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 Diary 2000・8月6日(SUN.)

妖怪 4

 まだ妖怪の話を続けるんかい! もしかして日記のネタないんちゃうか? とおっしゃる方も多々おられましょうが、ずばりその通り、ネタありません。

 日記なんか日々あった事をそのまま記せばよいようなものなのだが、なにせ公開日記ゆえ書けない事・書いてもしかたのない事が多く、なんらかのネタがなければ書けません。そしてこのようにネタ切れに苦しむのだが、このような状態になって「ああ、こんなにネタがなくて苦しむのはオレに才能がないからだ!」と考えるのは、まあ一般的なんでしょうが、人間中心的な考え方です。そんなあんた、たかだか人間の才能ぐらいで物が書けるわけないじゃあないですか。原因を人間に帰しすぎ。

 で、この状態を「ああ、こんなにネタがなくて苦しむのは、きっとネタ不足で苦しんで死んだ作家の恨みに違いない!」と考えると、「心霊」的な考え方です。この考え方は、一見人間を超えたものの存在を認めているようですが、さにあらず。「心霊」とは、死後にまで残った人間の精神力のことですから、結局すべての原因は人間に帰ることになります。

 最後に、「ああ、こんなにネタがなくて苦しむのは、きっと妖怪『ネタクイ』にネタを吸い取られているからに違いない!」と考えれば、これは「妖怪」的なものの考え方です。人間を超えたものに原因を帰する事によって、自分は責任を逃れて楽になる。まあ、狡いっちゃあ狡い考え方ですが、なにより気が楽になります。イエーイ。

 しかしながら、このままで止めてはいけません。「妖怪」とは共同体的なものです。心霊現象・幽霊話が、個人的な経験に止まるのに対して、「妖怪」はみんなと共有されなければなりません。例えば、妖怪「ネタクイ」とはどのような性質を持ち、どのような時に現れ、どうすれば退治できるのか、という事がみなの間で共有されていなければなりません。

 それには、同じ様な現象に悩まされている多くの物書きの人達と話し合って、妖怪の性質を見極める事が必要でしょう。そうやって、どうやら「ネタクイ」は物を書き始めて 3 カ月目ぐらいから現れるようだ、あの妖怪「マチコミ」と仲間のようだ、退治するにはネクタイを逆さにしめればよいらしい、という具合に妖怪の性質が決まってくれば、もう安心。たとえネタ切れに苦しもうとも、落ち着いてネクタイをさかさにしめれば、忽然とその逆境を抜け出る事が出来るでしょう。

 信用していませんね? なによりこの私がこのようにネタ切れから脱出したのが何よりの証拠ではありませんか。いつもより長めの日記が、ほらこの通り。いやあ、妖怪さまさまですな。そういえば宝塚ファミリーランドにも、7 年振り(8 年だったかな?)に鬼太郎が帰ってくるそうです。「妖怪」の時代、来るのか?

小川顕太郎 Original:2000-Aug-8;