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 Diary 2001・4月29日(SUN.)

読了

 ミツギちゃん来店。本日は京都駅ビル劇場シアター 2000 で「フランス映画の輝き イタリア映画の誘惑(各回入れ替え)を全部観てきたそうだ。つまり、『フレンチ・カンカン』『ヒロシマモナムール』『夜と霧』『天井桟敷の人々』『ベルトルッチの殺し』の計 5 本。凄い。でもちょっと見過ぎでは…。とはいえ、こういう機会を逃すと、なかなかこれらの映画をスクリーンで観ることはできない。

 山本夏彦にいわせれば、「映画」を観る機会を失うことになる。映画は昭和 35 年頃に滅んだ。滅んだ後に生まれた我々は、「映画」を知らないから、「映画のようなもの」を「映画」だと思い込んでいるに過ぎない。これは山本夏彦のみが唱える奇矯な説ではなく、例えば蓮實重彦なんかも、映画は 50 年代から死にはじめている(ただし死に絶えた、とは敢えて言わない)、と言っている。まあ、それはその通りだろう。だから、このような機会は貴重で、少しでも映画に興味がある人間は、とりあえず駆け付けるべきだと思うのだが、いまどき映画に興味のある人間なんて、そうそういないか。なんといっても滅んだものだから。が、滅んだものと付き合い・死者と対話をする、という事をしない人間は薄っぺらだ。この機会に、一度「映画」とやらを観てみては如何? いや、私は別に RCS のまわし者じゃあ、ないんですけどね。

 アキラ 28 来店。新装なったみなみ会館にて、『花様年華』『倦怠』を観てきたそうだ。新しくなったみなみ会館の椅子は座り心地がよく、アキラ 28 も存分に三角座りをして映画を観られた、という。…あ、別に私はみなみ会館のまわし者じゃあ、ないですよ。いや、ほんとに。

 ヨシコちゃんがニューヨーク、もといニュージャージーから、遠路遥々来店。ニューヨークの今のトレンドは、昭和 35 年以前の映画を観たり、椅子の新しくなった映画館で新作を観たりすることらしい。…あ、これは、嘘です。すいません。

 本日、大西巨人著『神聖喜劇』全五巻を読了する。今はこの作品については何も言わない。ただ、大いなる感銘を受けたこと、このような作品が品切れ=事実上の絶版である現在の日本の出版界の状況に対する憤りを新たに強くしたということ、を付記しておく。

小川顕太郎 Original:2001-Apr-31;