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 Diary 2000・10月14日(SAT.)

音楽派

 今日もまたネタがないので、思いついた事をダラダラと述べます。私は昔から涙腺が弱い事でつとに有名なんですね。映画を観たり、本を読んだりしていると、ボロボロ泣き出す事がしばしばあります。そして、ここが問題なんですが、別にその映画や小説、マンガなどの善し悪しに関係なく、泣く時は泣くんですね。ムチャクチャ下らなくて、さっきまで怒って観ていたのに、ある場面に来ると猛然と涙腺が緩んでくる。ほんとに突然に、一瞬でそれは起こるのです。

 よく高校生の時に学校をさぼって、みんなでコンビニに行って「少年ジャンプ」や「ビッグコミックスピリッツ」などを立ち読みしていたんですが、読み始めていきなり私が泣き出したので、みんなが吃驚して、私はひどくばつの悪い思いをした事もあります。そしてその読んでるマンガがまた下らないものだから、よけいばつが悪いんですね。

 これは何故かと考えてみたんですが、私はストーリーや全体と関係なく、場面やイメージ、観念などに心を動かされやすい傾向があるんじゃないかと思うんです。わずか一瞬に全体を観るというか。

 そこで考え合わされるのが、私は音楽派だ、という事です。音楽派というのは、小説や映画、演劇などよりも、音楽の方を好むという意味で私が勝手に使っている言葉ですが、音楽というものにはストーリーや意味がないじゃないですか。まあ、言葉を使っていなければストーリーや意味は生じようがないんですけれど。もちろん歌詞の問題があります。しかし私に言わせれば、歌詞は音楽に従属しているんですね。なくてもいいし、違う歌詞で歌ってもいい。私はボーカルも楽器の一部のように聴いていて、基本的に内容は無視しています。つまり、私はそういった人間なんです。

 ところで音楽にも色々あります。ジャズやクラッシック、民謡や宗教音楽など。私が好きなのは、やはりポップスですね。中でもソウルミュージック。ポップスの特徴として、短いという事があります。中には長い奴もありますが、まあ、商業的な要請もあってでしょうが、短いというのが基本でしょう。これが、いいんです。

 最近の私はソウルの 7 インチばかり買っていますが、これはソウルというのは CD はおろか、アナログの LP にも収録されていない名曲が腐るほどあって、7 インチを買わなけりゃどうしようもないという事情もさることながら、ちゃんと曲を聴けるからなんですね。例えば CD だとどうしたって聴き流してしまう。密度の薄い聴き方になってしまう。それが 7 インチだと、まず形からしてよい。この中に珠玉の 1 曲が詰まっているかと思うとそれだけで楽しくなってくる。

 その 7 インチをプレイヤーの上に置き、針を落とす。スピーカーから曲が流れ出す。と、瞬く間に別世界へ連れて行かれ、至福のトリップを体験する。現実世界に戻るまでわずか 3 分。そしてまたしても快楽を求めて、次の 7 インチを選びだし、針を落とす。これぞ、本当の音楽の聴き方・楽しみ方ではないか、と私なんぞは思ってしまう訳です。

 いかにも刹那的でしょう。しかし快楽は刹那にしか宿らないのではないでしょうか。むしろ刹那に永遠をみる能力こそが問題だと私は思います。この刹那的・快楽的な私の精神と、ナショナリスト宣言をした私。この一見背反するかに見えるふたつを結びつける事こそが、現在の私のテーマなのですが、まあその話はまた今度ということで。

小川顕太郎 Original:2000-Oct-9;