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 Diary 2000・5月15日(MON.)

イグジステンズ/ガンダーラ

 みなみ会館にクローネンバーグの新作『イグジステンズ』を観に行く。なかなかに面白い。クローネンバーグがあまり好きではない私でも十分楽しめた。

 この映画は「イグジステンズ」というゲームをやる話なのだが、このゲームのルールが結局最後まで映画を観てもよく分からない、という所が興味深い。ルールだけでなく目的も良く分からない。これは我々観客だけの話ではなく、映画の中のプレイヤー達も分かっていないのだ。ルールも目的(どうなれば勝ちになるのか)も分からないゲームとはどのようなものなのか?

 プレイヤー達はルールも目的も分からないので、とりあえずゲームを続ける。これはゲーム空間の中でとりあえず生きるという事だ。そしてその中でルールを探り、目的=ゲームに勝つ事を模索する。これは人生の比喩か?

 ところで「イグジステンズ」とは、イグジステンス=実存とかけてあると思われる。「実存」とは「本質」に対する言葉で、「本質」という言葉に回収しきれない人間存在、とでもいった意味だ。ゲームの場合、その「本質」とはルールであり目的でありキャラクターであろう。しかし現実世界にはルールもないし、目的もない。ゲームをプレイする現実の人間も、ひとつのキャラクターで括る事はできない。その回収しきれない余剰のようなものこそが「実存」である。という事は、この「イグジステンズ」というゲームは、プレイした人間を自らの「実存」に触れさせる、というゲームなのだろうか。

 とりあえず有機生物であるゲーム端末機や、骨で作られた拳銃など、いかにもクローネンバーグ的な小物群が素晴らしいので、お薦めの映画ではある。なんといっても私を含めて 4 人しか観客がいなかった! それは酷すぎるので、少し宣伝しておく。

『イグジステンズ』を観た後、続けてレイトショーの『ガンダーラ』も観る。ルネ・ラルー監督によるアニメーションである。こちらもなかなか楽しめる。幻想的というよりは妄想的な絵がなかなか興味深い。遺伝子操作の結果によって奇形化したフリークス達が大量に出てくるのだが、その中で中世の怪物誌に出てくる無頭人みたいな奴が気に入った。無頭人は胸のあたりに目、鼻、口がついているのだが、こいつは身体一面についていて、見ようによっては顔に手足がついているようにも見える。そこで私は妖怪の「ぬっぺっぽう」を思い浮かべ、さらにこいつが気に入ってしまった。面白かったのだが、何故か途中でうとうとする。こちらの方はそこそこお客さんが入っていた。

 というわけで、『イグジステンズ』どうですか。

小川顕太郎 Original:2000-May-16;