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 Diary 2001・8月8日(WED.)

岡潔

 可能涼介来店。本日帰阪し、鶴橋でハシグチさんと焼き肉を食べたあと、オパールにやってきたのだ。「これ差し上げます」と言って、岡潔著『春宵十話』(毎日新聞社)をくれる。

 先日電話で可能と喋っていて、なにかの拍子に岡潔の事に話が及び、私が岡潔を知っていたことに、可能が吃驚する、という事があった。可能の周りでも、あんまり岡潔の事を知っている人間はいないそうだ。私が岡潔の事を知っている、といっても、名前と存在、エピソードをいくつか知っているぐらいで、詳しく知っている訳ではもちろんない。著書も読んだことがない。ということで、この本をくれる事になったのだ。可能にはそういう所がある。

 岡潔は数学者である。もうとっくに亡くなっている。岡潔は、実はすごく偉大な数学者らしいのだけれど、私は奇人・変人としての岡潔しか知らない。散歩中に突然道にしゃがみ込んで、道に数式を書いてそのまま何時間でも解き続けたりとか、研究一筋すぎたために、家も土地も売り払い、最後は村人の好意で物置小屋に一家五人で住みながら研究を続けたとか。

 しかし中でも最も私の好きなエピソードは、フランスの留学から帰ってきた岡潔が、自分のやるべき事が分かった、それは「多変数解析関数論」だ、そのためには蕉門の俳諧について研究しなければならない、と言って、一年ほど蕉門の俳諧の研究を続けた、というものだ。これだけなら、ただのアホだが、なんと岡潔は、この後、「多変数解析関数論」の分野で世界三大難問と言われていたものを、全部解いてしまったのだ!これはかっこいい。

 で、この「春宵十話」だが、これは数学書ではなくて、エッセイ集みたいなものだ。「人の情緒と教育」「情緒が頭をつくる」など、面白そうな目次が並ぶ。はしがきには次のように書いてある。「私は数学なんかをして人類にどういう利益があるのだと問う人に対しては、スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだと答えてきた。」なるほど。

 可能はビール三本を飲んで、帰っていった。

小川顕太郎 Original:2001-Aug-9;