふ。儒教的な帝王学の要諦は「義務と克己心」。だから天皇は自分の地位を臣民に対する義務と考へ、自分のやりたい事、楽しみなどを極力抑へ、臣民のために働き続けることを己に課してゐた。故に、自分の部下が健康上の理由などで仕事を辞したいとでも言へば、烈火の如く怒つたといふ。貴族たるもの、死ぬまで臣民のために働くのが当たり前だ、といふ訳である。

 天皇を取り巻く延臣たちとの関係については、いささか突つ込み不足の感がしないでもないが、まあ、この薄さなら仕方ないかもしれない。なんにせよ、明治における、いや、近代日本における第一級の人物である明治天皇の姿が彷彿としてくる好著。オススメです。

 わが園にしげりあひけり外國の
  草木の苗もおほしたつれば

小川顕太郎 Original:2003-Aug-16;