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 Diary 2002・2月18日(MON.)

立花隆
『嘘八百』の研究

立花隆『嘘八百』の研究(宝島社)を、暇にあかせてパラパラと読む。ここ 1 、 2 年で、『立花隆の無知蒙昧を衝く』佐藤進著(社会評論社)や『立花隆先生、かなりヘンですよ』谷田和一郎著(洋泉社)などが出版され、立花隆批判が盛り上がってきていたが、この本もその流れに沿った本。

 私は昔から立花隆が嫌いだったので、昨今の立花隆批判ブームは、やっとか、といった感じ。何故私が立花隆を嫌っていたのかというと、まず、立花隆ファンと称する知人に信用できない奴が多かった、という素朴な点がある。もちろん、文章を読んでいて、何とも胡散臭い感じがするなあ、と思っていたことも理由のひとつだが、何より、立花隆が田中角栄殺しに重要な役割を演じたこと、が決定的な理由だ。この最後の 1 点だけでも、立花隆は許し難いと思う。が、この『立花隆『嘘八百』の研究』では、その点に関する批判がなく(私と違う立場からの菊池信輝による批判はある)、物足りない感じがした。

 まあ、ロッキード裁判に関しては、あれは暗黒裁判だとかそうじゃないとか、色々と議論が分かれて、今でも決着が着いたとはいえないのかもしれないが、私としては、やはりあれは大きな意味でアメリカの謀略だったと思う。田中角栄は、日本を豊かにして国力をつけ、さらにアメリカの支配から抜け出して自立を目指し、ある程度までそれを成し遂げた、偉大な政治家だったと思う。それを自らのアジア支配に邪魔な存在だと感じたアメリカが、謀略にかけて潰した、というのがあの事件だろう。立花隆は、アメリカにうまい具合に使われたのだ。本人は自覚していないだろうが、アメリカの手先となって、国益を損なった国賊である。

 この『立花隆『嘘八百』の研究』でも各論者が述べている事だが、立花隆は「非政治的」で「価値中立的」な立場を自らとっていると信じている。そして自分は「純粋な知的好奇心」から行動するのだ、と言っている。しかし「非政治的」「価値中立的」な立場なんてありえないし、「純粋な知的好奇心」ほど胡散臭いものはない。こういった人間が、簡単に「巨悪」に操られるのだ。面白そうな情報を餌にすれば(例えば田中角栄の巨大汚職の証拠らしきもの、とか)、簡単に操る事ができる。で、無自覚に最悪の政治的な動き方(つまり手先)をしておきながら、本人は「自分は非政治的で価値中立的で純粋な知的好奇心からのみ動いているんだ」と思いこんでいる。私はこういう人間こそ「馬鹿」だと思います。

 あー、なんだか言い過ぎましたか。ま、ようするに、本日は暇だったんですよ。それだけ。

小川顕太郎 Original:2002-Feb-20;