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 Diary 2001・8月9日(THU.)

零戦

 昨日ババさんと『トラ トラ トラ!』の話をしている時に、私が「映画の中で軍人が『これがゼロ戦か』というシーンがあって、そこを観た元軍人の人たちはずっこけたらしいですよ。当時はレイ戦といったらしいですから」と、雑誌「映画秘宝」に載っていたネタを話すと、「いや、それはどうやら俗説らしいですよ」とババさんが以下のような話をしてくれた。

 戦争中は、英語は敵性語ということで使用が禁止され、例えば野球でもストライク=いい球、アウト=悪い球と言い換えさせられた、という説がまことしやかに囁かれているが、小林信彦によると、「戦争中でもそんな事を言っている野球なんか観たことがない。ちゃんとストライク、アウト、と言っていた」ということらしい。確かに、零戦の撃墜王である坂井三郎も自著の中で、「ゼロ戦」と言っている。だからこの俗説は、戦後の人が、ゼロは英語なのでゼロ戦なんて言ったはずがない、きっとレイ戦と言ったに違いない、という思いこみから、広まったのだろう…。

 なるほど。これは、戦争中は理不尽を強いられた嫌な時代だった、という事を強調したい人々が広めたのではないだろうか。いわゆる「自虐史観」という奴か。しかし私はこの「自虐史観」という言葉が嫌いだ。なんか下品で、「左翼」っぽい。だから私は山本夏彦に倣って、「お尋ね者史観」と言うようにしている。これは、戦後こういう考え方を広めた人たち、いわゆる左翼の人たちは、戦中・戦前はお尋ね者であったゆえ本当に悲惨だったので、どうしても戦中・戦前を暗く・悲惨に描いてしまう、ということだ。いいでしょ、「お尋ね者史観」。

 山本夏彦は、戦中・戦前はちっとも暗くなかった、という事を、自らの体験を引いて何度も書いている。食べ物もそれほど不足しなかったし、人々は明るく、楽しく暮らしていた。もちろん、東京大空襲以降の各大都市に対する空襲、原爆のあった終戦の年は別ですが。

 ショウヘイくんによると、先日テレビで真珠湾に関する番組をやっていたのだが、その中でも「レイ戦」と言っていたそうだ。ま、もしかしたらこれが正式名称で、「ゼロ戦」の方は愛称かもしれないけれど。

 はっはっは、昨日の話で今日の日記を書いてしまいましたー。

小川顕太郎 Original:2001-Aug-10;